あなたの悩み、世界文学でお答えします。

〈12〉おじを転がす生活から足を洗いたいんです
☞ トルーマン・カポーティ『ティファニーで朝食を』がオススメ

「恋のツラみ」から「職場でのつまずき」まで、現代人のお悩みに、世界文学のあの作品この作品を紹介しつつ、キリッと答えていく堀越英美さんの好評連載。今回のお悩みは……

【お悩み】貧しい家を出て進学のために上京。ぶっちゃけ美人でモテるので、おじとお食事してたっぷりお小遣いをもらって生活してきました。就活もおじ転がしテクを駆使して大手に内定。このまま勝ち続けたいので、そろそろ結婚を視野に入れて堅実な恋人をつくりたいのですが、同世代の男性には引かれているようです。強いアクセが好きなだけなのに周囲には「港区女子」っていじられるし、姉にもパパ活を疑われて外聞が悪いので、今の生活から足を洗いたいんですよね。

【お答え】元祖「港区女子」小説と言われる『ティファニーで朝食を』を読んで、自分の過剰さを見直そう

 

◆ 奔放でキュートな「港区女子」、ホリー

オードリー・ヘップバーンの主演で知られる名作『ティファニーで朝食を』は、しょせんパパ活映画じゃないかと腐されることがある。ヒロインのホリー・ゴライトリーが高級娼婦という設定で、お金より愛が必要だと気づいて主人公と結ばれるというベタなハッピーエンドのせいもあるのだろう。もっとも、原作の小説は映画とは設定が異なる。原作のホリーは田舎から出てきた女優の卵で、金持ちのおじさんとクラブやレストランに同行してお小遣いをもらって生活しているだけだ。「男たちとセックスをして、金を搾り取っておいて、それでいて相手のことを好きにもならないなんて、少なくとも好きだと思おうともしないなんて、道にはずれた話だってことよ。私にはそういうのはできっこないわ」(p.128)とホリーが語る箇所もあり、おそらく娼婦のようなことはしていなさそうだ。そして原作のホリーにハッピーエンドはない。あくまで流浪の「港区女子」なのである(舞台はニューヨークだけど)。

作家志望の「僕」は夜遅く、アパートの真下の階に住むホリー・ゴライトリーの訪問を受ける。「ごめんなさいね、ダーリン――鍵を忘れちゃったの」。玄関のロックを開けるために親交のない住民をひんぱんに叩き起こすことも辞さないホリーは、夜通しパーティを開いて大音量でレコードをかける近所迷惑な女の子だった。当初は戸惑っていた「僕」も、兄のフレッドみたいにあったかそうな人に見えるからフレッドって呼んでいい?などと馴れ馴れしくされるうちに、奔放なホリーに魅了されていく。クールな黒いドレスに石鹸やレモンの清潔さを漂わせ、将校たちと石畳の上でダンスを踊り、猫と一緒に非常階段に座ってギターを爪弾きながら歌うホリーはキュートそのもので、男たちは彼女と過ごすだけで満足してしまうのだ。

ホリーは仕事はせず、「赤ん坊のお尻」みたいな顔をしている大金持ちのラスティ・トローラーらとデートをしてチップをもらうことで生活していた。化粧室に行くたびに50ドル、タクシー代で50ドル(当時の50ドルは約1万8000円)が相場だと、ホリーは無邪気に「僕」に語る。刑務所に服役中の老マフィア、サリー・トマトに週1で面会して元気づけることでお金をもらっているということも。

「僕」も、行きつけのバーの店主ジョー・ベルも、同じアパートに住む日系人カメラマン・ユニオシも、みんな迷惑なホリーのことが好きだった。でも誰も、ホリーと付き合おうとしたりはしなかった。常識人である彼らにとって、ホリーはあまりに過剰だったのである。彼女と付き合えるのは、女を人形としてしか見ていないラスティみたいな幼い男だけだった。

◆ 「自分」ありすぎ、ポリシー語りすぎ

ホリーは「僕」に自作の朗読をさせ、終始退屈そうな顔をした挙句、理解できないからと説明を求めて作家の心をへし折る、『徹子の部屋』における黒柳徹子のような自由人である。ホリーはただ自分に正直に生きているだけなのだが、『徹子の部屋』に出演したお笑い芸人のように窮地に陥ったと感じる「僕」は、もはや彼女のトークをただ聞くことしかできない。ホリーはリッチな有名人になりたいが、そうなっても「私はなおかつ自分のエゴをしっかり引き連れていたいわけ」と決意表明し、猫の名前をつけない理由を「私たちはお互い誰のものでもない、独立した人格なわけ」と語り、ダイアモンドをつけるのにふさわしい年齢について滔々と述べる。要は「自分」ありすぎ、ポリシー語りすぎなのだ。自分語りの饒舌さに比べると、他人への関心は希薄である。「恋人にした男は全部で十一人しかいなかったわ。十三歳より前のことは別よ」「たいていの男って、はあはあぜいぜい言うだけだもの」と性的な経験についてあけすけに語るのも、堅気の恋愛をするにあたってはマイナスポイントかもしれない。

自分に忠実すぎるホリーは情緒不安定でもあり、彼女はそれをブルーよりもやっかいな「アカ」だと語る。そんなとき、ホリーはタクシーにのってティファニーに行く。丁寧な店員や銀製品に囲まれていると、気持ちが落ち着くのだという。彼女が求めているのは、ティファニーの店内にいるみたいな気持ちにさせてくれる場所だ。こんな語りを聞かされたら、とんでもないホスピタリティを求められそう……とおびえる人も多いだろう。

実際、ホリーに目をつけて女優として売り出そうとしている俳優エージェントは、ホリーに惹かれている「僕」に釘をさした。あんたがあの子にいくら尽くそうが、見返りに受け取るのは「皿に山盛りの馬糞」だと。

やがて「僕」は、ホリーは自分たちとは全然違う人間なのだと思い知る。しょっちゅう人格をアップデートさせて変化していく自分たちに比べ、ホリーのような人間は「人格があまりにも早い時期に定められてしまった」ために、変化しようとしないと「僕」は思う。ポリシーや美意識を延々と語り続けられる人間は迷いがない。迷いがないから筋が通ってて魅力的だが、左手に断崖絶壁があっても気づかずに突き進んでしまう危うさがある。

◆ 「自分減らし」の旅に出よう

そんなホリーに変化の兆しが訪れた。まともな仕事をしている裕福なブラジル人、ホセを好きになったのだ。イライラを冗談でまぎらわせてくれるホセのおかげで、精神安定剤も星占いも、ティファニーでアクセサリーを眺める必要もなくなったのだとホリーはのろけてみせる。「彼に煙草をやめてくれと言われたら、やめちゃうと思う」(p.129)とも言い切る。ホセのスーツをクリーニングに出したり、キノコの料理を作るかすれば気が晴れるとウキウキ語るホリーは、すっかり堅気の女である。

だが、この恋も結局うまくはいかなかった。堅気社会を生きるホセは、ホリーのような奔放な女と付き合うことで体面が傷つくことを恐れたのだ。ホリーはずっとホリーのまま、世界のどこかを旅し続ける。

ホリーは魅力的だけれど、永遠に堅気になれないキャラである。「自分」がありすぎて同世代の堅気の人間に敬遠されるのがいやなら、「自分」を少し減らしてみることを考えてもいいかもしれない。それまでの自分がやりそうもなかったバイトや習い事をしたり、観光地ではないところで過ごしてみたりして、未知の価値観に身を浸す「自分減らし」の旅に出てみるのはどうだろうか。

 

◎『ティファニーで朝食を』トルーマン・カポーティ著、村上春樹訳、新潮文庫、2008年

トルーマン・カポーティ(1924‐1984)は米国の作家。ニューオーリンズに生まれ、少年時代をアラバマで過ごす。10代半ばにニューヨークに出てきて以降、『ニューヨーカー』誌の雑用係などをしながら、本格的に小説を書くように。24歳の時、長篇『遠い声、遠い部屋』を発表し、「恐るべき子供」と称され注目を浴びた。1955年あたりから『ティファニーで朝食を』の執筆に着手し、58年に脱稿。男性誌『エスクァイア』に発表後、ランダムハウスから刊行された。66年には、カンザス州で起きた一家殺人事件を取材して書き上げたノンフィクション・ノヴェル『冷血』を完成させ、話題となる。晩年はアルコール・薬物依存に苦しみ、59歳でその生涯を終えた。(編集部)

 

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