あなたの悩み、世界文学でお答えします。

〈11〉妻が子どもを産みたがりません
☞ メアリー・シェリー『フランケンシュタイン』がオススメ

「恋のツラみ」から「職場でのつまずき」まで、現代人のお悩みに、世界文学のあの作品この作品を紹介しつつ、キリッと答えていく堀越英美さんの好評連載。今回のお悩みは……

【お悩み】かわいい子どもたちに慕われる温かい家庭が築きたくて、家事をすべて任せられる真面目で働き者の女性と結婚。中古住宅を購入し、そろそろ子どもがほしいと妻に切り出したところ、なんと「自分に似ている子を愛せるかどうか、わからない」「仕事と育児を両立できる自信がない」などと言って渋るではありませんか。妻の会社は福利厚生が整っていますし、僕も休日は育児を手伝えます。それなのに愛せる自信がないなんて、母性本能のないダメ女と結婚してしまったのでしょうか。妻の心を変えられる、いい方法はないでしょうか。

【お答え】『フランケンシュタイン』を読んで、生命を世に送り出す責任を実感しよう

 

◆父親の育児責任の重さを描く『フランケンシュタイン』

自分が慕われることだけを想定して子どもを作ろうとするのは、ちょっと待ったほうがいいかもしれない。最近は「親ガチャ失敗」という言葉も流行っているけれど、親は好みの子どもが生まれなかったからといって「子ガチャ失敗」などと切り捨てるわけにはいかない。親子の縁は簡単には切り離せないからこそ、育児責任が重くのしかかることもある。育児から逃げる選択肢のない女性が、あらゆる可能性を想定して出産を躊躇するのは当然のことである。真面目な女性ならなおさらだ。

子作りの前に考えなければならないのは、どんな子どもであっても、その責任が全面的に自分にかかるとしても、子どもがほしいと思えるかどうかだ。女性を介さずに人間を創っったために、暴力息子の製造責任を誰にも押し付けられずに背負うことになった男の苦悩を描いた『フランケンシュタイン』で、最悪の事態を疑似体験してみるといいかもしれない。

◆理想の人間ができるはずだったのに

幼いころから自然の仕組みに心惹かれていた主人公ヴィクター・フランケンシュタインは、退屈な科学の勉強よりも、魔術のようなオカルト科学に魅せられていく。大学に入って生理学などを学んだヴィクターは、自分には生命を創り出す力があると信じるようになり、解剖室や食肉処理場からパーツを集めてきて、人間を作ろうとする。つややかな髪、真珠のように白い歯。均整の取れた四肢に、美しい容貌。自分好みのパーツを集めれば、最高の人間ができるはず。作業が細かいと時間がかかるから、大きめ(8フィート)に作ればヨシ。「わたしの手で新たに生を受けた種は、わたしのことを造物主と讃え、やがて幸福にして優れた者たちがわたしのおかげであまたこの世に出現することになる」(p.102-103)と夢見るヴィクター。きっと子どもたちは優秀に作ってくれた僕に大感謝するだろうな……。

ところが動き出した生き物はとんでもなく不気味な存在で、ヴィクターは恐怖と嫌悪で逃げ出してしまう。美しいパーツを集めたはずが、血色が悪すぎるうえ、皮膚から血管や筋肉が丸見えだったのだ。何より身長がデカすぎた。

◆育児責任を問う怪物

たった一人の親に育児放棄され、名前さえつけられず、愛されることを知らないまま放置された怪物は、愛を求めて人々に近づいては醜さゆえにひどい目に遭わされる。やがて怪物は、あらゆる人間を憎む復讐の鬼になってしまう。とりわけ自分を捨てたヴィクターを恨み、彼が愛する者たちを次々に死に至らしめようとする。

当初は被害者意識しか持てなかったヴィクターだが、2人目の犠牲者が出たとき、ようやく自分が「真の殺人者」(p.174)なのではないかと製造責任を自覚しはじめる。怪物はもともと、書物によって自力で言葉を覚えるほど勉強熱心で大人しい生きものだった。ヴィクターにかわいがられて人間界のふるまいをきちんと教えられていたら、殺人鬼になることはなかったはずだ。ヴィクターと対峙した怪物は、彼の育児責任を問う。

「人間とは、みじめな存在を憎むもの。ならば、生きとし生けるもののなかでも図抜けてみじめなこのおれが、嫌われないわけがない。だが、おまえまでもが、このおれの創造主であるおまえまでもが、己の手でこしらえたおれを憎み、拒絶するというのか。おまえとおれは、どちらかの魂が消滅せぬ限り、切っても切れない絆で結ばれてるというのに。(…)なぜ、そのように生命を弄ぶ? まずはおれに対する義務を果たすのが筋ではないのか?」(p.199)

「呪われたる造り主よ、おまえすらも嫌悪に眼を背けるような怪物を、何ゆえに造りあげたのだ? 神は人間を哀れみ、自らの姿に似せて美しく魅力的に造りたもうた。だが、この身はおまえの醜悪な似姿だ。似ているからこそおぞましいのだ。サタンにさえ、同胞の悪魔がいて、ときに崇められ、ときに励ましを得ていたというのに、おれは孤独で、忌み嫌われるばかりじゃないか」(p.257)

ヴィクターから何度も拒絶され、親の愛をあきらめた怪物は、せめて自分と同じくらい醜い女の怪物を作ってほしいとヴィクターに頼む。「おれと同じぐらい醜く、恐ろしい者なら、おれを拒みはしないだろう」(p.283)。願いを聞き届けてくれれば、人間の前に二度と姿を現さないと怪物は誓う。

一度はその頼みを聞き入れて、女の怪物を造り始めたヴィクターだったが、「女の怪物が怪物を受け入れるとは限らないのでは?」という疑問に行き当たる。できたてホヤホヤの怪物は約束など知ったことではないのだから、イケメンのほうがいいと言い出すかもしれない。そもそも自分の醜さを憎んでいるあいつだって、同じくらい醜い女を愛せるとは思えない。相思相愛になったとして、怪物が繁殖して人間を脅かすようになったら……。ヴィクターはそこまで考えて震えあがり、途中まで作った女の怪物をズタズタに引き裂き、海に投げ捨ててしまう。そのことを知った怪物は、ヴィクターを絶望の淵に叩き落とす最悪の行動に出る。怒りに燃えるヴィクターは怪物の息の根を止めようと、ジュネーヴから地中海を渡り、黒海、中央アジア、ロシア、さらには北極までも追いかけまわし、壮大な親子バトルを繰り広げるはめになる。

◆怪物を育てる覚悟を決めよう

ヴィクターは親としての責任を何度も拒否し、そのことによってさらに怪物に追い詰められる。こういう親子関係は、子どもが死体をつなぎ合わせた2.4メートルの怪物じゃなくても、よくみられるものだ。もちろん、生まれてくる子どもはかわいいだろう。それでも2時間おきに授乳が必要で、夜中に泣きわめいてなかなか寝付いてくれない赤ちゃんが、怪物のように見えることもある。人間界のルールをまだ習得していないという意味では、子どもも怪物も変わらない。時間をかけて作った離乳食を吐き出されることも、うんちとおしっことゲロにまみれるのも日常茶飯事だ。保育園に通い始めれば何度も病気をもらってきて、週のほとんどを欠勤せざるをえず、職場の目が厳しくなることもある。

ある程度大きくなっても、手が離れるわけではない。誰かに怪我をさせれば菓子折りを持って謝りに行かねばならないし、不登校になったら自分が休んで面倒を見るか、フリースクールなどの居場所を探さなくてはいけない。思春期には家の壁に穴を開けるほどの暴力をふるうこともあるだろう。それらすべての責任を自分が引き受ける覚悟はあるだろうか。妻がやればいいと思うかもしれないが、出産トラブルで妻が死んだり後遺症を負う可能性もあるのだ(『フランケンシュタイン』の著者メアリー・シェリーは、自身の誕生と引き換えに母親を亡くしている)。

少なくとも育児のパートナーとなるはずの人間がいいとこどりをするつもりしかなく、「面倒事が起きても母性本能で(お前が)どうにかするっしょ!」というスタンスであるかぎり、妻の不安が解消しないのは確かだ。一人で育児を担うつもりで、出産によってどのような面倒事が発生するか、できるだけ洗いだしてみよう。そしてこの世に生命を誕生させる決断を下すにふさわしい覚悟が決まってから、もう一度真摯に話し合おう。

 

◎メアリー・シェリー『フランケンシュタイン』芹澤恵訳、新潮文庫、2014年

メアリー・シェリー(1797‐1851)は英国の小説家。『政治的正義』などの著作のある社会思想家で、小説家としてはゴシック小説『ケレイブ・ウィリアムズ』を著したウィリアム・ゴドウィンを父に、女性の権利拡大を訴え、『女性の権利の擁護』などを著したメアリー・ウルストンクラフトを母に持つ。娘を産んで数日後に母は他界。1814年、交流のあった詩人シェリーとヨーロッパ大陸に駆け落ちし、同年、帰国。16年6月に『フランケンシュタイン』の執筆に着手。この年の12月、夫シェリーの妻が自殺した後、正式に結婚。18年、『フランケンシュタイン』を刊行。22年に夫が海で溺死すると、子供の養育費、生活費のために小説、伝記などを精力的に執筆。他の作品に『最後の人間』などがある。(編集部)

 

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