「きゃりーぱみゅぱみゅ」という名前を聞いた時は驚いた。「名字らしさ」や「名前らしさ」などと全く無関係。日本語らしくもない。そもそも、最初に「ぱりーきゃむきゃむ」と覚えてしまったので、いまだに正しく言うのに苦労している。
息子が小学生のころ、息子の友だちが夏休みにおじいちゃんのところに遊びに行ったと話してくれた。
「学校の友だちがいないけど、何してたの?」と聞くと、
「おじいちゃんのところには、「けんじ」もいるから」という返事。
「へー。いとこ? よかったね」と言うと、
「おじいちゃんの犬だよ」と言う。思わず、
「え! 犬の名前が「けんじ」なの?」と聞くと、
「そうだよ」とすまし顔。
犬に「けんじ」という人間のような名前を付けるなんて、すてきなおじいちゃんだな。そして、それを当たり前のように受け入れている友だちも、いい子だな。でも、考えてみれば、犬によくある「ジョン」という名前は、西洋では聖人の名前だ。人間らしい名前と犬らしい名前の感覚も文化によって違うようだ。
なぜ小中学生女子は「わたし」ではなく「うち」と言うのか?
敬語をマスターすることはえらい?
なぜ強盗は英語を話し、警察官は関西弁を話したのか?...etc.
ことばと社会とわたしたちの一筋縄ではいかない関係をひもとく。