【お悩み】不幸な生い立ちの女の子と付きあうようになり、ささやかながら幸せな同棲生活を送っていたところ、急に別れたいと言われました。どうやら私の出勤中にオンラインゲームで出会ったアーティスト志望の無職を好きになってしまったようです。写真を見ましたが、ロンゲに不精ヒゲでいかにもうさんくさそうなやつです。そんなやつより、絶対自分のほうが幸せにしてやれると思います。女は優しい男よりクズが好きなんでしょうか。
【お答え】『月と六ペンス』でクズに惹かれる気持ちを疑似体験し、ひたすら待とう。
◆40歳にしてアーティスト系クズに
ストリックランドという架空の天才画家の生涯を描いた『月と六ペンス』は、世俗的な幸せを捨てて芸術という官能を追い求める人間と、そんな人間に惹かれてしまう人々の物語だ。証券会社に勤める普通のサラリーマンだったストリックランドは、40歳にして画家になりたいという気持ちをおさえられなくなり、安定した仕事も、非の打ちどころのない妻子も捨ててパリに出奔する。はたからは意味不明に見える行動に、親族は怒り心頭。新しい女がいるのだろうと考えた彼の妻は、駆け出しの青年作家である「わたし」に、パリに行って夫を連れ戻してほしいと頼む。
パリで「わたし」が見たのは、女どころか友人、健康、金、美しい生活等々あらゆる世俗的な幸福を捨て、美のために自分も他人も犠牲にするストリックランドの生き方だった。「描かずにはいられない」官能的な美の世界にとりつかれたストリックランドは、人の良い知人から金を借りては踏み倒し、他人を破滅させようが罪悪感一つ抱かず、もちろん捨てた妻子のことなど一切気にかけない、とんでもないクズに仕上がっていた。彼は自らの性欲すら邪魔だと語る。彼にとって原始的な官能を刺激する行為は、絵を描くことだけなのだ。
◆青年作家をとりこにするクズ男の色気
「わたし」には、ストリックランドの絵のすごさはわからない。それでも彼を「わたし」が嫌いになれないのは、人としての色気によるところが大きいのだろう。たとえば病んだストリックランドの容貌は、以下のように描写される。
骨と皮ばかりで、ぶかぶかの服がかかしのぼろのように引っかかっていた。ひげはぼさぼさで、髪も伸び放題だ。ただでさえ大造りな顔立ちに、病のせいでさらに深い陰影が生まれ、異様な顔つきになっていた。異様ではあったが、醜いのとも少し違っていた。そのむさ苦しさには、凄みのようなものがあった。(……)ストリックランドの顔にもっともはっきり表れていたのは、はっとするような官能だったのだ。矛盾しているようだが、彼の官能には妙に霊的なものが感じられた。この男には、どこか原始的なところがあり、捉えどころのない自然の力を有しているようにみえたのだ。古代ギリシャ人が半人半獣の生き物に託したあの力、サテュロスやパンのような力だ。(p.167)
サラリーマン時代のストリックランドを退屈でありふれた男としか思わなかった「わたし」は、創造欲にとりつかれて破滅した彼から「はっとするような官能」を感じるようになる。「女を惹きつけるくせに、女に興味がない」(p.128)ストリックランドは、その精神性の高さゆえに、いっそう「わたし」の心を動かしてやまない。
◆ストリックランドは「女を沼らせるクズ」
語り手に限らず、クズに色気を感じる人は男女問わず案外多い。そうした人々から見れば、ストリックランドはまさに「女を沼らせるクズ」の典型なのである。クズ好きの女性に話を聞くと、「好きになっちゃダメだと頭ではわかっているけど、気づいたら沼ってる」「ぶっとんでるから感情揺さぶられてハマっちゃう」「人と違うオリジナルの価値観をもってるから非日常的な恋愛ができそう」「突き放した態度と、ふと見せる笑顔のギャップにやられる」「ミステリアスで守ってあげたくなる」といった答えが返ってくる。世間一般からは忌み嫌われるクズも、ある種の人々には色気が人の形をして歩いているように見えるのだ。
なんだかんだでストリックランドが気になって追いかける「わたし」も、「嫌うべきだと頭ではわかっているけど、気づいたら沼ってる」「ぶっとんでるから感情揺さぶられてハマっちゃってる」状態なのかもしれない。ストリックランドにちょっと微笑まれただけで、「いつもの陰気な表情を別のものに変えた」だの、「人間ではなくサテュロスの快楽を思わせる」(p.134)だの、笑顔の魅力を熱く語り出すくらいだ。クズ好きではない読者は、男性作家である「わたし」の視点からストリックランドのエロさを眺めることで、クズに惹かれる感情を疑似体験することになる。
◆優しい夫を捨ててクズ男へ
天才アーティスト、クズ、ガリガリ、長身、不精ヒゲ、ロンゲ、ごつごつした長い指というエロのよくばりセットを装備したストリックランドは、「わたし」以外にもさまざまな人に刺さってしまう。凡庸な画家だがストリックランドの天才性を認めて何かと援助するストルーヴェも、彼の崇拝者の一人だ。ストルーヴェはいくらストリックランドに傷つけられても、彼の面倒をみずにはいれない。そしてその妻ブランチも、当初はストリックランドにすさまじい嫌悪感を見せていたのに、いつの間にか恋に落ちてしまう。ブランチは優しい夫ストルーヴェを捨て、女を殴ると公言するストリックランドのもとに走る。
ストリックランドは野性的で粗野な印象を与える。人を寄せつけない目、肉感的な口元、大柄でたくましい身体、どれもが奔放な情熱を感じさせる。おそらくブランチも、わたしと同様に、太古、万物が大地とつながりを持ち、すべてに魂が宿っていたころの自然に存在した霊のような禍々しさを感じとったのだ。(p.190)
ブランチ・ストルーヴェは、欲望という残酷な網にからめとられてしまった。(……)ブランチはいま、ディオニソスに仕える女、欲望そのものだった。(p.191-192)
◆「恩人」だからこそ足蹴にしたい
のちに「わたし」は、ストリックランド本人から不倫の顛末を聞かされる。ブランチが自分になびいたのは、彼女が「ストルーヴェを見返してやりたかったから」なのだと彼は語る。「ストルーヴェが困り果てていた彼女を救った恩人だから」(p.265)こそ、ブランチはストルーヴェから離れたくなったのだと。
ブランチは若い頃にある男性から屈辱的な扱いを受け、自殺を考えるまで追い込まれたことがある。そんな彼女を救ってくれたのが、ストルーヴェだった。恩義を感じたブランチは彼と結婚したが、恩人と暮らしているかぎり、みじめだった自分が影のようにつきまとう。たとえば重い病に倒れたストリックランドを自宅で看病したいストルーヴェは、激しく反発するブランチをこんな言葉で説得する。「どうしようもなく困っていたときに、手を差し伸べてもらったことはなかったかい? それがどれほどありがたいことか、きみにはわかるだろう」(p.161)。ブランチは凍りつき、承諾せざるをえなくなる。
自分は弱者であると思い知らされる日々を送るなかで、ブランチの自尊心はひそかに削られ続けていたのだろう。そしてストルーヴェがわざわざこんなことを言うのも、妻は自分ほどには自分を愛しておらず、二人を結び付けているのは恩義だけだとわかっていたからだ。突然現れた色気ダダ漏れのクズ、ストリックランドにブランチが屈服するのも、致し方のない話なのだった。少なくとも感傷とは無縁のクズとの関係では、自分が哀れまれることはない。ストリックランドが求めていたのは、スタイルのいいブランチをモデルに裸体画を描くことだけで、絵が完成すれば興味を失うとしても。
◆クズに惹かれている女子を追うなかれ
ブランチを手放したくないストルーヴェはあちこちで待ち伏せし、戻ってきてほしいと懇願する。だが女は「自分が愛していないのに、自分を愛してやまない男」に対して、どこまでも残酷になれることがある。彼女はストルーヴェのもとに帰ることはなく、事態は最悪の結果を迎える。
彼女がクズに惹かれているときは、決して追いすがってはいけないということが、ストルーヴェを見ているとよくわかる。愛を語れば語るほど、よくしてやればやるほど嫌われてしまう。現実にはストリックランドのように最後まで世俗に無関心なパーフェクト・アーティスティック・クズはめったにいないので、彼女もそのうち相手の俗な部分を知って冷める可能性がある。善人はその日が来るまで静観するしかない。
彼女がクズの沼から運よく這いあがってきたときは、ストルーヴェの愚を犯さないよう、恩義で縛り付けず、さりとてへりくだらず、対等な関係を心がけるのが一番だ。「クズと付き合って散々苦しんだあとに出会った正反対の旦那と結婚して今は幸せです」という声も、現実ではよく聞くのだから。
◎サマセット・モーム『月と六ペンス』金原瑞人訳、新潮文庫、2014年
サマセット・モーム(1874-1965)は英国の小説家、劇作家。フランスのパリで生まれる。父親は在仏イギリス大使館の顧問弁護士。幼くして両親を失い、南イングランドで牧師を務めていた叔父に引き取られる。14歳の時に肺結核に罹り、南仏で療養。16歳の時、ドイツのハイデルベルクへ遊学。18歳で英国に帰国し、ロンドンの聖トマス病院付属医学校に入学。医療助手としての経験を描いた小説『ランベスのライザ』(1897)が注目され、作家生活に入る。第1次世界大戦が勃発すると、志願してフランス戦線へ。その後、諜報活動に従事。画家のゴーギャンに想を得て書かれた『月と六ペンス』(1919)は空前のベストセラーとなる。他に自伝的小説『人間の絆』(1915)、戯曲『おえら方』(1923)など。(編集部)