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私自身のキャリアは、まずは中学生のころから小説家として、次いで大学院生のころからはロボットを用いたメディアアーティストとして始まっている。双子の姉の影響で好きになった小説家に触発されて、そうなった。
工学者でもあったドイツ系アメリカ人作家がいて、私は小説を書こうと思い、姉は工学をやろうと思った。
姉がその作家の先生が勤める大学に留学してすぐあと、先生は「小説では十分稼いだし、もう研究者としても作家業でもやりたいことはない」と言って悠々自適の生活をするために、どちらもやめた。
それを期に私は筆を折って美術に進み、姉は研究ではなくビジネスに進むことにした。それくらい、強い影響を受けていた。
姉は機械工学の博士号を取得後、家庭用ロボットのベンチャーに参画してCTOをつとめ、“Google以降、最大の成功を収めた”と言われたその会社が上場してしばらくまで在籍した。
片山の事件は、私たちがまだ学生のころに起こったものだ。
思えば姉は片山の事件が起こった当時から、興味を示していた。片山にとくに、ということではない。彼のような、とくに不自由なく育ったはずの人間が起こした事件全般に、だ。
三〇代なかばから、姉は私のプロジェクトの技術面でのパートナーになった。
姉はがむしゃらに働いて会社を急成長させて株を売却し、莫大な財産を得た。けれど「お金が入ったから何なんだろう?」という満たされない思いがあったらしい。
発電事業とニューロモルフィック・コンピュータのハードウェア開発のスタートアップに投資をしまくるというまた別の仕事を始める一方で、私といっしょにプロジェクトを進めるようになったのだ。
「おもしろければなんでも協力する」と。両親からは「お姉ちゃんみたくまともに勉強しなさい」と言われて育った私だったが、姉は時間をかけて、私のほうに近づいてきた。
私はお金のことはどうでもよく、何かをつくっていないとおかしくなる人間だった。「お前は何をしたいのか?」と人から問われても、自分でもわからない。ただ衝動に突き動かされていた。
タブーを問う作品がつくりたかった。なぜそのタブーはタブーなのか。なぜある種のものは、冒涜してはならない神聖なものなのか。人は、何を聖なるものと感じるのか。それが知りたかった。
私が考案したプロジェクトには一定以上の規模の継続的な組織が必要で、つまりは資金集め、人集め、組織のハンドルを握る人間が必要だった。姉は自分でも動いてくれたし、それらができる人間を紹介したり、アサインしてくれた。
ロボットやアンドロイドのコンセプトは造型担当である私が出し、それを咀嚼して機械パートの人間が全体を設計、電機や人工知能の担当者と相談し、アルバイトも使って組み立てていた。
私たちはまず、現代美術の画家、ジャクソン・ポロックが行ったアクション・ペインティングを再現するドローン、「ポロックマシーン」をつくった。
ポロックのカンバスに絵の具を叩きつけるようなポロックのエモーショナルな作風は、多くのひとを魅了し、無数のフォロワーを生んだ。
どう描けば「ポロック風」に仕上がるのかは研究され尽くしていたから、機械で再現したのだ。ドローンのデザインは、ポロックが交通事故で亡くなったとき乗っていた自動車の形状をモチーフにした。ルンバが掃除をするがごとく、ポロックマシーンはスイッチを入れると絵画を制作する。
ポロックマシーンが製造した絵画数百枚を集めた展示では、ギャラリーのスタッフも警備用ドローンが担当し、それを管理するオペレータ以外はほぼ無人で運営した。ドローンが行う絵描きのパフォーマンスを、ドローンに警備させた。バカみたいだけど、楽しかった。
次のプロジェクトは、百体に及ぶアンディ・ウォーホルのアンドロイド「ウォーホロイド」だ。キャンベルスープの缶やマリリン・モンロー、毛沢東のポスターをいっせいにアクリルで制作するパフォーマンスを、ドバイやカタールで行った。
技能や芸術のアーカイヴにアンドロイドを使う試みはすでにされていたが、アートにアンドロイドを、ここまで大規模に使った例はなかった。
同時に、ドローンから人間酷似型のアンドロイドに外見を変えた「ポロックマシーン2」も発表。
人間が絵を描くときとほとんど同様の動きをしながらアクション・ペインティングを行うアンドロイドだ。マシーンの1と2を並べ、まったく同じ絵画を制作させるライブドローイングを、会期中には常に行っていた。
天才絵描きを模したアンドロイドが行うペインティングは、多くの来場者を驚かせた。土地柄、アーカイヴ用アンドロイドすら生で見たことがない人間が多かったことが、功を奏した。
ポロックを映した映像をもとに3DCGにモデリングし、そのモデルを、造形技術を駆使して現実空間に実体化したアンドロイドは、画家が絵を描くさいの身体の動きを可能なかぎり再現していた。何度でも、同じ絵をつくりだせた。
アウトプットだけ見れば、そこから生まれるのは「いつも同じ絵」である。
けれど、ライヴペインティングで絵がつくられていくさまを見たひとは、みな思う。ひとりの画家がカンバスに向かい、一本一本筆を入れていき、ときどき逡巡をする。その様子は「生きているようにしか見えない」と。
何もなかったところに、作品ができていく。
質感をともなった景色が、人物がうみだされていく。
アンドロイドの表情もそれに合わせて曇ったり、いきいきとしたものになったりする――そういう仕様にした。
「長い年月をかけて技術を培い、思考を投入してきた画家の人生が、そこにある。その結晶として、作品がうみだされる。なんてすてきなんだろう」と、あるコレクターは感嘆し、破格の値段で、このアンドロイド・アートの購入を決めてくれた。対話機能もない、決まりきった絵を描くことを反復させる以外の能力をほとんどもたないアンドロイドを、芸術作品として認めた。
多くの人間が「ポロックマシーンは1も2も機械が描いている絵にすぎないのに、アンドロイド型の2が描く姿には、なぜか感動を覚える」という感想を漏らした。
人間の感覚は曖昧で、恣意的なものだ。
おそらくはゴキブリの外見をしたロボットに同じ絵を描かせれば、きもちわるいと言うのだろう。
百体あるウォーホロイドのうち九九体は、オリジナルのウォーホルと同じく銀髪のカツラをかぶせていたが、一体だけはハゲ頭にした。ささやかなギャグである。しかし、髪の毛の有無にかかわらず、アンドロイドは皮膚をはがせば機械にしか見えなくなる。観たものが「ウォーホルのアンドロイドだ」と感じるのは、その見かけと動き、つくられる作品によってである。
たとえば皮膚をポロックのものと入れ替えたら?
ポロックの外見をしたアーティストのアンドロイドが、ウォーホルの作品を再現しつづけたなら?
それは「誰」なのか。
私たちは何をもって「ポロックのアンドロイド」「ウォーホルのアンドロイド」とみなしているのか。
私たち姉妹は双子ということを活かし、ふたりでまったく同じ髪型、メイク、服装になったり、あえてまったく違う見た目になったりしながら、メディアに露出してプレゼンテーションをした。
批判は多く、黙殺するアートメディアが大半だった。
それでも、ふだんはアートマーケットの外側にいる金持ちがなぜか興味を示し、買ってくれた。アート業界内で評価されて勝ち抜いていくことにはそれほど関心がなかったが、買い手がついたことで、次の作品がやりやすくなった。他人からの評判よりも、内的な興奮や達成感の方が、私にとっては重要だった。
まだ足りないね。
姉もそう言っていた。