「小裂帖」と題されたこれは、裁(た)ちのこされた端切れに、さまざまな植物からひきだされた色彩をくわえ、文章をそえたものである。
志村さんの全容とはいえないまでも、その仕事の内容をみわたせるものであり、また同時に、一種の縞帳としての役割も十分に果たせるものである。
南の島々からもたらされたストライプ状の織模様、島渡りを意味する島物(しまもの)、しま、とよばれ、縞の字が当てられるようになるのは、江戸も後期になってからといわれる。
やがて反古をとじたものに、縞の端切れをはりあわせて縞帳とし、農家で織られるものの手引きにされてゆく。
日が落ちれば、戸外の農作業からかえり、夕餉もそこそこに機(はた)にすわった女達、何という働きづめの日々かとおもわれるが、そこにはまだ、生活者としてのすこやかさがみてとれるのである。
志村さんの仕事も、この延長線上にあってこそであろうか。
何時だったか「機を織ることも、結局は一枚の毛皮を求めること」という、志村さんの言葉にであったことがある。
その言葉どおり、私たちは毛皮を失ったが故に、それを求めて衣服や衣裳にたどりついたのである。
そしてこの代用毛皮が、着脱可能だったことから、着替えることを知り、替衣裳を持つことをはじめるのである。
こうしてこの世界には、いまやあらゆる美と贅がつぎこまれ、色は氾濫し、技術も、圧縮、たたきのばす、なめす、染めると、あらゆる可能性をつくしている。
政治もいちはやく介入してくる。位階によって衣服の色を分けるなどは、現代からすればナンセンス以外の何物でもないが、当時にあっては、何等かの秩序を支えたものと考えるほかないだろう。権力者の衣服を特権化してゆくことも、その展開の一つであろう。
二次大戦後、英国の貴族のマントの裏が、白貂から白兎のものでもよいとなって、大英帝国の凋落がささやかれたのもそうである。
いまやアパレル業界は覇権国家のような風貌をおび、パリコレもミラノコレも、国家の一大ページェントだと考えればいい。各ブランドもクチュールも、さしずめ有力諸侯といったところである。
最も罪深いのは、他の動物の毛皮をそっくり頂戴しようというもの。これにはさすがに、時々おもいだしたような反対運動がおこって、ヨーロッパの都市をデモったりしている。
材料として面白いのは、何といっても金属であろうか。不可能かと思われるその衣服化は、戦場であらわれる。ヨーロッパの中世、頭から爪先までをくまなく覆う騎士の甲冑である。さしずめロボットなどは、これからの発想ではないかとおもわれる。
こういうことを横目に、ふたたび志村さんの世界にもどろう。
植物からは色を、蚕からはその糸をいただく、とつねづね口にされる志村さんには、それをそのまま自らの負目とするようなところがある。その優しさが、この豊かな世界にはながれているのである。
「死んでも魂魄この世にとどまって、何処かで機を織っているとおもう」は、この志村さんの言葉である。この言葉につられるようにおもいだされるのは、能の金剛宗家が、もう守られなくなったと前置きして、「本当は舞いつくさず、あの世で舞うための曲を一曲のこすのです」とかたられるのを、どこかの誌面で拝見したことである。
表現はちがうが、いずれも一芸にたずさわる人の、死もおわりとしない、つきせぬおもいを語るものである。