ちくまプリマー新書

社会学は他者から始まる
好井裕明『「今、ここ」から考える社会学』 「はじめに」より

 社会学とはいったいどのような営みなのでしょうか。
 法学は法律を扱い、経済学は経済を扱い、心理学は心理を扱います。では社会学は社
会を扱う学問ということになります。社会学が社会を考える知的実践であることに間違
いはないのですが、これだけでは、まだよくイメージができません。
 社会学者が百人いれば、百通りの社会学がある。私が大学院生だった頃、よくこう言
われていました。この言葉は、社会学が体系性のない学問であり、恣意的でバラバラな
営みだということを示すのではありません。そうではなく、社会学という知的実践がも
つ豊饒さを象徴的に語り、社会をめぐる了解や探求すべき現実や現象の多様性を指して
います。そして、この言葉は、今も意味を失ってはいません。
 たとえば、私の四年ゼミ生の卒業論文のテーマをあげてみます。
 自分自身が左ききであり、これまで生きてきた歴史から「左ききの人が経験し実感する生きづらさ」について考察する「左ききの社会学」。
 近年、恒例となっている大規模なロックフェスティバル。現代日本のポピュラーカル
チャーとして定着しているイベントがなぜ、どのように多くの人を惹きつけるのか、その魅力を多角的に分析しようとする「ロックフェスティバルの社会学」。
 人々は「容姿」についてどのような意識をもっているのか、化粧品産業や美容整形の
実態などを調べ「美しいものが評価されがちな現代をどう生き抜くか」を考える「容姿
の社会学」。
 ベトナム戦争など一九六〇年から七〇年代のアメリカの歴史との関連で「アメリカン
ニューシネマ」という新たなジャンルの映画を詳細に読み解き、若者文化の誕生と変遷
を考える「アメリカンニューシネマの社会学」。
 女子高出身のあるゼミ生は、相手を一目見た瞬間に、その人が女子高出身か否かがわ
かると言います。自らの母校だけでなく数多くの女子高の理念を調べ、教員や生徒への
聞き取りを重ねることで女子高特有の文化や生活世界を明らかにし、「女子高出身」を
判別できるという「謎」を解こうとする「女子高の社会学」、等々。
 ほかにも婚姻との関係を考える恋愛論、ペットブームの社会学、インディーズバンド
が活躍する音楽世界の研究、原宿という独特な「場所」を考える社会学など、まさに
「多様な」テーマでゼミ生は卒業論文に取り組んでいます。
 私のゼミでは、私の専門テーマに影響されることなく、自分が本当に調べたいと思う
テーマを考えるようにと何度も言います。なぜなら大学院に進学し社会学を専門研究す
るというなら話は別ですが、学部を卒業し社会へ出ていく多くの学生にとって、卒業論
文は、いわば「この時期にしか創造できない作品」であり「大学四年間で社会学を学ん
だ成果であり証」だからです。とすればやりたいテーマで好きに調べ、好きにまとめる
営みこそ、大切だと思っています。
「調べたいことはこれこれですが、これで社会学の論文になるでしょうか」必ずゼミ生
から出てくる問いです。「はい、大丈夫ですよ。十分、社会学として成立しますよ」と
私は返事をしています。
 さてこうした多様なテーマや関心のなかで、一貫していることがあります。
 現代を考えるにせよ過去の歴史を調べるにせよ、場所や地域が異なるにせよ、人生のどの段階の出来事を考えるにせよ、常にそこには「他者との出会い」があり「他者と共
に在る私の姿」があるのです。つまり「他者の存在」こそ、社会学にとって基本的な事
実であり、社会学的問いが回避し得ない「謎」と言えます。
 こう考え、ひとまず「社会学とは他者の学である。社会学とは他者を考え、そこから
私という存在を考え直す学である」と言っておきます。
 では、どのように他者を考え、私という存在を考え、社会を考えていったらいいので
しょうか。この問いへの答えを考える営みこそ、まさにこの新書をこれから読もうとし
ているあなた自身の課題なのです。
 さて、私が面白いと考える社会学の基本について語っていくことにしましょう。

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