日本思想史の名著を読む

第9回 山片蟠桃『夢ノ代』

「無鬼」論の衝撃

 「この世には不思議な事など何もないのだよ」。京極夏彦によるミステリー小説『姑獲鳥<うぶめ>の夏』(一九九四年)で、探偵役の古書店主・京極堂こと中禅寺秋彦が語った名ぜりふであるが、同じような言葉を遺した徳川時代の思想家がいる。大坂で商人として、また儒者として活躍し、その名を後世に残した山片蟠桃(寛延元・一七四八年~文政四・一八二一年)である。晩年近くの文政三(一八二〇)年に完成した、大部の主著『夢ノ代<しろ>』の「跋」には、人生の終わりがすでに近いことを意識して、辞世の和歌が二首記されている。その一つはこんな歌であった。

神 仏 化物もなし世の中に奇妙ふしぎのことは猶なし

 『夢ノ代』は、全十二巻からなる著書である。その内訳として各巻の題名を挙げると、天文・地理・神代・歴代・制度・経済・経論・雑書・異端・無鬼・雑論となる。現代の学問分野になぞらえるなら、まさしく天文学、地理学、神話学、歴史学、政治学、経済学――巻名の「経済」は経世済民の略で、エコノミーの意味ではないが、扱っている対象が物価などの経済政策を主とするので、実質上は現代語でいう「経済」に近い内容になっている――と、諸学を総覧した簡単な百科全書のような書物である。そのうち「無鬼」は第十巻・第十一巻の二巻を占めており、熱意をこめてとりくんだ部分であったことがうかがえる。
 書物の最初に付した「凡例」で蟠桃は、自分の書いた内容はありふれた議論で、大坂の商人たちが設立した学校、懐徳堂で教えを受けた二人の師、中井竹山・履軒の兄弟から学んだことのくりかえしにすぎないと謙遜している。だがそこでも「太陽明界の説」、すなわち西洋天文学の書物に基づいて、太陽系外の恒星もそれぞれ惑星系を持っていると推論した見解と、「無鬼ノ論」との二つについては「余ガ発明」したところを述べたと語る。蟠桃の「天文」の議論は、当時日本に入っていた西洋天文学の最新の議論、地球説と地動説、さらに万有引力の法則を紹介したものであった。その最新の科学知識をさらに更新した「太陽明界の説」と同じくらいに、「無鬼ノ説」はオリジナリティの高い見解だと誇っていたのである。
 ここで「鬼」とは第一には日本の昔話や仏教説話に出てくる、角を生やした人間の形をした妖怪のことではない。ただしそうした神秘的な働きをする存在を一括して、儒学では「鬼神」と呼ぶ。「鬼」と特に限定していう場合は、死者の霊魂のことを意味する。そうした「鬼神」が現実のこの世に現われ、影響を及ぼすという考えを、蟠桃は徹底して否定するのである。
 たとえば「神代」すなわち『日本書紀』の神代巻が述べ伝える、さまざまな神々の伝説について、蟠桃は第三巻「神代」で、「疑ハシキハ疑ヒ、議スベキハ議ス」という態度で臨んでいる。そしてその内容は、登場する人物(神)が八十三万年も生きたというような「無稽」な話や「怪事」が多い。また、文字が日本に伝わる以前の事柄に関する言い伝えに信用を置くことはできない。そして蟠桃は、同じく中国の伝説で歴史の初めにいたとされる三人の皇帝と並べ、「漢土の三皇、日本ノ神代ノコトハ、存シテ論ゼズシテ可ナリ」と言い切って、これを信奉する「和学者、神道学ヲ唱フル人々」を徹底して批判したのである。その論理の鮮やかさは、まさしく京極堂の活躍ぶりを想像させる。徳川時代の思想家のなかでも、合理的な批判精神に富んだ人物だった。

懐徳堂と富永仲基

 蟠桃の名前はもともと長谷川惣五郎という。播磨国印南郡神爪村(現在は兵庫県高砂市神爪)の裕福な商家の次男に生まれている。十三歳のときに郷里を出て、大阪堂島の大商人、升屋に丁稚奉公を始めた。このとき、やはり升屋にかつて仕え、その別家として独立していた伯父の養子となり、その名前を継いで久兵衛と名乗るようになる。升屋は堂島米相場会所をとりしきる五仲買の一つであり、このころには多くの大名に資金を貸し付ける大名貸に、経営の重点を移していた。
 当時の大阪には、やはり豊かな商人たちが設立した儒学の学校、懐徳堂が繁栄を見せていた。升屋は、久兵衛を商人修業のかたわら懐徳堂に通わせ、先に名前を挙げた中井竹山・履軒のもとで学ばせている。それは当時の大坂商人として当然の、身につけるべき教養だったのだろう。懐徳堂の学問は朱子学を中心とするものであったが、『夢ノ代』の記述からは、荻生徂徠や太宰春臺、儒学以外には仏書と、天文学を中心とする蘭学をもまた独自に学んでいたことをうかがわせる。
 やがて久兵衛は升屋本家の支配番頭にまで出世して、天明三(一七八三)年には仙台藩に大名貸を行なって財政再建に成功を収め、升屋は全国の五十もの大名家と取引するまでに成長する。文化二(一八〇五)年には主家から親類並みを許され、その名字を冠して山片芳秀と名乗るようになった。そしてこれと並行して享和二(一八〇二)年、その知見を集大成した著書『夢ノ代』の執筆に着手したのである。その完成は実に十八年後の文政三(一八二〇)年、すでに数え七十三歳に達した年であった。学者としての号「蟠桃」は、仙境に存在するとされる大きな桃の木を意味する言葉であるが、「番頭」と同じ音の語を選んだとも推測されている。
 山片蟠桃自身はふれることがないが、「無鬼」の議論に代表される徹底した批判の姿勢は、蟠桃が生まれる二年前に没した学者、富永仲基(正徳五・一七一五年~延享三・一七四六年)と共通することが、しばしば指摘される。仲基はやはり、十歳のときに設立された懐徳堂で学んだと推測されているが、十五、六歳のころに師の怒りにふれ、破門されるなりゆきとなった。そののちは独立した学者として活躍するものの、三十二歳の若さで没している。
 その晩年に公刊された短い著書『翁の文』は、「神道」「儒道」「仏道」のすべてに徹底した批判を加え、本当の「道といふべき道」としての「誠の道」の概略を述べたものである。破門されたのも、そこに見える儒学批判を師に対して述べたてたからであろう。仲基に言わせれば、儒学の教説はどの時代のものでも、より古い時代の思想を権威としてもちあげ、ライヴァルを論破する「加上」の方法によって作りだされたものにすぎない。そうした論争のイデオロギーにすぎない三教を批判したあとで、仲基が提示する「誠の道」とは、過去の時代や外国の思想に憧れるのをやめ、「今のならはし」「今の掟」に従いながら、穏やかに「今の人」と社交を続けることであった。
 仲基とは異なって蟠桃は、あくまでも自分は中井竹山・履軒門下の儒者だという自己認識に立っている。だが、「無鬼」論に見える、神道家や儒者たちに対する徹底した批判は、仲基の批判精神をひそかに受け継いでいるようなところが、確かにある。

「経済」の時代

 蟠桃は儒者であるから、あくまでも古代の中国で書かれた経書を、人と世を論じ、評価するときの基準とした。だが同時に、儒学が理想とする夏・殷・周の「三代」と、徳川日本の「当世」との風俗の違いを強調する。「三代ノ治ハ三代ノ人ニ施スベシ」「当世ノ治ハ当世ノ人ニ施スベシ」。儒学が理想とする「上古」の時代と、「当世」とは世の風俗がまったく異なるのだから、統治の具体的な方策もそれに合わせて変えなくてはいけない。
 そして、以前の時代と「当世」との違いを示すのは、徳川時代に進んだ経済成長である。市場経済の発展をみた十八、十九世紀には、奢侈をきびしく戒め、商業の発展を抑制するような従来の儒学型の政策はなじまない。「天下ノ知ヲアツメ、血液ヲカヨハシ、大成スルモノハ、大坂ノ米相場ナリ」。第六巻「経済」で蟠桃はそう述べる。無数の人々がそれぞれに知恵をめぐらし、売買を行なった結果として、市場における価格が決まっているのである。それは「人気ノ聚<あつま>ル処」であり、「又コレ天ナリ、又コレ神ナリ」とまで蟠桃は形容する。
 したがって商品の価格が低くなるよう統制する政策などは、「不自由ナルコト云<いう>ベカラズ」。むしろ、統治者があまりにも無駄な奢侈は控えながら、物価を市場の動きのままに任せることで物価は適切な水準に落ち着くだろう。ここに見えるのは、一種の市場の自由放任を求める議論である。昭和戦前期から経済思想史の研究で蟠桃が注目されてきたのも、そうした先駆的に見える議論を展開していたからであった。
 ただし、現代において自由競争を推進する言説がしばしば批判されるような、弱肉強食の競争を蟠桃が奨励したわけではない。「経済」は「マヅ民ヲ富<とま>スコソヨカルベシ」と、人々の生活を保障する努力が統治者には大事だと説いている。そしてそのあとに続けて、こういう議論を展開する。

今茲<ことし>河内ノ大水ニ、浪華ノ富人以下米飯諸物ヲ運漕シテ、饑民ヲ救フコト先ヲ争フ。ソノ身分ニ随ヒテ誰一人其施恵ヲヲシム心ナシ。[中略]実ニ浪華ニ金多キユヘノミ。コレヲ以テ富ヲ貪ラザルヲシルベシ。コレヲ以テミルトキハ今風俗頽弊スト云ヘドモ、コノ俗ヲ変ズルコトハイト易<やす>カルベシ。

 「河内ノ大水」とは、享和二(一八〇二)年七月、日本各地が洪水に見舞われた天災を指している。このとき被害の大きかった河内地方に、大坂の商人たちが被災者を救おうと物資を運び、配給した。それは大坂の経済が豊かであり、そして大坂商人たちのあいだに、困窮した人々を救おうというモラルが根づいていたからであった。つまり蟠桃はここで、商業を通じた富の追求が、むしろ他者を救おうとする倫理の支えになりうることを示唆している。
 もちろん、現実の大坂商人が常にこうした「施恵」の姿勢で世に臨んでいるとまで、蟠桃は考えてはいなかっただろう。だがここに見えるのは富永仲基とも共通する「今」の風俗に対する信頼である。みずから大商店の陣頭に立って経営競争を指導しながら、同時に商人たちがおたがいの生活について、また貧しい人々の困難について思いやるモラルを、育てつつあると蟠桃は見ていたのであった。

 

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