十代を生き延びる 安心な僕らのレジスタンス

第7回 君もワンチャン狙ってるの?

寺子屋ネット福岡の代表として、小学生から高校生まで多くの十代の子供たちと関わってきた鳥羽和久さんの連載第7回です! 子どもたちが使う「ワンチャン」という言葉は、すっかり定着して日常語になった感じがします。なぜ若い人の間で広まったのかを考えます。

誰にでもチャンスがある時代の価値観


誤解を恐れずに言えば、「ワンチャン」は新しい時代の価値観です。つまり、新しい時代の子どもたちは、意図しないまま大人の噓に反発しているんでしょう。そして、旧来の価値観を押し付けようとする大人に抵抗しているのでしょう。「ワンチャン」は大人のパターナリズムに対するレジスタンスになりえるんです。

例えば、学校には悪しき平等主義があります。それは、生徒全員をできるだけ「同じ」に見ようとする思想です。「同じ」に見ることで生徒間の公平性を担保(たんぽ)できると信じている先生たちがいるんですね。クラス全員に同じ宿題を出すのも、「頑張れば頑張ったぶんだけ成果は出る」と皆に檄(げき)を飛ばすのも、「誰もがスタートラインは同じ」という思想に基づいているわけです。実際のところは、そのほうが多数の生徒を一元管理しながら相対的な評価をつける管理者(先生)にとって都合がいいからそうしてるだけだと思うのですが、公平性という言い訳があるから、それがさも正しいことのようにまかり通っているんです。

でも、これは端的に言って間違いです。しかも、敗者(勉強ができない人、貧困な人など)は努力が足りないから敗者なのだという偏った見方(いわゆる自己責任論)を招きかねない悪質な噓です。実際には一人ひとりに向き不向きがあるし、習得するのにかかる手間も時間も違います。さらに「生まれ」という偶然性が努力以前にその人の人生をいかに左右するかということは、いまや「親ガチャ」という一言で言い表されるほど周知のことになっています。

そんな時代に生きているみんなは、偶然性を「ワンチャン」の一言で自らの味方に変え、それと戯(たわむ)れることで大人の設定を揺さぶり、噓をあばいてしまいます。「誰でも頑張れば成果が出る」よりも「誰でもワンチャンいけるんじゃね」のほうが、リアリティがあるし希望もある。だから、大人の噓よりずっと響きがよくて、頼もしい感じがします。

本当にワンチャンいけるのかな?


でも、人って他人の噓には敏感だけど、自分の噓、つまり自分がデフォルトで設定した噓には簡単に騙(だま)されるって知ってましたか? 大人は自分の噓にすっかり気づかなくなってるけど、それはみんなも同じで、「ワンチャン」にもすでに噓が混じり始めてるから、それに気づかないと取り返しがつかないことになるかもしれません。

ワンチャンのマズいところは、デフォルトでガチャ的発想を含んでしまっているところです。みんなはゲームの中で、アタリのあるガチャに慣れてるかもしれないけど、ガチャって実は中身が入ってなくても、つまりすべてが外れでも成立するんです。要するに、ガチャの本質は全てがハズレかもしれないという可能性を隠蔽(いんぺい)できること、きっとアタリがあるだろうという幻想に浸れることなんです。偶然性という装置に対して、恣意的(しいてき)に希望という色を加えているんですね。

ワンチャンも同じ原理で成り立っています。ワンチャンはワンチャンス(one chance)ですから、そう言ってるかぎり、1つくらいアタリがあると信じることできますよね。でもそのガチャの中身があるって誰が決めたんですか? アタリがひとつも入ってなかったら、あなたはどうしますか?

親ガチャだってそうですよ。親ガチャって「もっといい親のもとで生まれたら、私の人生違ったのに」という嘆きですよね。でも、そういう嘆きはボードレールの「どこだっていい! どこだっていいんだ! この世界の外でありさえすれば!」(N'importe où ! n'importe où ! pourvu que ce soit hors de ce monde !)という言葉を引くまでもなく、あらゆる国のあらゆる人たちが抱いてきた幻想なんです。私はここではない別の場所に行きさえすれば、ワンチャン人生が良くなるに違いない。もしかしてあなたもそう思っていませんか。

でも、残念ながら親にアタリはないんですよ。知ってましたか? 環境に違いはあるにせよ、アタリがあるなんて幻想ですから。まさか、金持ちの親に当たればアタリだと思ってますか。そんなわけないじゃないですか。クソ下品な拝金主義者ですね。まあ、ずっと幻想に浸っていたいなら、いつまでもガチャやってたらいいんじゃないという話です。でも、ガチャって慰(なぐさ)み物だから、使いすぎには注意してくださいね。

こんなふうにネガティブなことを書き連ねると、「ワンチャン」ってダメじゃんみたいになってしまいますが、そうじゃなくて、ワンチャンの手触りには確かに面白いものがあると私は思っています。ワンチャンをすでに実感として知ってるあなたたちは、いまの大人にはない別の感覚を手にしているのですから。

あなたたちは「自由」の手ごたえを知っている


2021年現在のゲームの主流である仮想世界を自由に動き回るオープンワールドゲームは、空間がプレイヤーの行為を先回りすることを注意深く避けます。パターナリズムを排したその空間にあるのは、新たな行為を喚起(かんき)する手がかりのみです。バイオームやモブ(マインクラフト)といった手がかりを通して行為と行為がつながり、やがてそれらが関係性を深め、今度はその関係から新たな機能が生じるゲームの世界では、ミッションのクリアよりも、世界そのものの成熟が求められます。

世界の成熟とはつまり、その世界の中で新たな「文化」が醸成(じょうせい)され、育(はぐく)まれることです。私は、オープンワールドに「文化」の雛形(ひながた)を発見したとき、いまの子どもたちは、こんなに面白いものに夢中になってるんだ、こんなリアルな形で文化が育つ手ごたえを味わっているのかと驚かずにはいられませんでした。

かつて、みんなの親世代が遊んできた場所は、これとは性質が異なっていました。その場所は、そこで行われることがあらかじめ決まっているような場所でした。全国各地のテーマパーク(遊園地)もそう、ドラクエなどのRPGもそう。そこでは、決まった設定とストーリーに沿ってスリルを味わったりミッションをクリアしたりするのが目的だったわけです。でもいまのゲームは当時とは明らかに大きく変容しています。

プレイヤーがオープンワールドゲームの世界に「自由」を感じるのは、そこが無既定の白紙の場所だからではありません。むしろ、既存のRPGと同等の明確な特性を持った世界がそこにあり、且(か)つ、その世界の行動基準がキャンセルされているから「自由」を感じられるのです。

でもリアルな現実世界ではなかなかそうはいきません。なぜなら、手がかりを摑(つか)もうとする前に、あらゆる行動基準によってがんじがらめになってしまうからです。自由に動こうと思っても、周りがそれを許さない(と感じる)。その結果どうしても、与えられたミッションをクリアするようにしか生きることができなくなってしまいます。

だから、現実世界で「自由」を手に入れるためには、現実の中でいかにパターナリズムな行動基準をキャンセルできるかがカギになります。

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