ちくまプリマー新書

「シロ」という名の黒い犬? 名前と「らしさ」の不思議な関係

『「自分らしさ」と日本語』より本文を一部公開

社会言語学の知見から、ことばで「自分」を表現するとはどういうことかを考える一冊『「自分らしさ」と日本語』(ちくまプリマー新書)が好評発売中! 本記事では「名前」に対して人びとが無意識に抱いている感覚を見ていくことで、ことばの背後にある社会の規範や価値観を解きあかします。

「きゃりーぱみゅぱみゅ」という名前を聞いた時は驚いた。「名字らしさ」や「名前らしさ」などと全く無関係。日本語らしくもない。そもそも、最初に「ぱりーきゃむきゃむ」と覚えてしまったので、いまだに正しく言うのに苦労している。

 息子が小学生のころ、息子の友だちが夏休みにおじいちゃんのところに遊びに行ったと話してくれた。

「学校の友だちがいないけど、何してたの?」と聞くと、

「おじいちゃんのところには、「けんじ」もいるから」という返事。

「へー。いとこ? よかったね」と言うと、

「おじいちゃんの犬だよ」と言う。思わず、

「え! 犬の名前が「けんじ」なの?」と聞くと、

「そうだよ」とすまし顔。

 犬に「けんじ」という人間のような名前を付けるなんて、すてきなおじいちゃんだな。そして、それを当たり前のように受け入れている友だちも、いい子だな。でも、考えてみれば、犬によくある「ジョン」という名前は、西洋では聖人の名前だ。人間らしい名前と犬らしい名前の感覚も文化によって違うようだ。


 

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ことばと社会とわたしたちの一筋縄ではいかない関係をひもとく。