資本主義の〈その先〉に

第13回 資本主義的主体 part2
補論 内部空間に露出する外部───パリ同時多発テロから考える

少なすぎる報道

 2015年11月13日の金曜日の夜、パリの各所が、イスラーム過激派組織ISのテロリストたちから、同時に攻撃を受けた。この連載は、1月の、やはりパリを襲った、イスラーム過激派によるテロについて論ずることから始めた。パリは、一年のうちに二度、イスラームの過激派からのテロ攻撃を受けたことになる。11月の二度目のテロも、この連載の主題、つまり現代の資本主義について考えさせるいくつもの論点を示唆している。そこで、今回は予定を変更して、パリ同時多発テロについて論じておく。このテロを媒介にして、現代の資本主義のどのような構造を浮かびあがらせることができるか、をである。
 まず、私は、単純に驚いた、ということを率直に述べておきたい。何に驚いたかというと、日本における、この事件の報道のあまりの少なさに、である。報道の質については、今は問わないにしても、報道の量が少なすぎる。事件の第一報は、当然、日本時間の14日の朝に入った。私の感覚からすれば、少なくともその日一日くらいは、できれば事件後の数日間は、他のすべての番組を中止して、フランスのテロについての報道に特化してもよかった。しかし、どの局も、──もちろんニュースで事件について知らせはするが−−─、通常通りの番組を放送していた。「オウム事件のときのように」とまでは言わないが、少なくとも、9・11テロと同程度には詳しく、徹底して報道してもよかったのではないか(1)
 「そんな遠くの国のテロのことなんか関心がないよ」と言う人がいるとすれば、その人はあまりにも無知である。何について? 自分について、だ。明治以降、日本が「西洋」を模範にして近代化してきたことは、否定しようがない。そのことをよく自覚していれば、フランスやパリは、自然と、自分たちの精神的なルーツのひとつに感じられているはずだ。
 文学や美術の歴史において、パリとフランスがもった圧倒的な意義については、あまりにも自明なので、くどくどと書く気にはなれない。われわれの美的な感性の(重要な)一部は、自覚していようがいまいが、パリやフランスに由来しているのだ。政治的にも、パリの重要性はあまりにも大きい。「人権」という概念のルーツのひとつがこの都市にあることは、フランス革命のときの「人権宣言Déclaration des droits de l’homme et du citoyen」(2)についての記述が高校の教科書にもあるので、ごく平均的な知識があれば、誰でも知っているはずだ。
 もう少し専門的なことを言えば、われわれが毎日のように使っている「国民」という語も、パリに由来する。国民の原語は「nation」で、そのもとにはラテン語のnatioがあるので、語自体は非常に古いが、この語が、今日のような意味で、つまり主権をもつべき文化的に均質な共同体というような意味で用いられるようになったのは、フランス革命のときである(「国民公会Convention nationale」といった具合に)。それ以前には、nationとかnationalという語には、政治的な含みはない。たとえば、フランス革命勃発の十年強前に、アダム・スミスが『諸国民の富The Wealth of Nations』を著しているが、この「nation」は、単に「人々」とか「社会」とかという意味に近く、「日本の国民」とかといった言い回しに登場するような「国民」という含意を持たない。
 要するに、パリへのテロを知ったとき、それを自分(たち)の精神的なルーツへの攻撃だったと自覚できないのだとすれば、その人はあまりにも己を知らない。このことは、実際にパリに行ったことがあるかないか、とは別のことである。日本人であれば、東京や京都に一度も行ったことがなくても、それらの都市でテロが起きれば、われわれの共同体が狙われたと見なすだろう。パリへのテロも、同じように、われわれへの攻撃である。
 だが、日本のマスメディアのこのテロについての報道の少なさは、こうしたことが、今では日本人のコモンセンスから消えつつあることを示している。報道する側からも、また視聴者からも、である。それゆえ、現代の日本人に対しては、このテロの社会学的な意義について論じておく必要が特に大きい。

「私たちが逃れてきたのは、まさに」

 さて、パリ同時多発テロの特徴はどこにあるのか。たとえば、21世紀の最初の年にニューヨークで起きた9・11テロと比較したときに浮かび上がる特徴はどこにあるのか。パリのテロもニューヨークのテロも、犠牲者の数は非常に多いが、この点に関してだけならば、後者の方が一桁大きい。パリでのテロの衝撃は、犠牲者の数ではなく、その形式的な特徴にある。
 9・11テロのときには、攻撃のターゲットは、ワールドトレードセンターであったり、ペンタゴンであったりした。それらは、経済的・軍事的な、さらには政治的な意義の大きい特権的な建造物である。だが、パリの同時多発テロは違う。攻撃の対象は、政治的にも軍事的にも経済的にも中心性をもってはいない。狙われたのは、レストランであり、ロックコンサートの会場であり、サッカーのスタジアムだった。つまり、先進国の都市の日常的娯楽の中にある場所、日常的な大衆文化が展開する場所である。
 したがって、パリの同時多発テロについては、次のように言わなくてはならない。それは、「都市の日常への、最もありそうもないことの、突発的な侵入」として体験されたのだ、と。この点を確認した上で、テロの翌日パリに渡ってきたばかりの一人の難民が、テレビのインタヴューに答えて語ったというコメントの中に含まれた真実を噛み締めなくてはならない。「今のパリのような街を想像してみてください。今日このあたりを支配している例外状態が、単純に、何ヶ月もつづく日々の生活の恒久的な特徴になっている街を、です。私たちが逃れて来たのは、まさにそのような街なのです」(3)
 つまり、こういうことだ。パリでのテロは、先進国の都市の日常に、不意に出現した究極の非日常である。その非日常を単純に、何ヶ月も、場合によっては何年もつづく日常へと反転させてしまうとどうなるのか。それこそ、まさに、中東やアフリカのいわゆる「第三世界」の(いくつかの)国々の日常生活であろう。アフガニスタンやコンゴやチュニジアやレバノンの日常、そして何より、まさにISがあるシリアやイラクの日常であろう。パリでの「日常/非日常」の「地/図」の関係が反転すると、紛争地域の状況が得られる、と説明してもよいかもしれない。いずれによせ、後者の地域では、パリで突発したような暴力が日常の現実である(4)
 すると、われわれは、気づかざるをえない。「われわれ」は、豊かな国の「われわれ」は、囲われた内部のような世界に生きているということに、である。外部では、不断の暴力やテロによって日常が構成されている。それに対して、内部は、原則的には、暴力から隔離されているのだが、その内部でも、ときどき──つまりあの11月13日のような日に──暴力が突発する。同じ暴力が究極の非日常として現れる場所と、逆に日常の風景となる場所。地球は、この二つの場所に分裂している。