ちくま新書

少子化時代の課題と共栄の道を関係史に探る
『自治体と大学――少子化時代の生き残り策』自著解題

人口減少によって消滅の可能性さえ取り沙汰される自治体と大学。それぞれの課題と共栄の道を関係史に探る『自治体と大学』の自著解題をお届けします(PR誌「ちくま」9月号より転載)

 わが国の大学数は二〇二一年に八〇三となった。少子化、そして人口減少時代でもまだ増え続けているのだ。大学冬の時代といわれて久しいが、公立大学は来年には百の大台に達する見込みだ。大学などの高等教育は基本的には国の責務とされているが、実際には自治体が、様々な役割を果たしてきたのだ。

 明治期、京都、九州、東北といった帝国大学設立でも土地を提供したり、補助金を用意したりと自治体は大学誘致に奔走してきた。この明治期以来の「慣例」は、長きにわたって引き継がれていく。もし、福岡関係者の頑張りがなければ、今頃は熊本が九州の中心として栄えていたのだろう。

 戦前、自治体にとって、大学という存在はブランドでもあり、都市の風格を象徴するものであった。これが戦後になると少し風向きが変わってくる。せっかく旧制専門学校を公立大学化しても、財政難などの理由から医学部や理工系の学部を手放す県が相次いだのだ。

 地方財政がある程度安定してくると、今度は公立大学の設置や私立大学の誘致が地方で相次ぐ。戦後、新制大学、それも文系中心の私立大学が東京圏など大都市部で数多く新設されていた。郊外のゆったりとしたキャンパスを有する欧米の多くの大学とは様相を異にしていた。首都圏への一極集中は工場だけでなく、大学でも顕著だった。国が立地制限を行う中で、学生の確保を目論む学校法人と地方の利害は一致したのだ。

 高度経済成長期から安定期に転換する中で、自治体の大学誘致合戦は熱を帯びてくる。自治体にとっては、大学が誘致されることで、一八歳から二二歳までの若い世代が地元に住むこととなる。様々な経済効果も期待できる。首尾よく、地元に定着してくれればこれほどありがたいことはない。また、地元の進学を控えた世代にとっても選択肢が増えることとなる。

 このように、大学が出来ることは地域にとっていい事ずくめだ。だからこそ、自治体は用地を準備し、施設整備のための補助金を用意する。学校法人にとっても悪い話ではない。

 当然のことながら、ライバルの存在は無視できない。県内外で誘致する他の自治体の動きを気にしながらアプローチするのだ。一方で、新たなタイプの国立大学の設置を国が決めると誘致合戦も激しさを増す。

 自ら公立大学を設立する自治体も増えてくる。国が高齢化対策でゴールドプランという福祉戦略を策定すると、自治体も国の取組みに沿って相次いで看護系の公立大学を設立した。二一世紀に入ると個性的な公立大学の設立や自治体が設立時に多くの資金を投入したいわゆる公設民営大学の公立化が相次ぐ。

 いつの時代も自治体は地元に大学を作ることを切望してきた。無駄なことをしているのでは、という声は地域ではほとんど聞こえてこない。それは都会への怨嗟の裏返しかもしれない。大学誘致や設立に百億円単位の税金を投入することを批判する声は都市部などでは大きな声となるのかもしれない。だが、地方にとっては切実な願いなのだ。

 もちろん、冬の時代は撤退の時代でもある。すでに、各地で廃校や学校法人のすげ替えなど、居抜きともいえるような状況が増えている。それでも、大学を求める地方の声はやまない。

 正直、大学という業界にはありとあらゆる課題が山積している。大学の常識は世間の非常識ということが満ち溢れている。もちろん、自治体にも様々な課題は山積みだ。自治体と大学の両方の世界にまさに両足を突っ込んでしまった人間からみれば、この二つがときに対立しつつも、しっかりと協調し、地域社会の未来を築き上げていく営みが必要だと感じる。特に大学教員の意識改革は急務である。それはいわゆる改革派首長も同様ではあるが。

 地方創生を上滑りの掛け声に終わらせないためにも、自治体と大学のあり方を本書を通じて一人でも多くの人に考えてもらえれば幸いである。

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