藪前知子

④ 「現代美術館」の対岸で

アートとは何か、アートは社会とどう関われるか。気鋭のキュレーターがアートの役割を根源から問いなおす、コラム連載第4回。

「現代/美術館」の語義矛盾


 この連載を始めて、思い出したことがある。今勤めている東京都現代美術館の採用筆記試験で、自分が書いた拙い文章だ。「当館でどんなことをしたいか」という問いに、大学院生だった私は、「現代美術館とは語義矛盾ではないだろうか」で始まる青臭い答えを書いたのだった。「現代」と「美術館」、移り行く時間と、恒久性と歴史に関わる、反駁しあう二つの概念をいかに止揚するかに自分は興味があるのだ——と、こんな机上の空論を面白がって採用してくれた当時の上司には感謝するしかないが、その一方で私は、常にそうした既存の枠組みの揺らぎと緊張のなかに、何かを見いだして来たようである。その後、コレクションと常設展の企画を担当させてもらい、歴史をいかに現在進行形の時間に対照させつつ語るかというテーマを自分なりに追求したのも、同じ動機からだった。
 
 現代美術という、いまだ名付けられないものを取り込み拡張していく表現領域に、美術館という制度はどのように関わることができるだろうか。遠く20世紀前半にニューヨーク近代美術館が同時代美術の歴史化に取り組んで以来、私たちはいまだ未完のプロジェクトに関わっている。ただ言えるのは、歴史が示して来たとおり、新しい価値はオルタナティブな場所からしか生まれないということだ。現代美術館という制度は、常に揺さぶられながら自らの更新可能性を確保することを宿命づけられている。

櫓の上のターンテーブル


 さて、現在の東京で、既存の制度の対極で、真にインディペンデントな活動をしている人は誰かと言えば、岸野雄一さんの名前を挙げる人は多いのではないだろうか。「スタディスト」を名乗り、俳優、音楽家、著述家であり、多岐にわたる活動をされている岸野さんが、東京都現代美術館のある清澄白河から清洲橋を渡った隣の地域で、「中洲ブロックパーティ 」なるものをやるという。ネットの情報では詳細がわからず、自転車で駆けつけてみると、高速道路の高架下の公園に、地域の自治体の盆踊りの櫓が組まれ、出店が出たり中高生がたむろしていたり、下町の盆踊りの光景が広がっていたのだが、よくよく見ると様子が違う。櫓の上には太鼓の代わりにターンテーブルが設置され、DJがプレイしている。そのまわりを、地域のTシャツを着たおじさんや近所の家族連れと、クラブにいそうな若者たちが入り交じって楽しそうに踊っているのだ。その輪の外に置かれた机には、町内会長さんと浴衣を着た岸野さんが並んで腰かけ、来た人たちに挨拶をしていた。唸るしかない光景だった。

 町内会とは、住民の生活を向上させるためにいわばボランティアで活動している人たちの集まりだ。かつて翼賛体制下の末端組織だったという歴史はあるが、現在は、住民から集める資金で運営され、それを規定する法律や政令などもなく、地域文化に関わる自立したコミュニティとして様々な規模で各地に存在している。その町内会でイベントを立ち上げる、というと一見敷居が低く思えるが、おそらくは本当に大変なことだ。岸野さんはイベントに先駆けて、こうSNSで発信していた。「日本中の盆踊りの櫓の上にターンテーブルとミキサーを乗せる、という積年の想いを、一歩一歩実現に向けて動いています。ここまでくるのにかなりの年月を要しました。トライしては玉砕したり、地元の音楽フェスに組み込もうと試みたりしてきた経緯は、皆さんもよくご存知だと思います」(ツイッター、2016年7月7日)。椅子運びや清掃行事から始めてコミュニティの中に入り、自分がここで発信することの地域にとってのメリットを、誰にでもわかる明快な言葉で語り受け入れてもらえなければ、実現しえないことなのだ。櫓の上のターンテーブルという光景がさらりと示していたのは、行政支援が主流の既存の文化インフラに対する、全く別の回路である。前回の連載で、「芸術祭」に外から関わる人間として好き勝手に書いたことを、全部謝りたくなるような光景だった。


「ストリート」から「市井」をつなぐもの


 さらに、「現代美術館」に活動拠点を置く者として、私が心を動かされたのは、ここで、文化感度の高い「アーリーアダプター」に支えられて来たオルタナティブな文化が、盆踊りに参加する「多数派」に自然に接続されていることだった。現在進行形の文化の発信地であり続けて来た「ストリート」が、より広く「市井」へとアップデートされ、歴史を含めた多層的な文脈へのアクセスを生んでいる状況は、ふたつの観客層と、現在と歴史の狭間で揺れる「現代美術館」という制度の対岸で、軽やかに別の可能性を差し出していた。同時に、今ここでともに生きているのだというエモーショナルな感覚が、メディウムとなって人々をつないでいるこの光景から、私は、「現代美術館」が忘れてはならないことについて、大いに考えさせられたのだった。岸野さんの達成から、私たちは、芸術に関わる既存の諸制度を、どのようにアップデートできるだろうか。