脇田玲

第7回:マッハの思考経済とラボ

いま「ラボ」や「リサーチ」を冠した組織が、アフターインターネット時代のビジョンを作りあげつつある。彼らはスピード感と軽やかさを武器に、新しい技術の可能性を社会に問い続けているのだ。ラボやリサーチをイノベーションの駆動力とする「ラボドリブン社会」とはどのようなものか。ビジネスからアートまで、最先端の現場からラボの新しい姿を解き明かす。

エルンスト・マッハ

私にとってスーパースターといえばエルンスト・マッハだ。超音速流体の研究で大きな成果を残したことは世人の知るところで、マッハ1、マッハ2といった流速と音速の比を表す数(マッハ数)には彼の名前が使われているし、衝撃波の写真を世界で初めて撮影したことでも知られている。流体シミュレーションを使って身の回りの様々な風景を可視化をしている私の仕事も、実はマッハのこの写真に感化されて始めたことだったのだ。例えば、2016年に小室哲哉さんとの共作として発表した「Scalar Fields」という作品は、靴のソールが空気中に伝える圧力場を8Kサイズで可視化し、5.1chサラウンドの小室さんの音楽と一体化させた映像音響インスタレーションだ。マッハの時代は写真が主要な可視化のメディアだったけど、現在は高速なコンピュータでシミュレーションをすることができる。

マッハの名前は科学以外の場所でも多用される。シュートボクシング出身の総合格闘家の桜井マッハ速人(どんだけ速く動けるんかい!)、タツノコプロのアニメのマッハGoGoGo(自動車が超音速で走るかっ!)などなど世間一般ではどツッコミどころ満載の乱用具合であるが、この手の素朴な感覚に基づく誤用や乱用というのも、彼の物理学的貢献の社会への影響力を表していると言えなくもないだろう。

図1 マッハが撮影した衝撃波の写真

 

図2 空気中の圧力場を可視化した作品「Scalar Fields」

 

マッハにはもう一つの顔、哲学者としても大きな実績があった。絶対時間や絶対空間といった実際には体感しえないものを前提としたニュートン力学的世界観に距離を置き、現象そのものに重きを置いた現象学的物理学を提唱したのだ。マッハの認識論はフッサールやレーニンに随分と攻撃されたのだけど、実はフッサールは「現象学」という言葉をちゃっかりとマッハから拝借していたし、マッハの『感覚の分析』に影響を受けたグラーツ学派やベルリン学派がその後のゲシュタルト心理学を体系化していくわけで、19〜20世紀にかけての思想哲学に多大な影響を与えた人物だったのだ。


思考経済と科学の性質

そんなマッハが唱えた概念の1つに思惟経済(または思考経済)がある。これは経済的・金銭的な話ではなく、進化論的な視点から科学の基本的性質を説明しようとした試みだ。

僕らの生きているこの世界はあまりに広大であまりに豊かなものだから、それら全てを思考しつくすことは不可能だ。限られた人間の思考の中で世界を把握するためには、力を節約する必要があり、それには有機的に組み立てられた枠組みで世界の特徴点を把握しようとするのが効率的だ。

マッハは言う。「与えられた領域を最小の支出で概観し、事実の全体を単一の思考過程で模写しようとするこの目標は、当然、経済的な目標と呼ぶことができます」と。このような思考の経済が最もわかりやすく反映されている例は数学だ。例えば、九九の表や対数表は、新規に行うべき計算を既に行われた計算で代替し、思考を節約している。連立方程式を解く代わりに行列を使う場合も不必要な思考の操作を敬遠しているわけだ。つまり、数学とは、経済的に秩序立てられ、いつでも再利用可能な形で再構築され続けてきた過去の算術経験に他ならない。

数学の思考経済はさらに続く。代数が生まれ、数の代わりに文字や記号が使われるようになる。記号によって思考は軽減され、算術をより高度な思考と機械的な仕事とに切り分けることが可能になった。さらにマッハの卓見はコンピュータにも注がれている。「この方法の経済的性格は自ずと明らかです。計算器の作製はこの方法を推及したものにすぎません。この間の事情をはっきりと認識した最初の人は、おそらく計算器の発明者であるバベジその人です。彼は『手工業と機械の経済』という著者のなかでほんのかりそめにふれているだけですが、それでもやはりそういってよいと思います」

オイラーほどの大数学者でも、鉛筆の方が自分より頭がよいのではないかと不愉快になったそうだ。「私共が学問の中で対峙するものの一部は、現に他人の知性」なのだから無理もないだろう。現代の数学者の中にコンピュータに対して不愉快さを感じる人たちがいるのも納得できる。

かつて行われた膨大な人々の経験が、伝達や学習を通して一人の人間の頭脳に蓄積されていく。こうして蓄積された科学が、その過程を知らない人にとって魔法に見えることも納得できる。SF作家アーサー・C・クラークは「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」と言ったが、その理由は思考経済によるものなのだ。

 

思考経済とラボ

リサーチとは膨大な他者の知性を自身に蓄積し、そこから新たな知を生成する行為と言える。だが新たな知を生成するのはイバラの道だ。自らの経験はほとんどが失敗に終わるからだ。日々これ失敗、そんな営みの上に、わずかな成功の経験が生まれ、少しずつ積み上がっていく。その経験の塊に思考経済を働かせて法則や定理と呼ぶべきものをつくることができれば、それは科学における知となっていく。

ラボとは膨大な失敗をする場所なのだ。失敗を許容する文化がない組織ではラボもリサーチも実践できないだろう。このコラムで実験マインドが重要であることを繰り返し強調しているのはこの理由による。

さて、今回はマッハの思考経済の概念、さらにラボ及びリサーチとの簡単な関係に言及したのだけど、これはインターネット以前の、古典的な研究室での古典的な研究活動との関係に過ぎず、このコラムで注目している今日的なラボやリサーチでは事情が少し違ってくる。そんなアフターインターネット時代のラボとリサーチに作用する思考経済については次回のコラムでとりあげたい。
 

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