第二次世界大戦後のアメリカ社会やアメリカ社会学を批判してきたC・ライト・ミルズ(1916-62年)が45歳で亡くなった時、社会学の雑誌に載ったある追悼文で、これで社会学は少しは平穏になるだろう、と言われた。ミルズはそのようなイメージの社会学者であり、知識人であった。ミルズは、代表作の『新しい権力者』『ホワイト・カラー』『パワー・エリート』の階級三部作で、大衆社会論やエリート論を展開して議論を巻き起こした。それらの後に書かれた『社会学的想像力』(以下、本書)も、パーソンズやラザースフェルド(とくに後者はミルズをコロンビア大学に誘ってくれた恩人の一人である(注1))を名指しで批判した論争の書であった。
また本書は、自著『パワー・エリート』を3行で要約してみたり、『ホワイト・カラー』などにおける大衆社会論のテーゼである「陽気なロボット」という用語を使用したりしており、本書執筆時までのミルズの研究のダイジェスト的なものとしても読むことができる。また、その後のミルズの知識人論や死後の学生運動への影響についてもある程度示唆する内容となっている。
社会学的想像力という概念
本書は、当時の文脈において話題になっただけではなく、その後の社会学の基本文献となり、さらには社会学の専門家に限らず広く読まれてきた。その理由の一つはもちろん「社会学的想像力」というキャッチフレーズである。社会学的想像力とは、私たちひとりひとりの人生(個人史)と歴史とが結びついていることを発見し、その結びつきを社会構造の中で理解する力である。ここでのポイントは、社会と個人史との結びつきを強調するところである。
社会学は社会を研究する。しかしいきなり社会なるものを研究すると言われても、その対象は雲を掴むようだ。社会に出ると、はじめて社会がリアルに感じられて、社会学がよく分かるようになると言われることもある(私事だが、私は母に「社会のことなら、あんたより自分のほうがよく知っている」と何度も言われてきた)。そこで、社会をそれだけで研究するのではなく、社会とあなたの人生との結びつきを考えるのが社会学である、と言い切ったのが、社会学入門書としての本書の意義である。
この歴史と個人史の結びつきという考え方の背景には、アメリカ土着の哲学であるプラグマティズム、とくにC・S・パースのプラグマティズムがあるのではないかと思う(注2)。パースは「私たちの観念を明晰にする方法」という論文において、概念の意味とは、それがもたらすと想定される効果のことであると説明した。たとえば「硬い」という概念の意味は、それを他の物でひっかいても傷がつかないということである。こう言い換えることで、概念だけが飛び交う空中戦を避けることができるというのが、プラグマティズムの出発点であった。
ミルズの社会学的想像力という概念は、社会現象について、これと同じように考えてみようというものなのである。本書の第1章では、失業や戦争といった例が挙げられていた。つまり、不況という社会現象の意味は、私たちが失業するということであり、戦争という社会現象の意味は、私たちが兵士になったり戦死したりするということである。もちろん、いわゆる「悪い」社会現象だけでなく「良い」社会現象についても、同じように考えることができるはずだ。まずはそう考えることによって、社会を対象として捉える取っかかりができる。
知的職人のモデル
ミルズがグランド・セオリーや抽象化された経験主義を批判するのは、それらが、個人史と歴史との結びつきの発見を助けるという、いわば民主的な目的の役には立たないからである。ミルズはその代わりに、探求する知的職人というモデルを提唱する。概念や方法論に固執しすぎるな、官僚制的組織の歯車としての科学者ではなく、独立した研究を行う職人たれ、という本書のアピールに対する一般的な反応はおそらく、それは一つの理想かもしれないが、分業の進む科学の世界ではなかなか難しい、そもそも当時においてもミルズは例外的な存在であった、というものであろう。
ところで、これについては今の日本の社会学は事情が異なるかもしれない。なぜならば、単著の博士論文を早く書き上げるよう、大学院生がこれほど迫られたことはないように思われるからである。そのため、職人的にたとえばフィールドワークを行う研究のほうがスムーズな経歴につながることから、むしろチームで共同調査をする暇などないという声も聞く。ミルズが訴えた状況とはまったく異なるが、職人的でありうるための条件がもしかすると存在するのかもしれない。
ただしこれは、ミルズの時代であればパーソンズ理論、あるいはマルクス主義やヴェーバー、批判理論やギデンズやフーコーといった、社会を全体として見ようとする巨視的な理論の存在感が今日低下しているということでもあり、また別に考えなければならない問題ではある。
その後の展開
ミルズは本書のわずか3年後に亡くなったが、アメリカやイギリスの学生運動家や社会学の学生たちのなかには、ミルズの影響を受けた者が多くいた。その一人のトッド・ギトリンは、本書の2000年版の解説で、当時ミルズにちなんで飼い猫の名前をつけたと述べている。当時の学生たちに対するミルズの影響は、何に由来するのだろうか。ミルズは本書と前後して知識人論に注目するようになった。それは、社会に対する「戦略的な介入ポイント」、社会を動かす「てこ」の可能性を、若い知識人に見出したということである。
個人史と歴史の結びつきは、歴史が個人史に影響をおよぼすという方向しかありえないわけではない。本書の後半が論じるのは、第四の時代における、理性と自由という価値にもとづくような社会の予測と制御であり、集合的にはたらきかけて社会をいわば「ひっかく」ことができるとすれば、それはいかにしてか、そしてそのために社会学者は何をすべきか、ということである。もちろん今日でも正解は分かっていないが、ミルズの議論はその探求を促し続けてくれる。
また本書の議論は学問的にも、狭い意味での社会学内部にとどまらず、社会諸科学において展開されている。たとえば経済地理学のデヴィッド・ハーヴェイは、「地理学的想像力」という概念を用いてきた。本書には地理的な想像力という観点はほぼなく、地理よりも歴史に、空間よりも時間に偏っていることが、ハーヴェイには不満であった。ハーヴェイが研究を通じて示してきたように、ある時代のある社会の性質は、もちろん地理を見ることでも明らかになる。また犯罪学・社会学のジョック・ヤングは、『犯罪学的想像力』(2011年)で犯罪学の刷新を主張した。この本は、ミルズが本書で行ったことを犯罪学に対して行っている。さらにカルチュラル・スタディーズのポール・ウィリスは、『エスノグラフィー的想像力』(2000年)で社会科学論を展開した。ウィリスが注目するのはもちろん文化である。これらはそれぞれ本書を受容して展開することで、各分野に革新をもたらしてきた、社会学的想像力の系譜である。なお、彼らの研究内容が学問分野の制度的境界にそれほど縛られていない点も、本書第7章の議論と合わせて確認しておこう。
本書は出版から50年以上経っても、社会的にも学問的にも議論を喚起する力を失っていない。それは、本書の主張のポイントが発見を促すという点にあるからである。本書は、既存のものに固執せずに、概念、方法論、私的問題、公的問題、歴史のメカニズムなどを発見することがいかにして可能なのか、ということを論じようとした本である。科学は発見を通じて進歩してきた。社会学も理論的対話や事実の発見によって進歩する。しかしそれだけでなく、たとえば社会問題への取り組みや社会運動によって、つまり人々による発見が社会を進歩させることによっても、社会学は進歩してきた。本書はまさにそのような発見のための方法態度を論じているからこそ、古典として読み返す価値があるのである。
(注1)もう一人の恩人であるマートンは、なぜか実名を挙げて批判されてはいないが、第5章2節で「スポークスマン」「ブローカー」として想定されているのは明らかにマートンである。
(注2)本書にはパースの名前は出てこないが、第10章の注で、抽象化された経験主義のスタイルは「権威を参照して社会的信念を固めるように、人々を奨励する」ので、民主的な役割を担うことができないと述べている。ここからは、パースの論文「信念を固める方法」の、固執の方法、権威の方法、ア・プリオリの方法、科学の方法という議論を連想せざるを得ない。グランド・セオリーはア・プリオリの方法に比することができよう。
参考文献
Harvey, D., Social Justice and the City, Johns Hopkins University Press, 1973.(竹内啓一・松本正美訳『都市と社会的不平等』日本ブリタニカ、1980年)
Peirce, Charles Sanders, Collected Papers of Charles Sanders Peirce, Volume 5 : Pragmatism and Pragmaticism, edited by Charles Hartshorne and Paul Weiss, Thoemmes Press, 1998.(植木豊編訳『プラグマティズム古典集成』作品社、2014年)
Willis, Paul, The Ethnographic Imagination, Polity, 2000.
Young, Jock, The Criminological Imagination, Polity, 2011.