脇田玲

第5回:産学共同研究の秘訣

いま「ラボ」や「リサーチ」を冠した組織が、アフターインターネット時代のビジョンを作りあげつつある。彼らはスピード感と軽やかさを武器に、新しい技術の可能性を社会に問い続けているのだ。ラボやリサーチをイノベーションの駆動力とする「ラボドリブン社会」とはどのようなものか。ビジネスからアートまで、最先端の現場からラボの新しい姿を解き明かす。

大学は様々な組織と連携して研究を進める。企業との共同研究はその柱の一つだ。大学の研究成果を広く社会に影響させるために、技術の移転や手法の共有が活発に行われている。今回は産学の共同研究について、大学の研究者の視点から二、三考えたことをお話ししたい。

大学におけるラボとは研究室のことだ。研究室は教員が専門テーマを深くリサーチする場であり、一般的に、学部の3、4年生、修士課程と博士課程の大学院生、研究員などから構成される。大学によっては「ゼミ」と呼ばれることもあるが、この場合、学部生を中心に少人数で議論する場を示すことが多く、研究活動というよりは教育活動の一形態と考えてよい。

大学の研究室は、企業の研究活動と比較して、リスクが大きすぎるテーマや短期間で収益が見込めないテーマを扱うことが多い。つまり、大学の活動は、企業の研究活動の範囲外を扱っている訳で、両者が共同で作業することで新しい知見が生まれる可能性は大きい。

 

企業が大学に求めているもの

様々な企業と共同研究をしてきた中で、どうやら企業側は三つのニーズをもって大学と付き合っているように思うようになった(これはアンケートしたわけではないし、あくまでも経験による推察である)。

 

1. 研究の成果が欲しい

2. 人材が欲しい

3. 共同研究しているという事実が欲しい

 

1は、研究室が保有する技術やノウハウを自社のビジネスに活かす目的で共同研究を遂行するパターンで、もっとも健全な理由と言える。新しいものを生み出すのは若い人が圧倒的に多いので、対象は自然に若手・中堅の研究者になりがちだ。研究を推進するメソッドや理論を求める場合もある。研究室には新しいものを生み出す秘訣が隠されているはずで、成果そのものよりも成果を生み出すメカニズムを知りたいというニーズもあるのだろう。

2は、若くて有能な人材を求めて共同研究を実施する、つまり青田買いが目的になる。数ヶ月から一年という時間を共有することで、企業側は大学生・大学院生の能力や人となりをじっくりと判断できるし、学生側も企業の体質を近くで見られるわけで、両者にとってメリットがある。ただ、共同研究の形式上の名目は別にあって、実質はリクルーティングしているという不純さが存在していることは、両者になんとなく雰囲気として共有されているので、そこで進められる共同作業は一種の「プレイ」でしかなく、名目に値する成果が得られることも少ない。

3はブランディングや広報目的で共同研究を実施することを意味する。このパターンは、著名な大学や教授と共同研究をしているという事実がビジネスにプラスになるという思惑からおそらく生まれる。お墨付きをもらうことで商品やサービスに箔がついたり、妙な説得力を持つことは多々ある訳で、このニーズは意外と多いように感じる。

 

大学が企業に求めているもの

さて、大学側は何を求めて企業との研究を実施するのだろうか。私の個人的実感から考察するに、以下の三つのパターンが存在する。

 

1. 研究の成果が欲しい

2. お金が欲しい

3. 共同研究しているという事実が欲しい

 

1は、企業のニーズとも重なるもので、両者の知見がないと到達できない研究を実施することが目的になる。研究室からすると、企業しか持っていないデータへのアクセスが可能になることは知的好奇心を大きく揺さぶるし、自身の研究成果が商品やサービスとして社会にアウトプットされることも魅力的だ。

2は、大学ならではのニーズであり、研究室のワークスタイルに起因するものだ。共同研究を実施するにはまず何らかのシーズが存在している必要があるが、それを生み出すには元手の資金が必要になる。共同研究を通して企業が得られる知見の多くは、以前にどこかの資金を元に作られたものなのだ。そして、現在遂行している共同研究の費用は、次の誰かとの共同研究のシーズを生み出すために使われることが多々ある。このスタイルを認めるという企業側の合意が産学のコラボレーションには必要なのだ。

一般に大学の研究者は功名心に飢えており、それが3つ目のパターンにつながる。多くの研究者は論文を書くことが本分なので、権威ある学会で成果を発表することが重要だ。だがそれだけではなく、研究成果をプレス発表することで名をあげることも若手研究者には重要な活動なのだ。大学の運営サイドが広報目的でプレスを教員に求める場合もある。大学側が広報目的で共同研究を実施することは珍しいことではない。

上記の3項目はいずれも必要なものなのだ。基本的には、研究者の創作欲と功名心の良い塩梅、それがドライビングフォースとなって研究活動は進むものだ。そして、実験的な活動をサステナブルなものにするためにはお金が必須なのはいうまでもない。

一方で、お金欲しさの研究というのはいい着地をしないし、やっていてもつまらない。お金目当てで仕事をしてしまった企業とは関係も続かない場合が多い。最初は小さな金額で共同作業を初めて、少しづつ成果を出し、信頼を獲得し、徐々に大きな金額の研究として積み上げていくことが特に若手の研究者には求められる。

大切なことは、企業側と大学側で相手が1〜3のどれを求めて共同研究をしたがっているのかを把握して対話を進めることだ。

産学の共同研究の特徴は学生の存在だ。学生が参加するメリットは、若い頭から生まれる創造性、これに尽きる。おじさん達はアイデアが枯渇し、書店で「イノベーションを生み出すホゲホゲ」みたいな本に群がっている状況なのだから仕方ない。それと比べると若い人の創造力は素晴らしい。体力もあるからすぐ形にすることもできる。しかし、それがいかに価値のあることか、自覚している若者は少ない。

学生ならではのリスクもある。責任感がなく、社会的耐性もなく、トラブルが発生すると引きこもって音信不通になったりする。しかし、そのようなリスクがあるとしても、大学と企業が共同研究を通して人材育成を一緒に進めることの価値はプライスレスだ。教室で学ぶことは少ない、研究室で学ぶことはそれよりちょっと多い、現場で学ぶことは計り知れない。

 

牛丼的であること

産学共同研究の理想は牛丼的であることが大切だと思う。つまり、早い、安い、うまい、の三拍子が揃った研究だ。

大学の研究室内である程度のまとまった成果を出すには数年かかるが、企業との共同研究は一年契約で進められることが多い。大学で数年かけて作ったシーズが企業のニーズとうまく組み合わされると一年でも面白いものはできるものなのだ。私の経験では、特にデジタルメディアを扱う研究では、企業側も1〜2年程度での実用化を期待して進める場合が多く、素早く形にすることが兎に角重要なのだ。

研究費については安い方がいい。ただ何かを作るだけでは研究費は安いのだが、そこに実験と評価が加わると研究費は跳ね上がる。だから研究費を上げたい研究室は評価をしっかりした上で納品する。私はこのプロセスは、特にデジタルメディアに関する共同研究では、不要だと考えている。「それでは研究費が下がり、大学が企業にとっての安い外注先に成り下がってしまうではないか」という批判もあるのだが、大学でできる評価や実験など、企業が実施している評価に比べれば大したものではないのだ。評価に時間とお金をかけるよりは、素早くプロトタイピングしたものの可能性を両者で議論することを重視して、評価については企業側に任せた方がいい。

牛丼が一口食べてうまいと感じるのと同じように、産学の共同研究はすぐにその面白さや可能性がわかるものがいい。じわじわとゆっくりうまみが伝わる滋味溢れる食事ではなく、可能性が即断できる牛丼のような研究が重要だ。これは先の主張とも関係するが、評価をして初めて良さが伝わるような研究ではなく、一見してビジョンと可能性が伝わるわかりやすい研究をすべきだということだ。そのようなわかりやすい成果が生まれると研究が継続する場合が多いので、より多くの研究費が追加され、研究を深く進めるフェイズに進むことができる。実効性の検証もその段階になってからでも遅くない。

牛丼的研究を多様な組織と数多く回していくことが、産学共同研究を通して社会に多くのメリットをもたらすことになる。じっくりと時間をかけた研究ももちろん大切だが、それは共同作業ではなく、それぞれが個別の作業として進めれば良い。

以上、産学の共同研究について私なりの意見を述べた。これらは十数年という短い研究生活からの臆断に過ぎず、デジタルメディアの分野に限定した話なので、全ての産学共同研究に当てはまるものではないことをご理解いただければ幸いである。また、海外の場合は全く異なるであろうし、官学の場合にも異なるスタイルがあるのは言うまでもない。ただ今回は、企業と大学がお互いを知るということが、快適で健全なやりとりをする上で無意味ではないだろうとの考えで、このような文章を執筆にするに至った。TwitterやFacebookを通して、この手の議論が活発になり、両者の誤解が少しでも埋まり、実りある共同作業が生まれていくことを祈ってやまない。