中島たい子さんは信用できる。丁寧で、嘘をつかない作家だ。
だから、中島さんの本を手に取るとき、いつも安心している。私は読書中にどきどきするのが好きではないので、とてもありがたい。無理矢理にわくわくさせられたり、むやみに前向きにさせられたりしない。自分のペースで、甘くも苦くもない、実直に描かれた小説世界を歩んでいける。
『がっかり行進曲』も、真摯に書かれた、本当のことばかりで作られた小説だ。
主人公の佐野実花にはぜんそくの持病がある。そして、運動会などの特別な日になると決まって発作を起こしてしまい、学校を休まなくてはならなくなる。「がっかり」ばかりの日々だ。音楽を聴くことや読書が好きだが、それが何かに繋がっていくわけではない。上手くいくことなんて、ほとんどない。
青春小説と銘打ってあるが、努力も成功もない。恋愛は少しあるが、それが実るか実らないかはどうでもいいことだ。
少女から大人へと進んでいく段階が描かれる。でも、成長について書かれているのではないと感じる。
成長よりも、もっと大事なことがあるのだ。豊かな日々だ。光樹くんや岩崎さんなどの友人たちとの関係が、小説らしい弧を描く。
そうだ、子どもだからって、何かに向かって生きなければならないことはない。好きなことがあるからといって、勉強や将来の仕事に繋げなくてもいいのだ。ただ、自分らしく、好きな人や好きなものを、好きなままでいればいい。友人関係、趣味への取り組み、自分が人や物に触れたとき、つい、その関わりによって何か結果を出さなければならない気持ちになってしまう。でも、本当は、結果なんて出さなくても構わない。好きなままだったら、「がっかり」して、いいのだ。
平易な文体で、じっくりと「がっかり」を肯定していってくれるから、学校に上手く通えていない若い人に、ぜひこの小説を読んでもらいたい。あるいは、昔、若かった人にも。
私自身は健康優良児で、小学校は無欠席で通った。そして、運動や集団行動がものすごく苦手だったから、運動会の朝は憂鬱で、むしろズル休みしたかった。だから、実花とは正反対の子どもだったのだが、今、この小説を読んだら、すごく心に沁みた。幼かった私の心にあったもやもやを全肯定してもらえた。
実花は小学校六年生のときに、イギリスのバンドと出会う。そして、歌詞が引用される。「そのままにしときなさい」。
がっかりしたままでいい……そのままにしときなさい。
これでいいのだ、と気がついてから、実花は少しずつ生きるのが楽になっていく。
もちろん、人間は楽になるために生きているわけではない。「なんのために生きるのか」という問いに、まだ地球上の誰も完璧な答えを出せていない。答えがないのだから、どんなふうに生きたっていいのだ。無駄に苦しい思いをしたり、意味のない努力をしたりしなければならないという法はない。
実花が通っている学校は「自由な校風」が売りの少し変わった学校だ。でも、小さないじめは起こるし、生徒たちが勝手に作るルールはある。
また、病気や死から自由になることは、生きている限り絶対にできない。
おそらく、この世界には、本当に自由に生きていけるという場所はないのだ。
でも、今いる場所で、想像できる限りの自由を求めて、あまり苦しまずに生きていきたい。私も含め、みんなが求めているその道に、『がっかり行進曲』は明かりを灯してくれる。