アートは「地域」の蚊帳の外?
ここ三年ほどの間に、東京で最も変化した場所はどこかと言えば、わが住居と職場のある清澄白河ではないだろうか。一杯ずつドリップするいわゆる「サードウェーブコーヒー」のロースタリーが、ほぼ同時期に複数オープンし、洗練されたショップやクリエイターの拠点などが密かに集まっている状況が広く知られるようになった。いまや土日ともなれば観光客でにぎわい、まちのあちこちで新しいお店の施工が行われている。先日ロースタリーで知り合った、昨年越してきたばかりという男性は言った。「世界各地や東京の都心部に住んできたけれど、今の清澄白河が一番面白い」。
さて、その「面白さ」の中に、アートが含まれているだろうか。少なくとも彼にとっては全くそうではないようだった。清澄白河と言えば、東京都現代美術館だけではなく、現代美術のギャラリーが集まっており、かつては新聞に「日本のソーホー」なんて紹介もされたこともあるまちである。美術館のキュレーターとして、多少なりとも「アートのまち」に住んでいるという自負はあったのだが、かつて有名ギャラリーが集まっていた倉庫ビルもタワーマンションになり、大きな変化のさなかにある今、アートは「蚊帳の外」になってしまった感がある。
「地域」に関わりその文化的な拠点となる、開かれた美術館。これは近年、世界中で共有される新しい美術館のヴィジョンである。その背景には、アートにこれまでにない社会的役割が期待されていることがある。例えば、貧困や障がいなどの問題を抱えて社会において排除されている人たちを支える、「社会的包摂(ソーシャル・インクルージョン)」の手段として。あるいは、「アクティブ・ラーニング」「ラーニング・コモンズ」などと呼ばれる、受動的な学びではなくワークショップなどの手法で学習者の主体性を引き出す新しい教育の場として。美術館は、「誰に対してもオープンであること」という公共性の重要な側面を体現しつつ、人々の創造性を高め問題解決へ向かう力を引き出すことができると期待されているのが現状である。私が勤めている美術館も、休館中、地域との連携を強める事を一つの目標とし、「MOTサテライト」と題して、来年春に向けてプロジェクトの準備を行っている。
「地域」をつなぐあるイベントに際して
では本当に「地域」は美術館を必要としているだろうか。私にとってこのことを強く考えさせられた出来事のひとつに、地元の老若男女が毎月一度集まる連続トークイベント「コウトーク」との出会いがある。毎回「ヒト・コト・ミセ」をテーマに依頼された4人のスピーカーが、カフェに集まって自身の活動についてプレゼンテーションし、集まった人たちが交流する会だ。4人のうちひとりは、地元の華、深川祭りの総代。睦会から小学校の父母会のリーダーからお店やクリエイティブな拠点の主宰者、自治体の人たち、それからもちろん地元在住の様々な仕事を持つ人たちで毎回大変な盛り上がりを見せる。
主宰者の方によると、このイベントを始めた動機のひとつには、神輿の担ぎ手を新しい住民たちからも募りたいということがあったという。その背景には、急速に変化しているこの地域の問題として、新旧住民がうまく溶け合っていないということがある。各町内に神輿があり、毎年夏の祭りでこれ以上無いほど明確に「コミュニティ」が可視化されるというこの地域ならではの状況は、一方で排除の感覚を持つ人たちも生んでいるはずである。「コウトーク」が、そのひとつの解決を、きわめてシンプルな方法で、いわゆる「第三の場所」を作る事で実現していることは、私にとっては美術館の問題と結びつけずにはおられない大きな刺激だった。集まる人たちも、「地域をより良く」していくことに対し意識が高くアイデア豊富。アートとは別の文脈で様々な展開を見いだしていた。彼らの話を聞きながら、この人たちのなかで、美術館にこれ以上何ができるだろうかと考えさせられることになったのだった。
「地域」という単位を超えた経験の共有へ
アートが「地域」にどのように関われるのかを考えつつ、地元の人たちとのコミュニケーションを深める毎日の中で、改めて思うことがある。「地域」とは、外から見れば単にある地理的な範囲を指す言葉だが、中に入ってみればみるほど、そこには無数のコミュニティのレイヤーがあり、その分断があり、さらにはそこから排除されている人たちも見えてきて、あるまとまりをもったものとしてイメージできなくなっていくということだ。
一巡して、今私が考えるのは、アートと美術館がここで出来ることとは、例えば「コウトーク」に参加する人としない人を結びつけること――、「地域」や「コミュニティ」という単位を超えた、経験を共有するためのプラットフォームを作ることだということだ。それは、「地域」という次元を超越するという意味ではなく、大げさに言えば、今ある「地域」や「コミュニティ」の概念のオルタナティブを作ることだ。アートの力によって、地域を足がかりに、これを歴史や文化を含めた多層な文脈を呼び起こしつつ描き直すことは、単なる「まちの魅力再発見」なのではなく、それが不特定多数の人々に共有され、コミュニケーションを呼び、未来に持ちこまれるという、そのような可能性をその地にもたらすことなのだ。広告代理店などを中心に、よりコマーシャルで大規模な枠組みで「地域」をめぐる動きが活性化し始めている今、アート・プロジェクトにしかもたらしえない体験の強度と深さ、持続性に、今一度賭けてみたいと思う。