【お悩み】私はある芸人さんの大ファンで、ラジオをよく聴いています。最近その人が一回り以上年下の女の子と年の差婚をして、SNSですごく叩かれています。私だってロリコンは嫌いですが、その人のラジオを聴いていれば、そんな人じゃないことはわかります。それなのに何もわかってない人たちがSNSで犯罪者扱いしているのを目にすると、心底イライラします。SNSを滅ぼすいい方法はないでしょうか?
【お答え】『緋文字』の不倫ヒロインから、世間と自己を切り離す胆力の身につけ方を学ぼう
名作文学には、年の差婚からの不倫を描いた作品が珍しくない。『アンナ・カレーニナ』(トルストイ)の主人公アンナは恋を知らぬまま20歳年上の政府高官カレーニンと結婚し、子をなしてから青年将校ヴロンスキーと恋に落ちる。若くして町の有力者と結婚した『赤と黒』(スタンダール)のレナ―ル夫人も、子どもの家庭教師として雇った美青年ジュリヤンに言い寄られて初めてときめきを知る。『ボヴァリー夫人』(フローベール)のように、両親の言うなりに年金収入のある45歳女性と結婚した新米医師が若い女性に一目ぼれする作品もある。
SNS以前の世界でも、「年長者が年少者の無知につけこんでいるだけで、本物の恋愛ではない」「そのうち若いほうが飽き足りなくなって不倫をするに決まってる」「しょせん金目当て」といった想像をかきたてやすい年の差婚は、文学やゴシップの題材になってきた。恋愛に身分や国籍は関係ないが、年齢(と見た目)は大いに関係あるとするのが、世間的なものの見方なのかもしれない。
◆ ハレンチな罪人として村八分にされたヒロイン
19世紀アメリカ文学を代表するナサニエル・ホーソーンの代表作『緋文字』の主人公ヘスター・プリンもまた、年の差婚からの不倫をした女性である。舞台はイギリスの清教徒がユートピア建設を夢見て入植してきた17世紀アメリカ東部のニューイングランド。ヘスターは若くして老学者と結婚し、多忙な夫に先だってニューイングランドの清教徒が集う町ボストンへやってくる。だが2年たっても3年たっても夫からは音沙汰がない。おそらく海の底に沈んでるのだろうと周囲が思っているうちに、ヘスターは父親のわからない子どもを身ごもってしまう。清教徒の世界では、姦通は死に値するくらい重大な犯罪だった。決して父親の名を明かそうとしないヘスターは、ハレンチな罪人として私生児パールを抱っこしたまま晒し台に立たされる。その胸には、金糸の縫い取りを施した緋色の「A」の文字がつけられていた。判事は罪の証として、この緋文字を生涯つけ続けることをヘスターに宣告していたのだった。
ヘスターが父親の名を明かさなかったのは、相手が抜きんでた知力と容姿と清廉潔白さで町人たちの尊敬を集めていた若き牧師、アーサー・ディムズデールだったからである。清教徒の町で爪弾きになりながらも、ヘスターは心底愛した男の名誉と前途を守り抜くため、娘のパールと二人きりで力強く生きる覚悟を決めた。「A」を罪や悔恨の印ではなく、愛する男の頭文字と考えたヘスターは、村八分にあっても誇り高くあることができたのだ。
◆ 有能さの印となった緋文字の「A」
罪人として村八分にされ、嘲りを受けつつも、ヘスターの確かな針仕事の腕は町民の間で重宝された。皮肉にもヘスターの手になる美しい「A」の刺繍や、一人ぼっちのパールをみじめにさせないためにこしらえたきらびやかなプリンセス風の子供服が宣伝になったのである。贅沢を禁じる厳しい掟にひそかに息苦しさを感じていた清教徒の人びとは、貴族の衣装と同レベルの刺繍を安価で応じてくれるヘスターの針仕事におしゃれ心をくすぐられずにはいられなかった。ヘスターはひどい扱いに文句ひとついわず、娘と二人で質素な暮らしを続け、その仕事には手抜き一つなかった。やがて町の人びとは、「A」を罪の証ではなく、有能さ(Able)の印だと考えるようになった。
人間というものには良いところもあって、もし我欲が絡んだりしないならば、人間は憎むよりは愛したくなる。初めに憎らしく思った事情が何度も蒸し返されたりしないなら、憎しみは徐々にではあるが愛に変容を遂げもする。ヘスター・プリンについて言えば、いまさら目障りでも腹立たしくもなかった。(……)いったん道に迷った者が、まっとうな道に立ち返ったとすれば、ただ純粋な道徳心によるものとしか思えない。(p.262)
また、ヘスターが誹謗中傷に耐えていることは、ほかならぬ町民がよく知るところだったから、悩める人びとにとっては苦しみを知るヘスターの訪問が心の支えになった。
まるで暗がりという場においてのみ、ほかの人間との関わりが許されるかのようだ。そういうところで刺繍の文字が光を放った。この不思議な光が不安を和らげる。いつもなら罪の印でしかない文字が、病室を見舞えば灯になる。(…)恥辱の記章をつけた胸は、それだけに柔らかい枕となって、苦しむ者の頭を受け止めた。もちろん非公式だが慈悲の修道女になったとも言える。(p.263)
ヘスターは「罪人なのにやるじゃん」という観点から愛され、表向き避けられながらも、聖人と目されるようになったのである。子どもたちに仲間外れにされていた娘のパールも、そのことを気にするそぶりは見せなかった。鞭打ちなどの抑圧的な躾を受けた清教徒の子どもたちの遊びは、クエーカー教徒迫害ごっこやインディアン頭皮はぎごっこといった陰気なものばかりで、のびのび育ったパールが参加したいものではなかったのだ。生命力にあふれたパールは、花や棒きれなどあらゆるものに精神を吹き込み、自然界のすべてと友達になっていた。
◆ 除け者にされ続けたことで得た自由
ヘスターは、ロジャー・チリングワースと名を変えた夫に再会する。恋を知り、一人で苦難を乗り越えて自立したヘスターにとって、老いた夫の姿は厭わしいものでしかなかった。薬草を摘むチリングワースの後ろ姿を見て、若草があの男の足元だけ枯れ、足跡が「茶色い枯れ草の小道」になってもおかしくないのに、と思ったりもする。あの男が摘めば薬草だって毒草になりそう。陽光だって避けてとおりそう。なんかくるくる動いてるけどいきなり地中にもぐったりしないかな。こんなことを思うくらい、ヘスターは夫を気持ち悪いと感じてしまっているのだ。
「どうして夫婦になることを承知したのか、それ自体が不思議である。もし悔やむべき過ちを犯したとするならば、半端にぬくもった男の手を受け入れて、こちらから握り返したことではないのか」と結婚を後悔するヘスターは、不倫をした自分よりも、若い自分と結婚した夫のほうが悪いと考える。「ものを知らない女心をたぶらかして、この男となら幸せでいられると思わせたことのほうが、よほどに非道ではなかったか」(p.288)
これこそが年の差婚の悲しみかもしれない。書き手は明らかに若いヘスターに肩入れしているし、大方の読者もヘスターのほうに感情移入してしまうだろう。チリングワースもそれがわかっているのか、妻よりもディムズデール牧師に憎しみを燃やすようになる。牧師は牧師で、罪を告白できない苦しみから病んでしまう。男たちが憎しみと悔恨で弱っていく一方で、地域も世間も切り捨て、大切なものだけを守っていく強さを身に付けたヘスターと、自然界と会話し陽光に愛されるパールは、ますます光り輝いていく。
弱り切ったディムズデール牧師と森の中で密会したヘスターは、この町を出て新天地で活動するようにハッパをかけた。「文明世界にあって第一等の知識人におなりください。説教、執筆、行動!」。だが牧師はウジウジしたままだ。「私はここで死んでいく。いまから見知らぬ広い世界へ乗り出して苦労するほどの体力も気力もない。一人では無理だ!」「一人では行かせません!」(p.325-326)。身分の高さゆえに社会に縛られる牧師に対し、ヘスターは7年もの間「疎外された観点から人間社会を見て」きたことで、社会の外側から人間の正しいあり方を考えられる、だれよりも強く自由な女になっていたのである。
たどってきた運命は、ヘスターを自由に考えさせる方向に作用した。緋文字がパスポートになったのだ。ほかの女には踏み込めないところにまで、ヘスターは行っていた。恥辱、絶望、孤独。そんなものがヘスターの教育になった。(p.327-328)
世間も宗教も裁判も、ヘスターにとっては奇妙な風習にすぎなくなっていた。だから何を言われても、もはや傷つくことはない。
◆ SNS世間から自己を切り離そう
17世紀の清教徒の町ではない現代社会においても、共同体の維持にふさわしくないとされる性愛行動はいつだってゴシップの良いネタだ。文化人類学や社会心理学の観点から見れば、ゴシップは規範意識を集団に広め、大きな社会集団の結束を維持するのに役立ってきたという。そういう意味で有名人は、常に「晒し台」に立たされやすい立場にある。とくに未成年の子どもがいる有名人の不倫がゴシップとして可燃性が高いのは、子持ちの不倫が許容される風潮が広まれば次世代育成に重要な役割を果たす結婚の価値が崩れ、社会の安定が損なわれるとみなされているせいだろう。同じく年の差婚がゴシップの種となり、失敗例が広まるのも、そのもろさを年少者に知らせ、年長者をけん制する意味を持つ。
もちろん個々の人間は、パターン通りに生きているわけではない。ありがちなケースに自分の人生を一方的に当てはめられてあれこれ言われるのは、大きなストレスだ。自分ごとなら法の力を借りるなりして闘うこともできるが、他人のゴシップはどうにもならない。世間がSNSという形で見えやすくなった時代を生きる我々は、世間と自己を切り離す訓練をするしかないのだ。好きな芸能人のゴシップに「恥辱、絶望、孤独」を感じたら、ヘスターのようにその傷つきから人間社会を俯瞰する視点を学ぼう。そして断片的な情報から他人を断罪したくなったら、ヘスターのかっこよさを思い出そう。
◎『緋文字』ホーソーン著、小川高義訳、光文社古典新訳文庫、2013年
ホーソーン(1804‐64)は米国の作家。マサチューセッツ州セイラムの、厳格なピューリタンの家系に生まれる。メイン州のボードン大学を卒業後、故郷に戻り、孤独な生活を送りながら読書と創作に専念。1828年、24歳にして長篇『ファンショー』を匿名で刊行するも、この作品が気に入らず、自ら回収する。37年、短編集『トワイストールド・テールズ』を刊行。38年、ボストン税関に職を得るも41年に辞職し、理想主義的な実験村ブルック・ファームに参加するが、幻滅し脱退。46年、セイラムの税関に就職するが政変のため失職。同年9月に『緋文字』の執筆をスタートさせ、翌50年3月に刊行し、一躍文名を上げた。子ども向けの『伝記物語』『ワンダーブック』も広く知られる。(編集部)