生き抜くための”聞く技術”

第9回 デマが人々を虐殺に駆り立てた

日本人が加害者だった

 先週は「コロサナイ」という言葉をどう聞いたのか。命の分かれ目となった話をしたよね。今回は、ぼくたち日本人がデマを聞き、信じてしまったことから起きた虐殺について話そうと思う。
 虐殺って、日本人が起こしたわけじゃないよね? と驚く人もいるかもしれない。海外のケースは聞いたことあるけど、日本人が虐殺をしたなんて知らないという人もいるだろう。でもきょうはそのことについて話したい。日本人が加害者となった話だから、決して耳ざわりのいいものじゃない。聞きたくないという人もいるだろう。でも自分たちも何かのスイッチが入ると、そんなことをしてしまう人間なんだということは知っておいたほうがいいと思う。過ちを二度と繰り返さないために。
 それは最近、東京都の小池都知事との関わりでニュースにもなった出来事だ。
 1923年9月1日11時58分。東京をものすごい地震が襲った。関東大震災だ。たくさんの家屋が倒壊し、火災があちこちで起きた。折からの強風にあおられて火は瞬く間に広がっていった。死者の数は10万人にものぼった。
 もし自分がそんな状況に置かれたとしたら、どんな精神状態になるだろう。家を失っただけでなく、家族の行方もわからなくなり、友人は亡くなってしまう。行き場もなく、火災は迫ってくる。悲しみというよりは、茫然として立ちつくし、ぶつけようのない怒りが湧いてくるかもしれない。
 そうした状況で「富士山が大噴火した」、「地震がまた来るらしい」、「首相が暗殺されたらしい」といったデマが生まれた。そのなかで広がっていったのが朝鮮人をめぐるものだった。朝鮮人が井戸に毒を入れている。朝鮮人が各地に放火している。朝鮮人が暴動を起こしている。たくさんの朝鮮人が銃や刀を持って来襲する。
 人々は自警団をつくり、朝鮮人を見つけると殺害していった。デマを聞いて、信じたのだ。その過程はジャーナリストの加藤直樹さんが『九月、東京の路上で』という著書に詳しく書いている。
 想像できるだろうか。朝鮮人というだけで、何も悪いことをしていない人々が殺されていく。しかもその中心となったのは、暴力団員などではない。ごく普通の市民たちだったのだ。
 そんなバカな、と思うかもしれない。そんなデマを信じるはずはない、少なくとも自分がもしその場にいても信じない、しかも殺すことなんて出来るはずがない。そんなふうに思うんじゃないだろうか。
 それではなぜ人々は根も葉もないデマを信じたのだろう。
 地震によるショック、その被害が不安と怒りを生み出したのは想像できると思う。しかも電話はまだ一般には普及していない時代だ。そうした中で当時の唯一のメディアと言ってもいい新聞が機能を失っていた。ほとんどの新聞社も倒壊したりして発行できない状態に追い込まれたのだ。そうすると人々が情報を得る方法は直接、誰かから話を聞くことだけになってしまう。

デマはどのように拡散されたのか

 それでもなぜ、と思うだろう。
 もうひとつあげるとすると、警察までそのデマを信じてしまったということだ。警察官がメガホンを片手に朝鮮人の襲来を告げる姿が見られたり、朝鮮人が暴動を起こして井戸に毒を投げていると触れ回ったりしている姿が目撃されている。当時、警視庁のナンバー2だった正力松太郎氏は「朝鮮人騒ぎは事実であると信じた」と書き残している。地震で通信網が途絶するなかで、警察もデマの渦の中に巻き込まれ、人々は警察が言うなら本当だろうと確信を強めていったのだ。
 警視庁は非常事態宣言を出して軍の出動を要請する。武装した兵士たちが警戒する様はさらに朝鮮人の暴動を市民たちに信じさせ、もっと言えば暴力をあおることになってしまった。それだけじゃない。警官や軍人もデマを聞いて信じただけでなく、朝鮮人を殺害したことがわかっている。本来、こうしたことを取り締まるはずの警官が、虐殺に加担したのだ。
 虐殺は東京だけではなく、関東の他の県にまで広がった。そこに大きな役割を果たしたのは、地方紙の役割だった。東京の新聞は発行できなくなっていたものの、周辺の県の新聞は機能していた。ところがその新聞までもが、その噂を記事にする。新聞という唯一の情報源に朝鮮人の暴動の記事がのったことが、人々に事実として信じさせる手助けをしてしまったのだ。
 だからと言って、朝鮮人というだけで殺すだろうか、と感じる人もいると思う。確かにそうかもしれない。それではもうひとつ、人々が置かれた状況を話しておこう。
 当時日本は朝鮮を植民地にしていた。朝鮮人への差別意識が人々にあったと言ってもいいだろう。最近はヘイトスピーチやネットの書き込みなどで、極端に差別的な言動が見られるけれど、ぼくの父の世代までは日常会話の中で朝鮮人を差別する用語を口にする人が多かった。戦後ですらそうなのだから、植民地にしていた当時は、推して知るべしだろう。 
 しかも関東大震災が起きる4年前には、日本の植民地化への反乱、三一独立運動が起きていた。人々の心のなかに、彼らに復讐されるのではないかという恐怖心があったとしても不思議でない。警察や軍がデマを信じたのも、独立運動とのつながりから混乱に乗じて暴動が起きることを警戒する意識が後押ししたのかもしれない。
 これは前回書いた、沖縄のガマでの集団死ともつながる。ガマに隠れていた住民のなかには兵士として中国に赴いた経験を持つ人たちもいた。日本兵がどれだけひどいことを中国人にしているか身をもって知っていた彼らは、アメリカ兵も残忍なやり方で自分たちを殺すと信じて疑わなかったのだ。
 こんなふうに話していると、なんだか悲しくなってしまう。自分たちが他の民族にひどいことをしていることが心の中に強烈な恐怖心を生み、それがさらに多くの死を引き起こしてしまう。もちろん全員がそうだったわけではない。朝鮮人をかくまって命を助けた人もいるし、朝鮮人が暴動を起こしているという情報を信じようとしなかった人もいた。ただ虐殺があった事実はぼくらの胸に刻み込まなければならない。
 その犠牲者数ははっきりしない。ただ政府の中央防災会議の専門調査会がまとめた報告書では、殺傷の対象となったのは「朝鮮人が最も多かった」とし、その数は「震災による死者数の1~数%あたり」と推計している。つまり震災による犠牲者はおよそ10万人だから、殺害された朝鮮人は千人から数千人にのぼると、政府が認めているのだ。

教訓として記憶しておこう

 ところが、これを認めたくないと考える人々がいる。ぼくが直接聞いた人の中にも、朝鮮人は実際に暴動を起こしていたから自警団ができたのには理由があったのだ、とか、殺された朝鮮人はせいぜい数十人とか、虐殺したという負の部分を言い立てるのではなく日本人の名誉を守ろうといった主張をする人がいた。
 小池知事もこうした主張に同調しようとしているのではとの懸念が、最近のニュースで伝えられた。覚えている人もいるかもしれない。毎年、東京都墨田区の公園で行われている朝鮮人の犠牲者を悼む式典には、歴代の都知事が追悼文を寄せていた。ところが、今年の式典から追悼文を送ることを、小池知事がとりやめたのだ。その理由は、要するに関東大震災の犠牲者をまとめて慰霊するので、殺害された朝鮮人だけ分けて慰霊するのはやめるということらしい。一見、もっともらしい理屈に聞こえるかもしれない。でも地震という天災で亡くなった人と、日本人が殺害した人を一緒に弔うことは、虐殺という加害の過去を薄め、もっと言えばなかったものにしようとしているととられても仕方がないと、ぼくは思う。
 しかも、だ。当時、警察、ひいては内務省という公の機関がデマを信じてしまったこと、逆に言えばデマを否定しなかったことが虐殺を拡大させたことは、ぼくたちが心にとめておくべき大事な教訓だ。もしあのとき、公の機関がデマだから信じるなと宣言していれば、ここまで犠牲者が増えなかったかもしれないのだ。
 それなのに都知事という東京のトップが、もし虐殺から目を背けるとしたら、なかったことにしたい人々を勢いづかせてしまう。大地震がいつ起きてもおかしくないとされる東京で、同じことを起こさないための教訓とすべきはずなのに。
 ここまで読んでくれたみんなには、もし自分だったらと、もう一度想像してみてほしい。当時その場にいたらデマを信じてしまったか、それとも冷静に聞くことができただろうか。その問いを忘れずに繰り返すことは、フェイクニュースがあふれる今の時代をどう生き抜くかを考えることにつながるんじゃないだろうか。

 

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