あなたの悩み、世界文学でお答えします。

〈16〉パワハラが蔓延している職場に一矢報いたい
☞ チャールズ・ディケンズ『二都物語』がオススメ

「恋のツラみ」から「職場でのつまずき」まで、現代人のお悩みに、世界文学のあの作品この作品を紹介しつつ、キリッと答えていく堀越英美さんの好評連載。今回のお悩みは……

【お悩み】夢見ていた映像制作会社に入社して1年。休みが少ないのは覚悟していましたが、耐えられないのは睡眠がまともに取れないほどの長時間労働とパワハラです。「殺すぞ」「カス」などと暴言を吐かれるのは日常茶飯事。買ってきた飲み物が気に食わないとペットボトルを投げつけられたり、土下座を強要されたりすることもあります。大手企業ではないので社内相談窓口はほぼ機能しておらず、心身を病んで辞めていく若手が後を絶ちません。上層部は若手をいくら使いつぶしても問題ないと考えているようです。辞めるにしても、ただ泣き寝入りは悔しい。今後同じ思いをする人が出てこないように、人権意識のないパワハラ上司たちに一泡吹かせたいです。

【お答え】『二都物語』(ディケンズ)で弱者の戦い方を知ろう

 

◆ 孤立しやすいハラスメント被害者

不均衡な力関係のもとで生じるハラスメントでつらいのが、自分一人が声をあげても握りつぶされてしまい、泣き寝入りするしかないという無力感である。耐えきれずに告発すれば、「みんな耐えてきた。こんなことでくじけるようではこの業界ではやっていけない」「うまく立ち回ればいいのに。私はそうしている」「コンプラなど気にしていてはいい仕事はできない」「イヤなら足を洗って別の仕事をしろ」などと告発を無効化する声が四方八方から飛んでくる。権力者は一握りなのに、数が多い弱者が分断されやすいのは、権力を持っている側についたほうが、弱者にも力をふるうチャンスがめぐってくると思われているせいもあるのだろう。

弱者が団結することの難しさを思うと、平民の集団が王政に抗ったフランス革命がいかに画期的だったか、改めて驚いてしまう。しかし、せっかく血にまみれながら人権を勝ち取ったはずなのに、その概念はいまだ根付いているとはいえない。特権階級が王や貴族のように「平民」を抑圧する権力構造は、今もいたるところにある。現代の私たちも、フランス革命における平民の戦い方を知る必要があるのかもしれない。

◆ 編み物で貴族に抗う庶民のフランス革命

フランス革命前後のフランスとイギリスを舞台にしたディケンズの長編小説『二都物語』は、推定2億部を売り上げた大ベストセラーとして知られる。貴族の横暴に耐えられずイギリスに亡命した元貴族チャールズ・ダーネイ、無実の罪でバスティーユ監獄に投獄されたマネット医師、その娘ルーシーとダーネイの身分違いの恋、ルーシーとの出会いによって救われ、彼女のために献身する飲んだくれ弁護士シドニー・カートン。気高い中心人物たちの人間模様も面白いけれど、それ以上に強烈な印象を与えるのは、貴族への復讐に燃えるドファルジュ夫妻をはじめとする無名の庶民たちの戦いである。

物語は、マネット医師が解放されるところから始まる。パリで酒屋を営むドファルジュは、かつてマネット医師の使用人だったことから、彼をかくまう。その妻ドファルジュ夫人はいつも棒針編みをしていて、家事に熱心なふつうのおかみさんに見える。しかし彼女が手にしている編み物こそが、革命を牽引したデスノートだった。彼女は街角で貴族の蛮行を観察しながら、死すべき貴族の名前を暗号化して編みこんでいたのである。平民が団結するには、まず敵の名を皆が知っていなくてはいけない。インターネットや週刊誌の代わりに、編み物が記録とメディアの役割を果たしていたといえる。編み物をしているおばさんのことを貴族が警戒するはずもなく、貴族は彼女の目の前でひどいことを次々としでかし、死期を早めていく。

名前を編み込まれた貴族の一人が、チャールズ・ダーネイの叔父、サンテヴレモンド侯爵だ。宮廷でも抜きんでた有力貴族である侯爵は、朝のチョコレートを飲むにも4人の召使いを必要とする。チョコレートポットを運び込む係、かき混ぜて泡立てる係、ナプキンを取り出す係、チョコレートを注ぐ係。侯爵は国政に関わる身でありながら、世界は己の快楽のためにあると考え、庶民の窮乏をよそに贅沢三昧を重ねる。さらに逃げ惑う庶民の姿を楽しむために、馬車を無謀運転させる残忍さも持ち合わせていた。貴族にひき殺されても、庶民は泣き寝入りするしかない時代だったのだ。侯爵を乗せた馬車が幼子をひき殺し、その父親に金貨1枚投げて事を収めようとした時も、ドファルジュ夫人は編み物をしながら彼の顔をじっと見つめていた。

◆ パワハラ貴族の被害者意識

貴族の横暴に心を痛めるチャールズ・ダーネイは、叔父のサンテヴレモンド侯爵に批判的な目を向ける。だが侯爵は自分に批判的な甥に向かって「新しい考え方が流行って」いるせいで、「われわれは多くの特権を失った」(p.214-215)と被害者意識をむき出しにする。昔のように平民を気軽に殺せないのは、侯爵にとっては「不遇」なのだ。コンプライアンスのせいで若手を自由に痛めつけることができなくなったと嘆く、昭和育ちの芸能関係者のように。

「抑圧だけが、長続きする哲学なのだ。恐怖と隷従にもとづく暗い敬意だよ、わが友」侯爵は言った。「それが犬を鞭にしたがわせる。この屋根が」と天井を見上げて、「空を隔てているかぎり」(p.216)

ダーネイの目に映る侯爵は、「なんであれ自分たちが求める快楽のまえに誰かが立ちふさがったら、見境なく痛めつけ」(p.217)る、堕落した存在だ。ダーネイは、我々は間違った行為から果実を得ていると告げ、叔父を改心させようとするが、侯爵は「わが友、私は自分が生きた体制を永遠に保ちながら死ぬつもりだ」(p.218)と意に介さない。侯爵にとって市民は虫けらでしかなく、彼らを人間扱いする人生など考えられないのだ。たとえその行為が、死を招くとしても。

◆ 告発には準備が必要

ドファルジュ夫妻には、もう一つ作戦があった。それは皆の怒りが爆発寸前になるまで、貴族に媚び続けることである。王と王妃の馬車を見て感激のあまり泣いた道路工夫に、ドファルジュはこう話しかけた。

「きみこそわれわれが望む男だ」ドファルジュは彼の耳元で言った。「あの愚か者たちに、いまが永遠に続くと思いこませた。これであいつらはますます傲慢になり、それだけ終わりが早くなる」

(…)

「あの愚か者どもは何も知らない。きみの命などなんとも思わず、自分の馬や犬の一頭を殺すくらいなら、きみや、きみの仲間百人の息の根を永遠に止めたいと思っているが、きみらが連中に言ってやることしか知らない。だからもうしばらく、だましてやろう。あいつらをだまして、だましすぎることはない」(p.306-307)

 

一人、二人で告発しても、ひねりつぶされて終わりだ。ならば貴族を慢心させて悪虐の限りを尽くさせ、民衆の怒りを溜め込み、一気に暴発させるしかない。さらに相手が隙だらけになれば、攻め込みやすくなる。ドファルジュ夫妻は、準備を進めながら悪徳貴族たちを殲滅する時をひたすら待っていたのである。

「地震が町を呑みこむのもあっという間さ」夫人は言った。「だけど、その地震が起きるまでにどのくらいかかる?」

「長い時間がかかるだろうな」

「でもいざ準備ができたら地震は起きて、そこにあるものすべてを破壊する。準備はつねに進行中なのさ、見えも聞こえもしないけど。それが慰めだ。憶えときなさい」(p.313)

◆「草を食え」と言ったばかりに吊るされる

1789年7月、ついにその時が訪れた。「愛国者よ、友よ、準備はできた。いざバスティーユへ!」(p.378)そうドファルジュが叫ぶと、武器を手にしたパリ市民が沸きたち、バスティーユ監獄に向かった。フランス革命の始まりだった。ドファルジュ夫人も編み棒のかわりに短剣をガードルに入れ、”復讐(ヴァンジャーンス)”という通り名をもつ八百屋のおかみさんとともに「女組」を率いて大暴れした。とくに女たちの怒りを掻き立てたのは、「草でも食ってろ」と暴言を吐き続けた元大臣のフーロンだった。

「飢えた人々に草を食えと言ったあのフーロンが! 老いた父さんにパンを渡せないとき、草でも食ってろと言ったフーロン。栄養不足でこの胸からお乳が出ないとき、あたしの赤ちゃんに草を吸ってろと言ったフーロン」(p.392)。積年の恨みを爆発させた暴徒たちはフーロンを高々と吊るし、虐殺して口にたっぷり草を詰め込んだ。吊るし上げる歓びを知った暴徒たちは、もう後戻りできない。ドファルジュ夫人は、編みこまれた名前の主たちを確実に断頭台に送り込んだ。のみならず、血に飢えた民衆は貴族に同情した者までノータイムで処刑し、終盤の悲劇へとなだれこむ。

◆ ハラスメントとの戦い方は「記録」

さすがに現代ではパワハラ上司を断頭台にかけるわけにはいかないが、前半で描かれるドファルジュ夫妻の戦い方は、現代においても有効だろう。告発してももみ消されそうなときは、ドファルジュ夫人のようにひたすら記録に徹するのだ。録音データ、加害者とのLINEやメールの履歴、友人へLINEなどで愚痴ったときの履歴、動画、病院を受診した場合は診断書、負傷箇所の撮影、スマホのメモ帳の日記、会社に申告したが動いてくれなかったというメールなどの記録。告発のための証拠を残している最中だと思えば、パワハラの苦痛も多少は軽減するかもしれない。夫妻のようにあえてパワハラ上司に媚びてなめられておくことで「こいつは何をしても抗ってこない」とパワハラがエスカレートすれば、証拠も集めやすくなるだろう。

会社に相談できる組合や部署がないとしても、証拠があれば労働審判や民事訴訟を起こしたり、外部の組合に頼って団体交渉をすることができる。告発者の数が多ければ、メディアに報じられることもある。ハラスメントに注目が集まっている今こそ、革命を起こすときなのかもしれない。

 

◎『二都物語』チャールズ・ディケンズ著、加賀山卓朗訳、新潮文庫、2014年

ディケンズ(1812-70)は英国の小説家。ポーツマス近郊のポートシーに生まれる。10歳の時に家族とともにロンドンへ移住するも、父親が借金を返せず債務者監獄に収監されるなど生活は苦しく、靴墨工場へ働きに出される。小学校を卒業後、法律事務所の使い走り、速記者などをしながら図書館に通い独学を続け、20代はじめに新聞の通信員に。そのとき見聞した風俗を文章化し、新聞、雑誌に投稿。それを一冊にまとめた『ボズのスケッチ』を1836年に刊行。37年『ピクウィック・クラブ』、38年『オリバー・ツイスト』と立て続けに長篇小説を発表し、一躍人気作家に。長篇『デイヴィッド・コパフィールド』『荒涼館』『大いなる遺産』、中編『クリスマス・キャロル』などが代表作として知られる。(編集部)

 

関連書籍