人はアンドロイドになるために

7. 時を流す(3)

 片山はなぜか自分にだけアンドロイド化の声がかかっているように思っていた。そんなはずはない。

 片山ひとりだけ、片山のアンドロイド一体だけでは、社会に対しておおきな影響力を持ちうるはずがない。数を集め、束になってこそインパクトが生まれる。

 私たちはアンドロイドのために殺人事件を起こした世界中の犯罪者にコンタクトを取っている。カタログをつくるように、昆虫採集の標本をつくるように、カードゲームのデッキを充実させるように、彼らをアンドロイド化し、ネットワーク化する。アンドロイド・アーカイヴ財団をはじめ「すぐれた能力をもった存在を後世に遺す」ことを目的としている団体は少なくない。だが、反社会的な行為に及んだ人間たちを遺すことはしていない。私たちはそれをやる。いつでも彼らの特殊な能力を利用できるように。彼らをまとめてシンボルとして利用できるように。目標は千。うち八〇〇人以上との契約が済んでいる。

 私はこうしたプロジェクトを同時に複数走らせていた。

 片山との窓口となった団体以外にも、それぞれ主張の異なるロボット至上主義団体やアンドロイド至上主義団体を九つ束ねていた。

 騙って生きているという意味では、片山と変わらない。すべて別の名義で、別人になりすましている。遠隔操作型アンドロイドを使えば簡単だ。そうやってたくさんの家庭を持っている人間もいる。

 ふだんはそれらのアンドロイドは私の行動データベースにもとづいて自律的に動き、ときどき本人が乗り移る。私の人格、意識はひとつだけだが、九つの役を演じることは、慣れてしまえば難しくはない。

 もともと人間には複数の役割意識がある。ひとりの人間が、親であり、子であり、労働者であり、趣味人であることは当たり前だ。付き合う人間に応じて、性格も少しずつ変わる。入り込むアンドロイドによって態度が変わるのも当然だ。

 私にとっても、社会にとっても、片山は自意識をこじらせたアンドロイドエンジニアであり犯罪者のひとりにすぎない。

 しかしそれでも彼は、私にとっては、自分とどこか重ねあわせて見てしまう存在である。

 彼ができなかったこと、アンドロイドを「先」に進めることは、私たちが引き継ごうとも思う。

 彼の物語はここで終わる。

  ここからは、私の物語だ。

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