ちくま新書

戦争と平和の隙間を衝くロシア暗躍の全貌とは
小泉悠『現代ロシアの軍事戦略』「はじめに」より

冷戦後、軍事的にも経済的にも超大国の座から滑り落ちたロシアは、なぜ世界的な大国であり続けられるのか? 国際秩序が揺らぎ、戦争も形を変えたかに見える現在、劣勢下の旧超大国は、戦争と平和の間隙を衝くハイブリッドな戦争観を磨き上げて返り咲いた。新しい戦争の最前線とロシア暗躍の全貌を活写した、ちくま新書『現代ロシアの軍事戦略』より「はじめに」を公開いたします。

テクノロジーは戦争を変えるか
 以上が本書を構成する論理的な構造(縦糸)であるとするならば、今度は横糸についても触れる必要があろう。つまり、本書の随所に顔を出す筆者の問題意識のようなものである。

 本書の執筆に先立つ数年間、筆者は、新興テクノロジーとロシアの軍事戦略の関係性に大きな関心を寄せてきた。テクノロジーが軍事戦略に与える影響というテーマはこれまでにも繰り返し論じられてきたものであり、この意味では、筆者の関心は古くて新しい。実際、火薬や航海術といった近世の技術革新から、20世紀における航空機・原子力・コンピュータの登場に至るまで、テクノロジーは度々戦争の様相を大きく変えてきた。あるいは国民皆兵制、地図と道路網の整備、自律して戦う戦闘単位「師団」の登場 ―― なども、広義のテクノロジーに含めてもよいかもしれない。

 21世紀初頭の現在においても、勃興しつつある新テクノロジーをロシア軍がどのように取り入れ、実用化しようとしているのかは、同国の軍事戦略を考える上で非常に重要なテーマである。2020年9月に勃発したアルメニアとアゼルバイジャンの紛争においては、後者がドローン(専門的にはUAVと呼ぶ)を駆使したことが注目を集めたが、ではロシア軍における無人兵器の開発・配備状況はいかなるものか? ハイテクに弱いとされてきたロシアは、人工知能(AI)や情報通信技術(ICT)とどう向き合うのか? 米国が先頭を切る新たな宇宙利用や、極超音速飛行技術ではどうか? ―― ほかにも検討すべき新興テクノロジーは無数に存在するが(たとえばバイオ技術、材料技術、付加生産技術、新エネルギーなど)、本書では差し当たり、以上の点に注意を払ってみた。

 それぞれの実態については本書の中で扱っていくとして、ここでは、次の点だけを押さえておきたい。すなわち、新興テクノロジーの出現は自動的に戦争の変容を意味するものではないし、勝利を約束するわけでもないという点である。

 例えばアメリカ南北戦争中に出現したガトリング機関銃は、従来の単発銃とは桁外れの発射速度を実現したが、発明者であるリチャード・ガトリングは、その威力ゆえに軍隊の規模を縮小し、結果的に戦死者を減らせると考えていた。ダイナマイトを発明したアルフレッド・ノーベルもまた、その破壊力が一種の抑止力を生むことを期待していたと伝えられるし、テロリストたちは「この高性能爆薬が抑圧する者とされる者のパワーの圧倒的なアンバランスをひっくり返す」ことを夢見た(タウンゼンド2003)。また、航空機が出現した当初、欧州列強はこの新テクノロジーによる空爆が敵国民や植民地の反乱勢力の戦意を挫き、「人命を節約する」ことにつながるという期待を抱いていた(荒井2008)。

 しかし、こうしたテクノロジーへの期待がどれ一つとして実現しなかったことは周知のとおりである。機関銃も、ダイナマイトも、航空機も、ただそれを手にしただけで勝利をもたらす「魔法の杖」にはならなかった。戦争を戦うのが創意工夫の力を持った人間である以上、新テクノロジーが出現すれば必ず何らかの対抗策が編み出されるからである。

 具体的に言えば、同等のテクノロジーを開発したり、新テクノロジーを妨害・無効化・飽和する手段を採用したり、あるいは正面から対抗することを回避するといった方法がこれに当たる。冷戦期における米ソの核・ミサイル軍拡競争、優勢な大国に対抗した中国やヴェトナムによるゲリラ戦争、スマートフォンを駆使して戦う現代のジハード戦士などを思い浮かべてみれば、テクノロジーの優劣がそのまま軍事的優越には繫がらないことは明らかであろう。

 アフガニスタン駐留米軍司令官を務め、トランプ政権下で米国家安全保障問題担当大統領補佐官となったハーバート・マクマスターが述べるように、戦争は人間同士の「意志のせめぎ合い」なのであって、テクノロジーはその一要素に過ぎないのである(McMaster2013)。

 これをロシアに当てはめて考えてみよう。経済力でも技術力でも西側に対して劣勢にあるロシアは、自らもハイテク化を志向しつつ、その水準は常に西側には及ばないというジレンマを抱え続けてきた。だが、この事実を以てロシアが西側に対する軍事的挑戦を諦めたわけではない。技術的に劣勢であるならばあるなりに、なにがしかの対抗策を編み出すのはロシアも同様であって、この点にこそ現代ロシアの軍事戦略を読み解く鍵が存在する、というのが本書における筆者のもう一つの主張である。

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