移動する人びと、刻まれた記憶

第1話 私もナグネだから
中国朝鮮族の映画監督チャン・リュル(前半)

韓国から、世界へ。世界から、韓国へ。人が激しく移動する現代において、韓国の人びとはどのように生きてきたのか? 韓国史・世界史と交差する、さまざまな人びとの歴史を書く伊東順子さんの連載の開始です。第一話は、映画監督チャン・リュルの話。今回は、その前半をお届けします。

私もナグネですから
 とはいえ初期の作品も今も、チャン監督の映画には常に「移動する人々」があらわれる。
 「私自身がそういう人間だからですよ。延辺に生まれ、北京にもソウルにも住んだし、最近は四川省で暮らしています。そして今は福岡に来ている」
 「ナグネですか?」
 今風に「ノマド」という言葉が思い浮かんだのだが、口から出たのは「ナグネ」という少し古めかしい韓国語だった。日本語では「旅人」と訳されるのだが、この言葉には風景論的な色合いがある。ナグネは目的地のある旅行者ではなく、旅を続ける人のこと。チャン監督がすぐに同意してくれたので訂正はしなかった。
 「そうです、ナグネ」
 彼はにこやかに、自分をナグネだと言った。
 チャン監督のプロフィールについては、映画パンフレットなどやネット情報などを参考に、前もって予習をしていった。

 1962年5月30日に中国吉林省延辺朝鮮族自治州の延吉市に生まれた。父親は祖父の代に中国に渡った2世で、母は14歳で家族と中国に移住した。文化大革命時に父親が逮捕されて5年間拘束されて、母親と幼い彼は農村に下放された。それまで家庭では韓国語で会話していたが、下放先には周囲に朝鮮族がいなかったことから親子も中国語を使うようになり、韓国語を話すことはあまりなくなったという。(映画『慶州』のパンフレットより)

 彼とは同世代である。たまたま大学時代の専攻が中国関係だったので、1980年代から同世代の中国人とは交流があった。その話をしたせいか、監督も「ご存じでしょう?」と言って、過去については多くを語らなかった。
 また韓国で暮らし始めてからの私も、さまざまな事情で中国から来た朝鮮族の人々が身近にいて、彼らの物語をいくつも聞いた。今にして思えば、それはもれなく「移動の物語」だった。

同じ朝鮮族だから知っていた
 初級の韓国語クラスのクラスメートにシシリーという女性がいた。「お父さんが会いたがっているから、遊びに来てほしい」と誘われて、返還を5年後に控えた香港に出かけた。彼女は北京生まれの朝鮮族だったが、その何年か前に家族で香港に移住していた。
 かつて日本陸軍の大砲隊にいたというお父さんは流暢な日本語を話したが、シシリーもお母さんも日本語がわからずにニコニコしているだけ。申し訳ないから韓国語で話そうと言ったのだが、お父さんはずっと日本語で話しつづけた。そして他の家族が寝てしまった深夜に、彼はおもむろに背中の傷を私に見せた。てっきり日本軍のせいかと思ったのだが、それは文化大革命の傷跡だった。
 お父さんは漢方薬ビジネスで成功したと言っていた。戦友たちに助けてもらって感謝していると、日本の製薬会社の名前をあげていた。でも彼が文化大革命時代に罪を問われたのは、間違いなく日本軍のせいなのである。
 また別の友人は両親ともに抗日独立運動出身の共産党幹部だったが、彼らもまた文革中には北京での職を解任されて農村に送られていた。友人は両親を引き離されて漢族の中で暮らしたため、90年代にソウルに来て再び韓国語を学び直すことになった。

 チャン・リュル監督の短いプロフィールからは、彼自身が移動する人としての当事者性が読み取れる。行間から伝わるのは、彼の初期の作品に描かれているような「仕方なさ」である。中国で暮らす朝鮮族は約180万人と言われている。その起源は李朝時代の圧政に始まり、日本帝国主義による植民地化と大陸への侵略戦争によって本格化する。軍隊だけでなく、一般の日本人も「新天地での成功」を夢見て朝鮮半島や満州に移住した。その日本人に押し出されるように、故郷を離れるしかなかった人々がいたのである。
 初期作品の多くは監督自身が幼い頃に見たこと、直接体験したことだという。たとえば『キムチを売る女』(2005年)のロケ地は北京郊外だったが、彼は様々な場所でキムチを売る女性を目撃したそうだ。でも、一般の中国人はその漬物がキムチだということも、彼女が朝鮮族だということも知らなかったという。
 「その頃はキムチなんてみんな知らなかったのです。でも、私は知っていました。同じ朝鮮族だからです。朝鮮族の女たちは他にできることがなかったのです。キムチを作って売り歩くしかなかった。彼女たちは本当に中国全土を回ったのです。チベットまでも」
 朝鮮族だから知っていることがある。その記憶を残すために、忘れないために、彼は映画を撮り始めたという。そうしてできたのが、彼の代表作ともいえる『豆満江』である。 

(後半につづく)

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