鬼海弘雄

抽象に逃げるな
一枚の写真:鬼海弘雄の仕事

2020年10月19日、写真家・鬼海弘雄がこの世を去った。無数のイメージが現れては消える現代社会にあって、地に足のついた確固たる写真の表現を追求し続けた稀有な存在だった。本特集では、さまざまな角度から、鬼海弘雄の作品と人となりとをたどる。
「一枚の写真」は、さまざまな方に鬼海作品との出会いをつづっていただくリレーエッセイです。今週は、現代美術家の市川孝典さんです。

鬼海さんの作品との出会いは、2008年頃に遡ります。
作家いしいしんじさんの家で鬼海さんの作品集「persona」をみせてもらいました。朝方まで一緒にその作品集をみて好き勝手なタイトルを付けて遊んでいたのですが、まだまだみたかったので、その作品集をかりて早朝の三崎港を横目で眺めながら、アトリエに帰りました。

その時感じた写真の“圧“と”異様さ“は今でも鮮明に覚えています。タイトルの面白さも。

それから時が経って2012年、雑誌取材の打ち合わせの際に、「鬼海さんに撮ってもらいたい」といつも通りの無茶なことを言ったんです。
結果、いつもの気分でなんとなく発した僕の我儘から、鬼海さんに出会うことになりました。実際は編集部の方のお力なのですが。

鬼海さんが初めて僕のアトリエに来る日の朝、新しく買った自慢のスピーカーで音楽を聴きながら缶ビールを飲んでたら約束の時間になったので、出迎えようと外に出たんです。そうしたら、アトリエの前に大胆に斜めに停められていた車から颯爽と降りてきたのが鬼海さんで、挨拶する間も無くサイン付きの作品集を手渡されました。

この時の話は鬼海さんがblogに丁寧に書いてくださったのですが、「俺を指名してきた生意気な奴はお前かー?!」みたいな感じで嬉しい内容でした。

その日、僕の手の写真をいっぱい撮ってくれて。それも、ハッセルブラッドはソファーに置いて、手に入れたばかりだというデジタルカメラで撮り始めて、「なんでデジタル?! それもカラーだし!」って思ったのをおぼえています。

そして、年が明けて雪の積もる寒い日に浅草寺の鬼海さんの定位置の壁前と立石で、鬼海さんがハッセルブラッドを操る所作を撮られる側として経験できたことは僕の宝物です。凄いんだよ。誰にも教えないけど。

その後は同年代の友人かのように、交流をさせていただくようになりました。ギャラリートークを聴きに行ったら、「あいつは俺の友人の孝典で……」って僕の話を始めてくれて嬉しいけれど、困らされたり。仕事では、一緒に展覧会やトークショーや雑誌の対談をしていただいたりね。

携帯にもよく留守電を入れてくれたり、お家にお邪魔しては、鬼海さんの手料理のタンドリーチキンや山形の郷土料理やパスタをご馳走になりました。どれも手際が良くてすごく美味しいんです。

で、このリレーエッセイのテーマの1枚の写真ですが、ある日鬼海さんに「俺の写真を描けるか?」と突然言われたんです。それもパリで。詳細は省きますが、その言葉が、その後、僕の新しい作品シリーズを創るきっかけとなりました。そして、鬼海さんとの展覧会が実現しました。

こんな機会なので、鬼海さんからよく聞かされた言葉も教えるね。
「抽象に逃げるな」と「コウスケの作品は凄いんだよ」「才能を与えられた人間は辛いんだよ」です!

僕もそう思います。
僕の自慢です。
 

市川 孝典 untitled (Hiroh Kikai) 2015年 / 和紙に焦げ跡 H 1400mm × W1050mm
©Kosuke Ichikawa/Soni.&Co.All Right Reserved.

 
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