藪前知子

② ある島で

アートとは何か、アートは社会とどう関われるか。気鋭のキュレーターがアートの役割を根源から問いなおす、コラム連載第2回。

島アート

 このゴールデンウィークに、愛知県知多郡にある島を訪れた。佐久島という、人口300人足らずの、1時間も歩けば1周できてしまうような小さな島である。90年代半ばからアート・プロジェクトを島おこしに活用してきたこの島の存在を、私は勉強不足なことに家族に教えられるまで知らなかった。20年かけてその試みが根づき成果を挙げていることは、島に向かう小さな船に、若い観光客がギュウギュウに詰め込まれている様子を見るだけでよくわかった。
 この島には、四国霊場を模した「佐久島新四国八十八箇所」がある。歴史は意外に浅く、大正時代に観光開発として作られたものだが、それでも戦前は本土から大いに人を集めたという。その後、過疎と高齢化によって手入れが行き届かなくなり失われた祠が、2010年から3年計画で「みかんぐみ」など建築家やアーティストの手で再び建立され、「八十八箇所巡り」は仏像とアート作品の両者を「参拝」するコースとなっている。
 その他にも、この島には、宗教的な儀礼性をモデルにしたアートが多数点在していた。例えば、路傍のあちこちに立っている、小さな半魚人の愛らしい石像。これを制作した松岡徹という愛知県在住の作家は、架空の佐久島の守り神として、「大和屋観音」や「海神さま」といった作品も残していた。島の風景にとけ込み、島民に守られ、旅人の目と心を楽しませるかわいらしい神さまたち。長期にわたる取り組みのなかで、それぞれの作品が、島に新たな物語をもたらしている様が見て取れた。

いま「アート」はどこに現れるか

 この連載で私は、「アート」が現れる場所について綴ろうとしている。いまやその現場の多くは、美術館やギャラリーだけではなく、過疎に見舞われた村や離島、地方都市のシャッター商店街など、近代化/都市化の過程で取り残されていった場所にある。そこで地域活性化のために実現されるアートが、その地の人々に自らの歴史や文化についての意識を促し、失われつつあるコミュニティを再生させる有効な媒体となることは、越後妻有大地の芸術祭瀬戸内国際芸術祭をはじめ、多くの取り組みによって示されてきたとおりである。
 その一方で、この島には、企業や自治体が発案し上から実施する他所の多くのプロジェクトとは異なり、自治体の活性化構想に応えて島民の有志の会が自主的に「アートによる島おこし」を選び、守っているという特徴がある。資料によれば、30代の若者が中心となってアイデアを出し、島の歴史や伝統に理解のある「体験型志向の若い観光客」をターゲットに、定住促進も行ってきたという。島の人による、島の未来のための取り組みがアートを呼び寄せて来たのだ。

地域活性型アート・プロジェクトの極北

 情報センターでお茶を入れてくれたおばあさんに話を聞いた。「最初は、アートってちょっと難しくって、島の人たちみんなわからないなって。今は企画会社が変わって、親しみやすい作品が多くなって、みんな喜んでるんですよ」。ここで言われている「アート」を、観光の道具とされたキッチュなものとして批判するのは簡単である。しかし、アート・プロジェクトの評価基準について、私たちはいまだ議論の途上にある。これらの作品が、実際に島を変え、社会を変えていることを、どのように評価すべきだろうか。「真性」のアートの役割だと私たちが通常考える問題提起の身振り――地域の抱える問題の顕在化――と、失われつつあった神を再生させるというこの島の素朴な試みの間に、どれだけの違いがあるのだろうか。近代社会の脱魔術化が、疑似宗教としての芸術体験を召還したという見立てのなかで、これらの作品を捉えるとしたら。 さらには、発注芸術としてのこれらの作品が、島の人たちの無意識の欲望を主体として現れたと考えるならば。私には、この島の取り組みが、アート・プロジェクトのひとつの極北を示しているように見えてきた。
 こうした地域活性化型のアート・プロジェクトが、東日本大震災以降、被災地復興支援の目的も含めて、全国で飛躍的に増えたのは、前回の連載でも触れたとおりである。多くの作家が、社会に対してアートがいかなる力を持ちうるかと問いなおし、逡巡しつつも外に乗り出していくなか、「当事者性」という言葉が盛んに喧伝された。誰が震災について語る「権利」を持つのか。共有しえない他者の経験に、いかにして届くことができるのか。この小さな島は、そうしたアート・プロジェクトのあり方から最も遠いように見えて、「誰がその社会に介入できるのか」という当事者性を巡る問い に対し、ひとつの答えを出しているように思えたのである。次回はこの「当事者」の問題について、自分自身の活動も踏まえながら、もう少し考えていくことにしたい。

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