あなたの悩み、世界文学でお答えします。

〈7〉 家族に尽くしてきたのに、ないがしろにされています
☞ アガサ・クリスティー『春にして君を離れ』がオススメ

「恋のツラみ」から「職場でのつまずき」まで、現代人のお悩みに、世界文学のあの作品この作品を紹介しつつ、キリッと答えていく堀越英美さんの好評連載。今回のお悩みは……

【お悩み】ベテラン主婦です。今まで自分のことは後回しにして、内助の功に徹してきました。夫が仕事で成功したのも子どもたちがいい学校に行ったのも、私のサポートによるところが大きいと思っています。それなのに、家族は私をないがしろにします。夫が女性と楽し気にやりとりをしているLINEを偶然見てしまい、不愛想なのは私に対してだけだったのかと愕然としました。良妻賢母でいれば感謝されると信じて長年尽くしてきたのに、さみしくてなりません。

【お答え】アガサ・クリスティー『春にして君を離れ』を読んで、家族から離れてみよう!

 

◆ サスペンス仕立てで描かれた、専業主婦の孤独

「主婦業ほど尊い仕事はない」「男を立てて手のひらで転がすのがいい女」「本当に賢い女は自分は表に出ず夫を操って出世させる」「女は男の胃袋を掴めば勝ち」等々、無償で人の世話をする女性こそが権力者であり勝ち組であると刷り込む言葉は枚挙にいとまがない。だが、お金を稼がない者の立場は弱く、見下されやすいのが資本主義の現実だ。建前と本音のはざまで、孤独を感じる主婦は少なくない。ミステリーの女王アガサ・クリスティーが、こうした建前に翻弄される専業主婦の孤独をサスペンス仕立てで描いたのが、『春にして君を離れ』だ。

弁護士の妻である主人公のジョーンは、三人の子どもを育て上げ、平和な家庭を築いてきた。メイドやナニー(育児・教育を専門にするベビーシッター)を取り仕切り、地域活動の理事や書記、評議員、ガールスカウトのリーダーまでこなし、ホームパーティでご近所づきあいに励む彼女は、模範的な専業主婦といっていい。バグダッドに嫁いだ末娘が病気になれば、婿は頼りにならないからとイギリスから自ら出向いて采配をふるう。女の役目を立派に果たしてきたと自負するジョーンは、家族から感謝されることを疑っていない。

だがイギリスへの帰途、砂漠のまんなかで数日間足止めをくらったジョーンは、つれづれなるままに家族との関係を回想しはじめる。駅まで見送りに来てくれた夫ロドニー。 激務のせいか、疲れ切っているように見えた。でも汽車が動き出してから、見違えるように軽快な足取りでプラットフォームを歩きだしていたような……。まるで重荷を取り払ってもらった人のように……。私がいなくなってうれしい? いや、そんなはずがない。夫の経済的成功を導いたのは私なんだもの。子どもたちだって、私のことを愛しているに決まってる。反抗していたのは、むずかしい年ごろだっただけ。私はいつだって、人のことばかり考えてきた。

自分のことなんて、ほとんど考えたことがないくらいだった。いつも子どもたちのことや、ロドニーのことばかり考えて暮らしてきたのだ。(p.171)

◆ 完璧な妻・母を任じてきた最強コンサバ妻

ジョーンの回想が進むうちに、読者は気づく。完璧な妻・母を任じてきた最強コンサバ妻ジョーンは、夫や子どもたちの職業選択や交遊関係まで支配しようとして、家族に敬遠されていたということに。

本書は勘違い主婦ジョーンを断罪する小説ではない。規律の厳しい女学校育ちのジョーンは「他者を優先して自己を犠牲にするのが正しい女の生き方である」という建前を仕込まれ、それ以外の価値観を知らずに大人になっただけなのだ。自分の欲求を直視し、葛藤するなかで自身の価値観をはぐくむ機会がなければ、お金、地位、名誉といった世間のものさしでしか人を測れない。家族を最優先しているはずの彼女が夫や子どものやりたいことを一顧だにせず、世俗的な成功を押し付けるのも無理はない。ジョーン自身、やりたいことを自由に追求する楽しみを知らずに生きてきたのだから。そのことは、ジョーンとロドニーの会話からもわかる。

「一種の奴隷じゃないか、彼らは。我々の与える食物を食べ、着せるものを着、我々の教えこむことをしゃべる。我々の与える保護の、代償としてね。しかし子どもたちは、日一日と成長し、それだけ自由に近づくのさ」  

「自由ですって?」とジョーンは軽蔑的にいった。「そんなもの、いったい、この世の中にありまして?」(p.130)

「幸せ、幸せって、誰も彼もまるで一つ覚えのようにいうのを聞いていると、わたし、何だかじれったくなってきますのよ。(…)幸福が人生のすべてではありませんわ。世の中にはもっと大切なことがあるんですもの」           

「たとえば?」                                                                                 

「そうね――」とジョーンはちょっとためらった。「たとえば義務ですわ」(p.213)

ジョーンにとって、人生とは幸せを追求するものではなく、与えられた義務を果たしていくものにほかならない。自分の人生を生きたことがなく、家族に尽くしてコントロールすることで自尊心を満たすしかないジョーンは、圧政者であると同時に被害者でもある。家族は狭い価値観に閉じ込められたジョーンの不幸をわかっていたから、言い争いではなく距離をおくことで「かわいそうな」ジョーンに対処してきたのだった。

友人に金を貸してはいけないのは、借りた側が負い目を感じるあまり、貸し手を避ける心理がはたらきやすいからだとよく言われる。厚意で貸したのに借金取り扱いされるなんて理不尽なようだが、罪悪感や負い目といった負の感情を喚起させる人間からは逃げたいと思うのが、一般的な心情なのだろう。

家族への奉仕も似たような事態を引き起こしやすい。してあげたことへの感謝を求める気持ちが、相手の負い目になる。献身的な妻をもつ夫が(往々にして正反対のタイプの女性と)浮気をしがちなのも、負い目による息苦しさから逃れたいという感情によるところが大きいのではないだろうか。

◆ うざがられる理不尽に耐えるくらいなら、一人旅を!                                         

ジョーンの夫にもまた、心を惹かれる女性がいた。近所の未亡人レスリーだ。教育よりも子どもとのごっこ遊びに全力で、迫真の演技でオットセイになりきったり、雄たけびをあげながら匍匐前進したりするレスリーは、ジョーンにとっては哀れみの対象でしかなかった。こちらが椅子カバーの話をしているのに、エネルギー量子の話を楽しそうにぶちこんでくるなんて、空気が読めないにもほどがある。しかしジョーンの夫は、乳牛の話をわくわくした顔で聴いてくれる彼女にひそかな癒しを感じていた。ゆるぎない自分の基準をもち、世間体を気にすることなく生活を楽しみ、人生の苦難にも勇敢に立ち向かうレスリーは、ジョーンの夫にとって唯一心を通わせられる女性だったのだ。二人が少し離れて座って景色を眺めている姿を目撃したときから、ジョーンはそのことにずっと気づいていたのかもしれない。

砂漠で過ごした数日間は、ジョーンがはじめて自分のためだけに使えた時間だった。彼女は深く考えないようにしてきた数々の不安に向き合い、ようやく自分と家族の真の姿を知る。

ジョーンはわかりやすく独善的な女性だけど、結婚して子どもが生まれれば世話という義務が大量にふりかかってくるし、幸せばかりを追求していられないし、それでも自分が幸せだと思い込まなければやっていられない、というのは少なくない女性に共通する現実でもある。そうこうするうちに、自分の感情を見失い、他人の世話のなかにしか自分の存在意義を感じられなくなってしまうのも、ありがちなことだ。

自分が本当は何を求めているのか。求めるものを得るためには何をすればいいのか。自分を見つめなおすには、孤独で自由な時間が必要だ。さみしさはチャンスでもある。家族に尽くしているのに借金取りのようにうざがられる理不尽に黙って耐えるくらいなら、家族から離れ、一人旅をしてみよう。

◎『春にして君を離れ』アガサ・クリスティー著、中村妙子訳、ハヤカワ文庫、2004年      

アガサ・クリスティー(1890-1976)は英国の推理小説家。保養地として有名なデヴォン州トーキーに生まれる。1914年、空軍大佐アーチボルド・クリスティと24歳で結婚し、20年には長編『スタイルズ荘の怪事件』で作家デビュー。エルキュール・ポアロ探偵は、この作品から登場。26年、『アクロイド殺人事件』を刊行し話題となるも、11日にわたる謎の失踪事件を起こす。28年にアーチボルドと離婚し、30年に考古学者マックス・マローワンと再婚。『牧師館の殺人』(1930)に初登場の老女ミス・マープルは、ポアロと並ぶ名探偵として知られる。『オリエント急行の殺人』(1934)、『そして誰もいなくなった』(1939)など、100篇以上の長篇、短篇、戯曲を発表し、「ミステリーの女王」と呼ばれる。(編集部)

 

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