あなたの悩み、世界文学でお答えします。

〈14〉誰と付き合っても長続きしません……
☞ フローベール『ボヴァリー夫人』がオススメ

「恋のツラみ」から「職場でのつまずき」まで、現代人のお悩みに、世界文学のあの作品この作品を紹介しつつ、キリッと答えていく堀越英美さんの好評連載。今回のお悩みは……

【お悩み】10代の頃から泣ける恋愛青春小説が好きで、小説に出てくるような情熱的な恋愛を夢見てきました。でも、現実の恋愛は長続きしません。恋愛関係になるまでは楽しくても、いざ付き合うとLINEの返信の短さなどにイライラしてしまい、重いと言われることもしばしば。毎日愛されている実感が得られないとさみしくなって、もっと構ってくれそうな人に流れたくなってしまうのです。

【お答え】『ボヴァリー夫人』を読んで、自分の名前が認められる場所を探そう!

 

『ボヴァリー夫人』のあらすじをまとめると、「小説みたいな恋愛をしてこんなところから抜け出したい!」と夢見ていた農村育ちの女性が、医者との退屈な結婚生活に幻滅し、不倫と借金を繰り返して破滅していく話である。これだけ見れば、主人公のボヴァリー夫人はものすごくダメな人に思える。だがひとたび物語の世界に入り込めば、彼女の感情の動きが理解できてしまうのが、この小説の面白いところだ。登場人物たちを動かしている「付き合う前後の、会えただけでドキドキしたり手をつなごうか悩んだりしているときが一番楽しいんだよな~」という感情は、それなりに普遍的なものなのかもしれない。

◆ ボヴァリー夫人は三人いる

ところで、『ボヴァリー夫人』を読んですぐ気づくのが、「ボヴァリー夫人多すぎ問題」である。ボヴァリー夫人は一人ではないのだ。主人公のボヴァリー夫人(エンマ・ボヴァリー)のほかに、夫シャルル・ボヴァリーの母も、シャルルの前妻も、ボヴァリー夫人である。作中では一応区別するために、義母はボヴァリー老夫人、前妻はボヴァリー若夫人と呼びわけられているが、ややこしいといえばややこしい。もちろん彼女たちにも名前はあるけれど、フルネームで呼ばれることはない。19世紀フランスのブルジョワ階級において、女性の活動の場は家庭に限られており、男性のように職業人として公的な活動をして社会に認められることは困難だった。三人のボヴァリー夫人たちはボヴァリーという家の付属品にすぎず、自己実現をしたければ男を使うしかなかったのである。そしてそれが、不幸の始まりだった。

まず最初に登場するボヴァリー夫人は、ボヴァリー老夫人である。若い女ばかり追いかけまわす夫に幻滅した彼女の生きがいは、息子シャルルを立派なブルジョワ男に仕立てることだけだった。シャルルを医学校に入れ、開業する場所まで用意する。さらに彼女は、開業医試験に合格したばかりの息子に、45歳の未亡人エロイーズを嫁としてあてがう。年金収入があるというのが表向きの理由だが、息子を誰にも奪われたくなかったボヴァリー老夫人は、魅力的な女性を避けたのである。

エロイーズは、義母のボヴァリー老夫人と区別するためにボヴァリー若夫人と呼ばれるが、とはいえ年齢的には決して若くはない。彼女はシャルルを一人前の男に仕立てようと言葉遣いや服に口うるさくダメ出しをし、夫宛ての手紙まで開封してしまう。母親の言うなりにぼんやり生きてきたシャルルも、母親を上回る過干渉妻はさすがにキツかった。やがてシャルルは、往診先の農家で出会った美しい娘に心惹かれるようになる。彼女こそが本作のヒロイン、エンマ・ボヴァリーだ。エンマは寄宿学校で小説を読みふけっていたせいで、黒い馬に乗った騎士が迎えに来るような恋愛に憧れていたから、医者との結婚で夢がかなうと思い込んだ。ボヴァリー若夫人が都合よく病気で亡くなると、エンマは晴れて新ボヴァリー夫人としてブルジョア生活に入る。

◆ 有能すぎる奥様の憂鬱

意外なことにボヴァリー夫人はダメ人間どころか、とてつもなく有能な女性である。母を早くに亡くして農家を切り盛りしていたから、家の仕事は万事そつがなく、医療事務も診療のアシストもテキパキこなす。レストランのようにおしゃれな食事を用意し、慈善活動をさせればパパッと貧しい子どもたちのための服を編んでしまう。ピアノもダンスもデッサンもお手の物。でも女だから職業教育は受けられず、田舎住まいだから社交界の花形にもなれない。生きがいを見いだそうと、イタリア語や歴史、哲学の勉強に取り組んだこともある。しかし、いずれも途中でやめてしまう。語学スキルを生かす職業や、教養を認められる機会がなければ、独学を継続するのは難しい。いくら手先が器用でも誰に評価されるわけでもないから、作りかけのタペストリー刺繍やデッサン用の紙ばさみは、戸棚に放置されるがままになった。

女学校育ちで小説のなかでしか男を知らないエンマは、男はみんな物知りで武芸にすぐれ、女を導いてくれる存在だと思い込んでいた。だがシャルルはスポーツにも文化にも興味がなく、ファッションセンスもない。さらにエンマに嫉妬した姑にくだらないことで一日中ケチをつけられても、母親の言うなりのシャルルはかばってくれない。どうにか恋心を盛り上げようと月の光のもとで詩を暗唱し、夫に向かってアダージョを歌ってみるが、冷めている自分に気づくばかりである。こうなると、夫のやることなすことが気に入らない。食後に舌で食べかすをこそげ落とすしぐさも、スープをのむときに一口ごとにのどをクックッと鳴らすのも、もともと小さい目が太ったせいで笑うたびに吊り目になるのも、全部イライラさせられた。

女の人生って、なんてつまらないのだろう。彼女の望みは、男の子を産むことになった。

男の子を持つというこの思いは、これまでできなかったさまざまなことに対するひそかな復讐のようなものだった。少なくとも、男なら自由で、どのような情熱もたどれるし、いかなる国々も駆けめぐることができ、あらゆる障害をくぐりぬけ、どんなに遠くにある幸福でも食らいつくことだってできる。ところが女はしじゅう思うようにいかない。女は活発さに欠けるだけでなく従順だし、意に反して肉体の軟弱さを持ち、法に縛られやすい。(p.156-157)

だが生まれた子どもが女の子だと知り、エンマは失望する。もはや子育てにも生きがいを見いだせない。とはいえ、基本的には真面目な女性である。文学の話で意気投合した近所の青年にときめいても、当初は恋心を抑えて深入りしないようにしていた。しかし美しさに加えて、文学仕込みの言葉遣いの上品さや貞操観念の高さのおかげで田舎にはまれな貴婦人扱いされ、チャレンジャーな男たちの絶好のターゲットになってしまう。

◆ 名前を呼ばれてスイッチオン

最初に彼女の心を溶かしたのは、だれもがボヴァリー夫人と呼ぶなかで、「エンマ」呼びしてきた遊び人のロドルフだった。

「(…)ボヴァリー夫人!……ねえ! これじゃだれもがあなたを呼ぶのと同じですよ!……それに、これはあなたの名前じゃない、ほかの人の名前です!」

 彼は繰り返した。

「ほかの人のものです!」(p.277)

「エンマ」呼びを「困ります!」と拒絶しつつも、初めて家族以外の人間から名前を呼ばれて褒め言葉を浴びせられ、ボヴァリー夫人はポーッとなってしまう。「彼女の自尊心は、蒸し風呂に入ってくつろぐ人のように、この言葉の熱気を浴びて全体がふにゃふにゃに伸びきってしまった」(p.278)。ボヴァリー夫人はついに一線を越え、いわゆる不倫をしてしまうのである。

家に帰って鏡を見たボヴァリー夫人は、自分の目が恋する乙女のそれになっていることを思い知り、「恋人ができた!」と思春期のように歓びをかみしめた。それまで誰かの娘、誰かの妻としてのみ生きてきた彼女は、不倫相手に名前を呼ばれることで、初めて人生の主人公になったのだった。

 すると彼女はかつて読んだ本のヒロインたちを思い出し、そうした不倫の恋をした女たちの激情にかられた群れはエンマの記憶のなかで歌いだし、その姉妹のような声は彼女を魅了した。エンマ自身もそうした夢想の女たちの紛れもない一員になり、若いころの長くつづいた空想を実現し、かつてあれほどにもうらやんだ類の恋する女に仲間入りした自分を見ていた。(p.291)

◆ 愛が重いボヴァリー夫人

名前を呼ばれ、個人として認められる喜びを知ったボヴァリー夫人は、再会したロドルフに「もういちど自分を名で呼んで、愛していると繰り返して」とせがむ。さらに二人は毎晩手紙のやりとりをはじめるが、夫人はロドルフの手紙が短すぎると言ってしょっちゅう責め立て、愛の証として指環をねだる。

ロドルフの情熱が安定供給されないことに気づいたボヴァリー夫人は、「恋愛よりもしっかりしたものをよりどころにしたい」(p.312)と考える。女性がキャリアを追求できる時代ではないから、夫のキャリアをアシストするしかない。薬剤師に紹介された新手術法をシャルルにけしかけ、夫の名声を高めようとする。ところがシャルルは医者といっても、博士号を持たず、大きな手術を許されていない免許医にすぎない。愛する妻に言われてその気になったものの、地域の注目を集めた新手術はあえなく失敗。ボヴァリー氏の恥は、すなわちボヴァリー夫人の恥だった。ボヴァリー夫人は夫を嫌悪し、自分の価値を認めてくれるのはロドルフしかいないと、ますます不倫の恋にのめり込む。「あなたはわたしの王さまであり偶像よ!」(p.341)。女慣れしているロドルフは、男の愛を乞う女の言うことはみんな一緒だ、とエマのベタさに冷めていく。

結局ボヴァリー夫人は、ありあまるエネルギーと認められたいという気持ちを、手近な男を偶像化し、その偶像から崇拝されるという形でしか充たせない。偶像から愛の言葉をささやかれれば、一時的に心は充たされる。だが相手の人間性を愛しているのではなく、偶像からの承認を求めているだけだから、反応が乏しくなればファッションと美容に課金して、高額なプレゼントを貢ぎ、浪費はとどまるところをしらない。自分の情熱が冷めそうになると手紙に詩を入れ込んで、無理やりエモさを演出する。そこまでしても相手の情熱は戻ってこないから、別の男を偶像化し、同じことを繰り返す。結果として、破滅に突っ走ってしまうのである。

◆ 恋愛よりも「よりどころ」を探そう

恋愛に情熱を求めて失望しているとき、本当に欲しているのは情熱的な恋愛ではなく、「よりどころ」なのかもしれない。「自分の優秀さを今いる場所で活かせていない」「自分はもっと認められるべき」という不満を、恋愛で長期的に解消するのは難しい。幸い、私たちがいる場所は19世紀フランスではないから、だれでもフルネームで活動できる。自分にはどんな能力があって、それはどのような場所で活かせるのか。どういう形で認められたいのか。そのためにやらなければならないことはなんなのか。認められなくてもいいからやりたいことはあるのか。恋愛を小休止して、一人でいろいろ考えてみるのもいいかもしれない。

ところでこの小説のもう一つの教訓は、「家庭的だから」という理由で、家事能力が高い女性を家に閉じ込めてはいけないということである。勤勉で優秀な女性は、常に褒めを求めている。彼女たちをターゲットにするのが遊び人の男性だけならまだいいが、カルト宗教やマルチ商法にからめとられると、家族ともども大変なことになってしまう。「息子の嫁には、仕事をやめて息子の仕事をサポートしてくれる気の利く家事カンペキ女性を迎えたい」と思っている人がもしいるなら、『ボヴァリー夫人』を読んで震え上がろう。家族がそれぞれ個人の名前で認められる場は大切なのだ。

 

◎『ボヴァリー夫人』フローベール、芳川泰久訳、新潮文庫、2015年

フローベール(1821‐80)はフランスの小説家。高名な外科医を父とし、ノルマンディーのルーアンに生まれる。1832年、ルーアンの王立中東学校に入学し、寄宿生活を始める。この頃から創作を始める。41年、パリ大学に進学し法律を学ぶも、44年に神経症の発作に見舞われ学業を断念。故郷に近いクロアッセに移り、創作活動に専念する。56年、友人デュ・カンが創刊した雑誌『パリ評論』に『ボヴァリー夫人』を6回にわたり連載。これが風紀を乱したとして告発されるも無罪となる。この作品によりフローベールは、当代随一の小説家として名声を得る。『感情教育』『ブヴァールとペキュシェ』などの小説のほか、当時流布していた数々の紋切型の表現を取り上げ風刺した『紋切型辞典』がある。(編集部)