移動する人びと、刻まれた記憶

第1話 私もナグネだから
中国朝鮮族の映画監督チャン・リュル(前半)

韓国から、世界へ。世界から、韓国へ。人が激しく移動する現代において、韓国の人びとはどのように生きてきたのか? 韓国史・世界史と交差する、さまざまな人びとの歴史を書く伊東順子さんの連載の開始です。第一話は、映画監督チャン・リュルの話。今回は、その前半をお届けします。

映画『福岡』
 フェリーの中で見た光景は、チャン・リュル監督の映画『福岡』(2019年)を思い出させた。あの酒を飲んでいた男たちも、喫煙室で一人タバコを吸っていた女性も、それぞれの何かの事情を抱えているのかもしれない。
 映画には二人の韓国人男性(クォン・ヘヒョとユン・ジェムン)が登場する。彼らは28年ぶりに福岡で再会するのだが、二人が誰にも語らなかった秘密を、映画は冒頭からいきなりバラしてしまう。
 「はあ? そんなことで?」
 旅の同行者である若い韓国女性(パク・ソダム)は呆れるのだが、「そんなこと」のせいで一人は28年前から福岡に居続け、もう一人は28年間も福岡に来られずにいた。そして再会した二人の中年男性は福岡市内を転々としながら、ぐたぐた酒を飲み、過去の話を蒸し返しては、また酒を飲む。
 『福岡』は、その前の『群山』(2018年)と次の『柳川』(2021年)と「三部作」となっている。東アジアの街を舞台に、各国の役者とスタッフが共に作り上げるシリーズは独特だ。チャン・リュル監督はこれらの業績で「第33回 福岡アジア文化賞」(2023年)の芸術・文化賞を受賞したのだが、そのパンフレットに「東アジア映画」という言葉を見たときには思わず膝を打った。たしかに彼の作品にはそのジャンル名がふさわしい。チャン監督はこの授賞式に参加するために、福岡を訪れていた。
 監督に会って聞いてみたかったことは、実は映画の中ですでにパク・ソダムが言っている。
 「そんなことで?」――つまり移動の理由が軽すぎるということだ。もちろん個人的な感情は抜き差しならぬものであっても、過去のチャン・リュル作品にあったような「命がけの移動」とは全く質が違う。いや質が違うというのは私の誤解で、監督にとって移動の意味は等価値なのかもしれない。

移動は選択などではなかった
 「いや、そんなことはありません。全く違いますよ」
 のっけから監督の答えは明確だった。両者は全く別物だという。あまりにもきっぱりしすぎて、拍子抜けするほどだった。これではインタビューが1分で終わってしまう。むしろ私が変な抵抗を試みることになってしまった。
 「でも過去も今も移動には、最終的には本人の選択があるのではないですか? そこの部分は共通しているのでは? たとえば『豆満江』などの場合も……」
 「いいえ全く違います。選択などではなかった。他に方法がないから、仕方がなく、移動したのです」
 監督は「仕方がなく」という言葉を、ゆっくり区切るように言った。
 あとで詳しく述べるが、チャン・リュル監督の代表作の一つである『豆満江』(2010年)は、命からがら川を越えて北朝鮮からやってくる人々と、対岸の中国にある同胞社会との関係を描いている。またモンゴルの砂漠が舞台となっている『風と砂の女』(2007年)にも脱北者の親子が出てくるなど、初期作品の多くには、命がけで移動する人々が登場していた。
 ところが『群山』や『福岡』の韓国人たちの移動は、それほど思い詰めたものではなく、どちらかといえば思いつきに近い。『柳川』の中国人たちの風景もまた浮遊感がある。チャン監督の映画について最も詳しい研究者の一人である西谷郁氏は、その変化について、『慶州』(2014年)以降がチャン・リュル作品の転換点と分析している(注「ディアスポラと労働・工作の表象――2014年以後のチャン・リュル映画についての一考察」)。
 変化の背景には何があったのだろう?

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