生き抜くための”聞く技術”

第17回
問いの奥にまで耳を澄まそう

客観的な真実が人を傷つけることもある

 あなたの知り合いのA君が、もし交通事故で亡くなったとしよう。初七日に線香を上げに行ったその場で、A君の母親からこう問われたとする。
 「なぜうちの息子は死ななければならなかったの?」
 目の前にいるあなたは、どう言葉を返すだろうか。
 仮にこう答えたとしたらどうだろう。
 「トラックの運転手の不注意ということになっていますが、私は運転手が前輪と後輪の内輪差を意識していなかったんだと思います。だから交差点に立っていたA君は、巻き込まれてしまった。しかも前夜から降り続いた雪のせいで、救急車の到着が遅れたことが大きかった。交通事故、そして救急の措置の遅れ、そのためにA君は亡くならなければならなかったんです」
 事実関係は間違っていないかもしれない。でもふつうに考えると、そんなこと聞いてるんじゃない、と怒鳴られてしまうだろう。
 警察官や医師に対してならわかるけれど、友人であるあなたの前で漏らした問いなのだ。その嘆きは、自分の息子がなぜという、不条理に対するぶつけようのない母の思いなのではないだろうか。
 事故の詳細や事実関係、それも必要だろう。でもそれらがすべて明らかになったとしても、それでもなぜ、と納得できない思いが残るのが、人間の心というもんじゃないかな。
 
 友人と歩いているとき、彼がこう言ったとする。
 「きょうはどうして空がこんなに青いんだろう?」
 君も思わず、空を見上げてみる。でもいつもと変わらない。晴れてはいるけれど、もの すごく天気がいいわけでもない。
 「そうだろうか」と君は反論する。「台風が過ぎたばかりの一昨日のほうが、ずっと空は青かったよ。きょうはけっこう雲もあるし」
 そうなのかもしれない。もしかしたら、君のほうが事実関係としては正しいのかもしれない。でも友人が「空が青い」と言ったとき、それは物理的な青さを語っていたのだろうか。もしかしたら彼の心情を吐露していたとは考えられないだろうか。空が青く見える、そんな心持ちだった可能性はないだろうか。そうだとしたら、また答え方は変わってくるはずだ。
 
 こんな例はどうだろう。
 友人にこう問われたとする。
  「なぜ日本には今も天皇制が続いているんだろう?」
 なかなか難しい問いだ。君ならどう答えるだろうか。
 たとえばこう答えたとする。
 「それは戦後、アメリカが天皇制を日本の統治に使ったからだ。昭和天皇に戦争責任を問うて退位させたり、あるいは天皇制自体を廃止させたりする可能性もあった。もしアメリカが天皇制を統治に必要だと考えなかったら、なくなっていたかもしれないね」
 この答えもその通りだろう。
 しかし問いを発した人は、どんな射程でものを見ようとしているのだろうか。もちろんそう思ったら、問いを発した人にそう聞いてみてもいい。そう問い返すことができるということは、長い射程でものを見る選択肢にも気づいているということだ。もっと長い射程で考えるとしたら、さまざまな答えがあるだろう。もしかしたら、こんな答えもあるかもしれない。
 「日本では政治という権力と、天皇という権威をうまく使ってきたんじゃないかな。その知恵が日本人に合っていたから、ずっと続いてきたのかもしれないね」

 3つの例を挙げたけれど、言いたかったのはこういうことだ。問いを耳にしたら、隠れている心情のようなものにまで思いを馳せるようにしてほしい、あるいは問いが持つ射程の深いところにまで思考を延ばすようにしてほしい。
 起きた事実だけでは、人間の心は収まらない。頭では納得できても、心では納得できないことなど、いくらでもある。だから詩や小説といった芸術が生まれるんだ。
 人はいろいろな思いから、問いを発する。表面的な言葉ではなく、その問いの奥にあるものにぜひ耳を澄ませる習慣をつけてほしいと思う。


 

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