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法って何のためにあって、どう役立つの?

部活のスタメン争い、文化祭での教室の取り合い、修学旅行中の行動がSNSで拡散――中学3年生のタツルくんが出会ったトラブルは、法的な考え方を使うとどう解決できる? 筑駒(筑波大学附属駒場中・高等学校)の人気授業が書籍化! 『法は君のためにある』の冒頭部分を公開します。

 きみは今日学校に行くときに、電車に乗りましたか。電車に乗る、自動販売機(はんばいき)でジュースを買う、友達からお土産をもらう、こうした何気なくやっていることにはすべて法が関係しています。また、部活動の大会に出る人をどのように部活内で選ぶでしょうか。これには部活のルールが関係しています。こう考えると、わたしたちはルールや法に囲まれて生活しているといってよいでしょう。きみの身近にはどのようなルールや法があるか、少し考えてみてください。

 私は中学・高校で社会科・公民科を教えている教員なので、学校の中のルールを挙げてみます。わたしが前につとめていた高校では、運動部の上下関係がきびしく、1年生が、2年生や3年生と話すときは絶対に敬語を使っていました。最初はとまどっていた1年生も2学期ごろになると自然と敬語で話すようになります。1年生が2年生になり、新入生が入ってくると、また同じようなことが()り返されます。このように繰り返し行われて、みんなが守らなければならないようになったものは慣習とよばれます。これはルールの一種です。

 また、私が朝、駅のホームで電車を待つときには、行列に並びます。いくら早くいきたいからといって電車を待っている人の行列に割り()んだら、きっとトラブルになるでしょう。整列して待ち、その列には割り込まないというのも、法律で書かれているきまりではないけれど、なんとなくみんなが従っているルールですよね。 

 生徒に「身近な法を言ってみて」ときくと、「道路交通法!」という声が真っ先にあがります。これは、みんなが道を安全に歩いたり走ったりするための法律です。

 このような法ルール(きまり、ルール、法律というのは長いので、この本ではまとめて法ルールということにしましょう)は何のためにあるのでしょうか。いいかえると、法ルールの根っこにある大切な価値(これを、「法の基本的な価値」ということにします)は何なのでしょうか。きみには「法ルールはなんであるんだろう」、「法の基本的な価値ってなんだろう」という問いを頭のかたすみに置きながら、この本を読み進めてほしいと思います。

 そうはいっても、きみは、なんで「法の基本的な価値」なんてことを知る必要があるの?と思うかもしれません。それは、法の基本的な価値を知っておくと「みんなとうまく生きていける」からです。

 たとえば、わたしがつとめている学校には、音楽祭があります。クラスで合唱をするという行事です。音楽祭の練習は、がんばって賞をとりたいやる気がある人が指揮者やピアニストになって、クラスの練習を仕切っていきます。しかし、練習に来ないで、あまりやる気がないようにみえる人がいます。指揮者やピアニストは繰り返し注意して練習に来させようとしますが、全員が来るわけではありません。そうなると、指揮者やピアニストはがんばっているだけに頭にきて、来ない人に対して言い方がきびしくなります。そうすると、言われたほうはますます練習に来なくなり、関係が悪くなっていきます。

 これと同じようなことは、きみの学校にもあると思います。ここで、法の基本的な価値を知っているとどうなるでしょうか。法が大切にしている価値はいろいろとありますが、最も基本的なものは次のような図になります。 

 
 そのうえで、みんなで音楽祭の練習をするためには、(たが)いの意見を言いあって、それぞれの考えや事情に合わせてバランスよく練習を組む必要があります。たとえば、水曜日の放課後2時間だけは来てもらうことにしたり、他のパートと時間をずらしたり、オンラインで自宅から参加してもらったりといろいろな方法が思いつきます。これは、みんなが公正になるように「バランスをとる」ことであり、「自分らしく生きる」自由を確保するということを意味します。そうした努力があって、みんなで音楽祭の練習に参加して合唱を成立させることができるのです。これが「みんなとうまく生きていく」、つまり共生ということです。法的な価値を意識すると、自分とは考えのちがう人たちともうまくやっていきやすくなるのです。つまり、法ルールはみんなとうまく生きるためのものといえるでしょう。

 法ルールがみんなとうまく生きるためのものであるならば、その内容は固まったものではなく、変えることができるはずです。音楽祭の練習に水曜日の放課後2時間は参加すると決めたけれど、どうしても外せない別の用事が急に入った場合、その法ルールは変えることができなければ「みんなとうまく生きる」とはいえないでしょう。もちろん、いったん決めたものを簡単に変えたら、指揮者やピアニストは(おこ)ってしまいます。そうではなく、いったん決めたけれど、どうも不都合が多いということであれば、変えられる柔軟(じゅうなん)性が必要なわけです。法ルールはかちっと固定されたものではなく、変わっていくことができるものなのです。 

 この本の内容は、わたしがこれまで中学生や高校生に行ってきた社会科・公民科の授業や、実際にわたしや中学生が経験したことがもとになっています。学校にはさまざまな生徒がいます。法ルールに興味がある生徒もいますが、そうでない生徒も多くいます。できるだけ多くの人に楽しんで授業を受けてもらうために、具体的な場面と問いをつくり、自分で考えることができるようにしてきました。ぜひ、この本を使って、学校や社会で起きている問題を自分の頭で考えてみてください。

 

 続きはぜひ本書で。

 

 

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