ちくま新書

保育園に通えない子どもたち

3歳から5歳で幼稚園にも保育園にも通っていない児童は、全国で95000人ーーこういう子どもたちは、地域社会ともつながれないことから「無園児」と呼ばれている。家庭というブラックボックスで、虐待、貧困、発達障害などの問題が潜んでいることも多い。全国4万人を対象にした研究成果と、当事者への取材を紹介し、私たちに何ができるのかを提案する。巻末には、NPO法人フローレンス代表の駒崎弘樹さんとの対談も収録した4月刊行の新書『保育園に通えない子どもたち』の「はじめに なぜ「無園児」が問題になるのか」を公開します!

†「目黒女児虐待事件」に見る、無園児という問題

 二〇一八年六月六日、衝撃的なニュースが社会を揺るがしました。
 東京都目黒区で両親から虐待を受け、同年三月に死亡した船戸結愛ちゃんが、亡くなる前に、母親に向けて悲痛な思いをノートに残していたことが報じられたのです。
「ママ もうパパとママにいわれなくても しっかりとじぶんから
きょうよりかもっと あしたはできるようにするから
もうおねがいゆるして ゆるしてください おねがいします」
 五歳の幼い子どもが覚えたてのひらがなで書いたメッセージ。義父から繰り返し殴られ、食事もろくに与えられず、地獄のような日々を送りながら、どのような想いで書いたのでしょうか。再び母親と幸せな日々を送りたいと願ったのでしょうか。
  ―― ママ大好き。けして良い親とは言えない私を、親であるがゆえに無条件に愛してくれる二歳の息子の顔を思い浮かべながら、胸が苦しくなりました。
 母親としての想いに揺れながらも、一歩引いた目線でニュースを見つめる私がいました。研究者としての私です。結愛ちゃんは保育園や幼稚園に通わず、周囲とのつながりをほとんど断たれていたといいます。「やはり、そうだった」。心の中でつぶやきました。
 この悲しいニュースが流れた頃、私は三〜五歳で幼稚園や保育園に通っていない未就園児の研究を行っていました。その時すでに、虐待のリスクが高い家庭で、未就園児が多いことをデータから明らかにしていました。
 未就園児は、地域社会とのつながりを断たれた「無縁」とかけて、「無園児」とも呼ばれています。無園児の名づけの親は、この本での対談相手にもなっていただいている駒崎弘樹さんです。駒崎さんは、病児保育や小規模保育などを手掛ける認定NPO法人「フローレンス」の代表理事をされています。駒崎さんは、未就園児という言葉には、「行く予定だけどまだ行っていない」というニュアンスがある一方で、幼稚園や保育園に入れていない子どもたちは、さまざまな障壁によって「通う自由が奪われている」という状況にあると言います。的を射ているので、この本でもそのまま使わせていただくことにしました。

†無園児問題との出会い

 私が無園児の存在を知ったのは、二〇一七年一〇月に開催されたフォーラムで、ある官僚の講演を聞いたのがきっかけです。そのフォーラムは、安倍総理が直前の九月二五日の会見において、「三〜五歳の幼児教育を無償化する」と発表したのを受けて、急遽開催されたものでした。
 講演の中で、無園児の統計が紹介されました。三〜五歳の子どもの一割は保育園や幼稚園に通っておらず、成育状況すら確認されていないというのです。語り口はわかりやすく軽快なものでしたが、無償化から取り残されるこの子どもたちは誰なんだろうと、心配する気持ちがその官僚から伝わってきました。
 ―― 保育園や幼稚園に入っていないのは誰だろう? 私は心がざわざわと揺れているのを感じました。家庭で適切に養育されていれば問題はないでしょう。でも、無園児の中には、ほうっておけない子どもがいる気がしてなりませんでした。この時、ほうっておけない無園児のイメージとして浮かんでいたのは、虐待を受けている子どもたちでした。
 無園児をほうっておけないと直観したのはなぜか。一つは子どもの貧困の研究を通じて、貧困状態にある人は、行政や地域の支援からこぼれがちであることを知っていたからです。
 例えば、乳幼児健診の未受診率は、貧困の家庭や、虐待のリスクが高い家庭で高いことが知られています。自治体に実施が義務づけられている一歳六カ月健診と三歳児健診の受診率は、全体では九割を超えるのに、虐待で死亡した子どもでの受診率は五〜八割程度です。
 乳幼児健診では、九割以上の子どもが受診しているからこそ、未受診にはそれなりの理由があり、全員の無事を把握することが重要だと言われています。幼稚園や保育園への就園率も、九割を超えるからこそ、通わせていない家庭には、それなりの理由があるはずなのです。無園児をほうっておけないと直観したもう一つの理由は、私は自身で育児をしながら、子育て支援が不十分だと感じてきたからです。

†待機児童問題を通じて痛感した子育て支援不足

 私が自身で経験し、子育て支援不足を痛感した、「待機児童問題」の話をします。
 待機児童とは、認可保育所への入園を希望しているのに、空きがなくて入れない子どものことです。政府は「待機児童を二〇二〇年末までにゼロ」を目指しているものの、いまだ実現の兆しは見えていません。ちなみに、保育所は保育園の正式名称です。以降は、正式名称を使う必要性がない場合は保育園と呼ぶことにします。
 本来、認可保育園は「空き」さえあれば一年中入園できますが、待機児童が多い都市部では、新年度の四月以外に入園できる可能性がほとんどないため、四月入園に申請が集中します。一歳児クラスは育休明けの人たちが集中するのと、〇歳児クラスから在園している子が進級して定員が埋まりやすいため、入園は激戦となります。
 そこで、育休を一年取れるのに途中で切り上げて、〇歳児から入園を希望する親もいます。〝保活〞を入念に行い、最大限の努力をしても、保育園に入れるかどうかは運に左右されます。努力の効果が小さいという点で、大学入試よりも厳しいと言えます。
 私は二〇一六年一月末に、第一子を出産しました。一三年に結婚した際に、都内で待機児童の少ない区に引っ越しました。私が妊娠前から保育園を意識していたのは、女性が研究者になるという夢を叶え、妊娠・出産後も続けていくのは、いまだにハードルが高いからです。しかし、私が住んだ地域はたまたまその区の中で待機児童が最も多い地域でした。同じ市区町村の中で地域差があることまでは、さすがにわからなかったのです。
 〇歳児四月入園を確実に果たすために、妊娠発覚直後から保活に励みました。運よく入園が決まったものの、保育園は家から徒歩とバスで四五分もかかる場所にありました。子どもにとって負担ではないかと悩みました。産後二カ月での職場復帰と、毎日片道四五分の通園で、私は衰弱していきました。
 区に転園届を出し続けましたが、転職で他県に引っ越すまでの二年間、転園は叶いませんでした。医学部の女性教員の多くは、産後半年足らずで職場に復帰しますので、私のようなケースは業界的には珍しくありません。もともとそれなりの苦労は覚悟していたとはいえ、こんな状況は何かおかしい……。
 おかしいと思う人は他にもいました。二〇一六年二月、「はてな匿名ダイアリー」に寄せられた「保育園落ちた日本死ね‼」と題した投稿が、大きな反響を呼びました。保育園に入れなかった憤りをつづり、保育園を増やすよう求める内容で、ネット上には同じ境遇の人たちから共感の声が相次ぎました。にもかかわらず、国会議員の多くは、待機を余儀なくされて苦しむ親の気持ちを全く理解していなかったのです。国会審議で野党議員がこのブログを取りあげると、与党席からは「誰が書いたんだよ」「本人を出せ」などと無神経なヤジが飛んだため、保育園に落ちた当事者らの怒りに火をつけ、国会前での抗議行動にまで発展しました。

†社会で子育てする文化が醸成していない

 三〇年以上続く待機児童問題がいまだ解消しないのは、こうした政治家の問題意識の低さも大きく影響していますが、根本には、「子育ては親(特に、母親)がするもの」という価値観が根付いているからだと思います。日本は「社会で子育て」という文化が醸成していません。
 個別には、子どもや親にやさしいまなざしを向けてくれる人はたくさんいます。私自身、イヤイヤ期の息子が路上で駄々をこねている時に、通りすがりのおばあちゃんに「あらあら、お母さんは大変ね」と声をかけてもらい、息子と一緒に号泣した経験があります。一方、住民説明会などの公の場所で、保育所や児童相談所の建設計画に反対の声が上がる現状には、日本は子どもに冷たい国だなと感じざるをえません。
 今は、夫や親族の協力を得られず、周囲に頼る人がいない中で、母親が孤立した状態で子どもを育てる「孤育て」が問題とされる時代です。以前とは子育て環境が変わっているのに、価値観が「子育ては母親がするもの」のままでは、子育て支援に予算が回りにくいのは当然です。
 子育てはたとえ幸せに満ち溢れていても、大変なのがデフォルトです。命を守る責任が重い仕事なのだから、親には強いプレッシャーがかかります。乳児期、幼児期、学童期、思春期……と子どもや子育ての課題はめまぐるしく変わっていき、親もそれに合わせて悩みながら対応していきます。子育てをしていると、これまで親たちはこんな高度な仕事をしてきたんだな、もっとその価値が理解されると良いなとつくづく思います。
 一方で、支援不足の中、子育てでつまずく人が出てきて当然だとも思います。私自身は、遠方とはいえ、保育園に入ることができ、保育士さんからの手厚いサポートを受けることができました。私と夫の両親は遠方に住んでいるため日常的に頼ることはできませんが、夫とは家事や育児を半々で分担できています。夫婦ともに有期雇用なのでいつ無職になるかわかりませんが、そこそこの収入があります。これまでの仕事経験から、多少の困難は乗り越えていける自信もあります。
 でも、何かが欠けていたら? 毎日、ワンオペだったら? お金の心配があったら? 若くて、経験が少なかったら? 私は、虐待を他人ごととは思えませんでした。

†なぜ本を書くことにしたのか

 こうした想いから、無園児の背景を探るため、国立成育医療研究センターの加藤承彦室長(幼児教育学、社会疫学)と、米ハーバード大学公衆衛生大学院のカワチ・イチロー教授(社会疫学)とともに、全国四万人の子どものデータを使って研究を始めました。実は、加藤室長も私が無園児問題と出会ったフォーラムにたまたま参加しており、会場で「無園児って誰なんだろうね」と語り合ったことをきっかけに、共同研究に至りました。
 正直、研究するかどうかは、かなり迷いました。私は保育政策については全くの素人だからです。でも、日本の過去の研究を探しても、無園児を調べた調査は見当たらず、保育の有識者や自治体の担当者に尋ねても、明確な答えは返ってこず、自分がやるしかないと覚悟を決めました。
 研究を始めて一年と少し経った二〇一九年三月二七日、無事に研究成果をプレスリリースすることができました。この時すでに、「幼児教育・保育の無償化」を実現するための子ども・子育て支援法改正案が、衆院本会議で議論されていました。私たちの研究は、参院本会議で多数の与野党議員から取り上げられ、二〇一九年四月二五日、宮腰光寛少子化相より、「無園児については各省庁で連携して研究する」方針が示されました。
 国会レベルで、無園児は対応すべき問題と認識していただけました。しかし、具体的な支援策の議論はこれからです。より多くの人々に無園児の問題を知っていただき、議論を深めていただくために、この本を書くことにしました。

†本書の構成

 第一章では、私たちが行った無園児の研究を紹介します。その上で、なぜ無園児への支援が必要なのか、幼稚園や保育園などの幼児教育にはどのような意義があるのかを、国内外のエビデンスをまじえながら論じます。
 第二章では、「無園児」家庭の実態を具体的にイメージしていただくために、幼稚園や保育園への入園を断られた家庭や支援団体を取材した内容をお伝えします。特に幼児教育の必要性を感じていない無園児家庭にアクセスすることは非常に難しく、取材には限界があったことをお含みおきください。
 第三章では、官民が、それぞれできることを考えてみます。ここでの議論は、無園児にかかわらず、さまざまな社会的弱者の問題に応用できる内容となっています。
 最後に、「三歳以降の幼児教育を義務化すべきか」を、駒崎弘樹さんとの対談を通じて考えてみます。実は、駒崎さんが私たちの研究をブログで紹介してくださった時に、幼児教育無償化まで行ったのならば、「義務化」に歩を進めるべきだと主張されて、SNS上で物議をかもしました。義務化の是非についてご関心のある方が多いと感じましたし、今後の幼児教育の位置づけを考える上で大事な課題だと思いましたので、駒崎さんとの対話を試みることにしました。

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