ユタ州のCGラボ
皆さんは米国のユタ州と聞いて何を思い浮かべるだろうか? ソルトレイクシティを州都とし、インディペンデント映画を対象にしたサンダンス映画祭が毎年開催され、人口の約60%をモルモン教徒が占める場所だ。多くの日本人にとってユタ州は関係の薄い場所だろう。
かつてユタ州にはコンピュータサイエンスのメッカと言える伝説のラボが存在した。このラボがなければ、現在のデジタル文明は存在しなかっただろう。ニューヨークでもシリコンバレーでもないこの辺鄙な土地(失礼)につくられたラボから、デジタル文明のビジョナリーが次々と輩出された。しかもたった7年の間に。
この伝説のラボは、1968年にユタ大学に新設されたコンピュータサイエンス学部のコアメンバーであるアイヴァン・サザランドとデイヴィッド・エヴァンスによって設立された研究グループのことだ。サザランドはインタラクティブ技術のパイオニアであり、Sketchpadという描画プログラムの開発者として知られている。エヴァンスも著名な情報工学者だった。この二人は当時ほとんど誰も注目していなかった3次元CGの研究をこの地で始める。そしてキャンパス内にエヴァンス&サザランド社を立ち上げ、研究成果のビジネス化を並行して進めた。チームの研究成果は目覚ましく、7年間の間に3次元CGの基礎技術のほとんどを作り上げてしまったといっても過言ではない。
当時、3次元CGに可能性を見出している人はほとんどいなかった。まっとうなコンピュータサイエンスの研究テーマではないと考えられており、ユタ大学は役立たずの研究をする場所とさえ思われていたらしい。エヴァンス&サザランド社によって開発された世界初の商用3Dシステムは数台しか売れなかった。しかしサザランドをはじめとするラボのメンバーは3次元CGが未来を築くと確信していた(この辺りの歴史は、大口孝之『コンピュータ・グラフィックスの歴史』に詳しい)。
ユタ大学が輩出した人材
このラボの一番の成果は人材の輩出にある。その一人、ジョン・ワーノックはPostscript(PDFフォーマットの元祖)を考案し、Adobe Systems社を創立した人物だ。少々大げさに言えば、PCやスマホに美しい文字や図表を表示できるのは彼のおかげだし、綺麗なプリントアウトが可能なのも同社の技術なしに実現しなかったのだ。
ジム・クラークは、ジオメトリ・エンジンと呼ばれる高速グラフィックチップを開発し、シリコン・グラフィックス社を起こした。同社はリアルタイムのCGを世界に普及させた中心的存在だった。その後、クラークは起業家に転身し、ウェブブラウザで知られるネットスケープ社を起こしている。つまり、彼の貢献がなければ、私たちはウェブブラウジングもVRもゲームも楽しめなかったかもしれないのだ。
エドウィン・キャットマルはPIXARの創立者で、現在はWalt Disney Animation Studiosの社長を務めている。トイ・ストーリーやアナ雪やスターウォーズで感動できるのは彼の貢献によるものだ。
パーソナル・コンピューティングのパイオニアとして知られるアラン・ケイもこのラボの出身者だ。彼はPCやタブレットの元祖となるDynabookというコンセプトを考案したことで知られている。アランがいなければ、私たちの生活にはスマホもタブレットも存在しなかっただろう。
これだけの人材が、若き無名の研究者として同じ場所に所属していた事実は驚愕に値する。デジタルメディアの世界に限定すれば、そしてこの7年間に限定すれば、ユタ大学という場所が世界でもっともクリエイティブな場所だったと言える。ハーバードでもMITでもカルテックでもなく、ユタ大学だったのも興味深い。
どこに身を置くべきか
自分を大きく成長させるには、「何をするか」も大事だが、むしろそれ以上に、「どこに身を置くか」が重要なのではなかろうか、という話が今回の趣旨である。
時節も常に移り変わるし、人材も流動的だ。サザランドがカルテックに移動したことで、伝説のラボは7年間で解散を迎えた。メンバーはゼロックスのパロアルト研究所やニューヨーク工科大学に移籍していく。しかし、ラボの出身者は来るべきデジタル文明のビジョンや起業家のスピリットをすでに具備していた。彼らはそれぞれの新天地で活躍し、前述したようなコンピュータカルチャーを築いていくことになる。
伝説のラボは今後も生まれ続けるだろう。それは、ある時期にある場所にのみ存在するものであって、創造的な居場所は時と共に移り変わっていくのだ。
世間には次々とバズワードが生まれる。今であれば、IoT、VR、人工知能あたりだろうか。マスメディアはそれらの分野がもっとも創造的であるような幻想を抱かせる。しかし、現在ほとんど注目されていない新領域、1968年当時の3次元CGのような領域に着目し、全力でその世界を構築している場所こそが、本当に創造的な場所であり、未来を作り上げていく人材が生まれる場所ではなかろうか。その場所は東京でもサンフランシスコでもない僻地に存在するかもしれない。
さて、皆さんが今いる場所は、もっとも創造的な場所だろうか。後の世界を変えるビジョンを共有できている場所だろうか。同僚や先輩は世界を変えるビジョナリーたりうる人材だろうか。研究者はもちろんのこと、それ以外の多くの人にとっても自問自答することは無意味ではないだろう。