ちくま新書

環境社会学への招待状

近年「持続可能な未来」が喫緊の国際的課題となるなかで、「環境社会学」に関心が寄せられるようになっています。それはどんな学問で、私たちにどのような道筋を示してくれるのでしょうか。第一人者がみずからの研究史を振り返りつつ、その魅力と可能性を紹介する『環境社会学入門』より、「はじめに」を公開します。

 本書は、環境社会学への招待状である。
 環境社会学は、アメリカで1970年代後半に提唱され、日本をはじめ多くの国々で1990年代初頭に確立した比較的新しい学問分野である。国内外では「環境と社会」というかたちで講義がなされることも多い。環境社会学は、環境と社会の関係を、社会学的な方法によって研究する学問であると言ってもいい。
 社会学の研究対象は、長い間、社会関係・社会集団・地域社会・全体社会など、社会的な諸要素、社会システムの内部的な諸要素に限られてきた。社会学の大前提は、社会的なものの自律性にある。
 しかし私たちの社会のあり方は、農林水産業などのなりわい、食糧、景観、地形や地質、河川や湖沼・海洋、山、森林、気象、時間・空間等々、さまざまな自然環境的な諸要素・諸条件に大きく規定されている。社会は、環境的要因・生態学的要因などから自由ではありえない。産業社会は、一見自己コントロール能力を高めたかのように見えるが、私たちがコントロールしえない、コントロールしがたい問題として気候危機などの環境問題に直面している。気候危機も、放射性廃棄物の処分問題も、現代社会に立ちはだかる大きな難題である。どちらも、自然環境の側からの、痛烈なしっぺ返しと見ることもできる。本書の第二章では、騒音などの新幹線公害問題を取り上げるが、世界的に賞賛される東海道新幹線には、設計・建設にあたって、沿線の住環境に与える騒音・振動問題を考慮していなかったという根本的な欠陥があった。水俣病などの産業公害にも、営利を最優先し、排水や排煙などが生態系や住民に与える影響を考慮していなかった、という構造がある。
 一方、社会の側が、自然的な諸要素・諸条件にどのように働きかけ、共存してきたのかを学びとることも重要だ。
 社会学や社会科学が大前提としてきた、社会的なものの相対的な自律性や人間中心的なものの見方に、根本的な疑問を投げかけているところに、環境社会学の大きな意義がある。
 日本でも、SDGs(持続可能な開発目標)が最近話題に上るようになってきた。2030年までに達成をめざす17の目標と169のターゲットからなる。SDGsは総合的・包括的な目標だが、環境・社会・経済の三段階で図示されるように、環境と社会と経済、この三次元の関係を焦点にしている。環境あっての社会、社会あっての経済であることは、現代人が持つべき基本的常識である。
 持続可能な未来を切り拓くためには、環境と社会の関係を、まず検討しなければならない。

 入門書にはいろいろなスタイルがありうるが、本書では、あえて教科書的・体系的に記述するのではなく、環境社会学的な思考や問題意識を著者自身のパーソナルな物語として示すことにした。顔の見える、肉声が聞こえてくるようなパーソナルな誘いができないものか、と長年考えてきた。教室で語られる講義や演習の魅力は、本来この点にこそあろう。
 環境問題や持続可能性、SDGsに関するすぐれた書物は少なくないが、学術的な本になるほど、どうしても著者の肉声が聞こえてこないきらいがある。本書では「既成の学問」という盾を前面に立てて身構えるのではなく、素顔の著者を極力押し出すように努めた。「持続可能な未来」という抽象的な課題への接近を、自分自身の個人史・研究史をとおして試みた。できるだけ臨場感をもって研究の旅路をたどれるように、なぜその環境問題の研究に取り組むことになったのか、当時のリアリティはどうだったのかを再現するように心がけた。そのことをとおして、なぜ環境社会学が誕生したのか、なぜ環境社会学的なものの見方が重要であるのかを、読者にわかりやすく伝えたいと願っている。
 読者も時代の伴走者として、それぞれの個人史・職場などでの経験をとおして、読者自身に極力引き寄せて、追体験的に本書を読み込んでいただけるならば、著者としての望外の喜びである。
 社会学には、市民社会との対話を重視する「公共社会学」という考え方がある(第七章参照)。また、個人の生活史と巨視的な社会変動を媒介する「社会学的想像力」を重視する立場がある。本書は拙いながらも、公共社会学的なアプローチによる環境社会学の実践であり、大きな社会的文脈の中に、私の研究史を位置づけようとした試みである。
 環境社会学が日本で組織的に展開されるようになってからちょうど30年。環境社会学もまたすでに確立した学問のように思われがちだが、飯島伸子や舩橋晴俊(ともに故人)、鳥越皓之、嘉田由紀子(前滋賀県知事・現参議院議員)や私たちが、1960年代後半から、文字どおり手作りで、試行錯誤しながら、築きあげてきたものでもある。環境社会学という学問がどうやってつくりあげられてきたのか、ということをできるだけ臨場感をもって伝えたいと願った。
 文体は、冗漫になるのを避けて「である」体を採用したが、先行研究への言及や専門用語を頻出させることは極力避け、わかりやすい具体例を提示して、骨太に、学生たちに語りかけてきたようなトーンの再現をできるだけ心がけた。注も最小限にとどめ、読みやすいようにすべて本文中に組み込むようにした。市民や学生を主たる読者と想定し、予備知識なしで読めるようなスタイルを心がけた。

私たちは、自分の人生をも他者の人生をも、物語として理解し、構成し、意味づけ、自分自身と他者たちとにその物語を語る、あるいは語りながら理解し、構成し、意味づけていく――そのようにして構築され語られる物語こそが私たちの人生にほかならない。(井上俊「物語としての人生」1996年、25頁)

 井上の「物語としての人生」を踏まえれば、本書は、「物語としての環境社会学入門」と言えるかもしれない。
 読書好きの少年がどのようにして社会学と出会い、職業的社会学者の道を歩むことになったのか、〈コンフリクト(紛争)と社会変動〉という生涯のテーマと出会うことになったのか(第一章)。新幹線をめぐる利害連関、高速文明 対「静かさ」の価値、住民運動の発生・拡大・衰退の過程など、新幹線公害問題のケーススタディから学んだこと(第二章)。力の乏しい集団はどうやって目標達成に成功するのか。グレタらの気候ストライキはなぜ成功したのか(第三章)。カリフォルニア州サクラメントで、住民投票による原発閉鎖はなぜ可能となったのか。原発閉鎖後、電気事業者はどのようにして経営再生に成功したのか(第四章)。青森県六ヶ所村に集中的に立地する核燃料サイクル計画はなぜ止まらないのか。計画を止めれば地域社会はどう再生しうるのか(第五章)。環境社会学を生み出した時代的・社会的背景。日本の環境社会学の特色と独自性(第六章)。持続可能性という新たな価値とその意義(第七章)。
 本書は、恩師や諸先輩との出会いをとおして、社会システム論的な社会変動研究から出発して、新幹線公害問題との出会いを契機に、高速交通網の整備や原子力・エネルギー政策のような公共政策をめぐる、政府や事業者側と住民運動・市民運動との間の社会的コンフリクトの実証研究を経て、環境社会学者を自認するようになり、持続可能な未来をどう切り拓くのか、という問いと向き合うことになった、著者の物語である。
 本書を読み進めながら、読者それぞれに、持続可能な未来との向き合い方を、持続可能な未来をつくるための読者自身の問いを、あらためて自問し、深めてほしい。

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