藪前知子

⑨ ひとつの芸術祭の終わりに
まちに即興を取り戻すために

アートとは何か、アートは社会とどう関われるか。気鋭のキュレーターがアートの役割を根源から問いなおす、コラム連載第9回。

札幌国際芸術祭2017を終えて
あっという間に夏が終わり、企画チームに関わった札幌国際芸術祭2017が閉幕した。この連載の第2回でも触れたが、大友良英さんをゲストディレクターに、キュレーター・チームではなく、映画や音楽など札幌の文化の振興に関わって来た個人をバンドメンバーとして企画チームを作り、「芸術祭って何だ?」という大友さんから投げかけられたメインテーマに答える形で、それぞれが内容を決めていくというユニークな方式をとった芸術祭であった。
その結果何が起こったのか。端的に言えば、全体像を誰も把握することができず、それぞれの経験の中で異なるかたちを取るような、混沌の日々だった。ゲリラも含めて同時多発的に何かが起こっている状況で、たとえば、テニスコーツは、二ヶ月の会期中、資料館の「テラコヤーツ」を中心に市内を神出鬼没に演奏した。彼らの気の向くままの動きは、逆説的だがSNSで部分的に可視化されることで、参加者以外にも知られることになった。おおむね好評を載せ続けてきた北海道新聞にも、「『偶然』重視、集客の難しさ 情報発信課題」(8月31日)という批判的な記事が出た。その三日前にも、テニスコーツは参加作家の毛利悠子のインスタレーションの中でライブを行うことを前日に決めてSNSで予告していた。「その場のノリ」がなぜ批判されるのか、それは、これが芸術祭という公共の事業だからだろう。
即興演奏家として、大友さんは、公共事業に即興をいかに持ち込めるかという難しいテーマを投げかけた。即興という言葉を、あらゆる表現行為が本来持っているであろう自発性と置き換えてもいい。「芸術祭って何だ?」をメインテーマに掲げた今回の芸術祭は、振り返ってみれば、その自発性と、祭りという公共空間との摩擦がはじめから含まれていた。私たちバンドメンバーは、大友さんから投げられかけた問いの答えを、それぞれの企画において返すべきだと思っていた。しかし今にして思うのは、そうではなく、最も重要だったのは、「芸術祭って何だ?」という問いが発生するような摩擦を、それぞれの場において起こすことであり、それが芸術祭の豊かさを生み出して行くことになったのだ。

自発性と公共性のあいだで
表現の自発性とは、主語がその人本人であるということだ。それは「ここで何を見せるべきか」という、言ってみれば公共性のフィルタリングを行う立場としてのキュレーションの論理とは対立する。今回の芸術祭で、大友さんが感覚的にキュレーター・チームを組織しなかった理由はここにあるだろう。
例えば企画チームのひとり端聡さんは、作家でありながらCAIというスペースで札幌のアートシーンを先導してきた人だが、大友さんに結局一番やりたいことは何なのかを問われた結果、紆余曲折あって自分の個展という形式になった。この芸術祭の他の参加作家、例えば大友さんが音を空間に展開していくうえで大きな影響を受け、参加を最初に発表した梅田哲也、堀尾寛太、毛利悠子の3人も、ひたすら札幌中を歩き回って、ここはという場所を自分で見つけるところから作品作りをスタートさせた。「誰が、何のために?」という括弧を外され、生のまま挿入された異物の数々が、「ガラクタの星座たち」という言葉を伴って札幌のあちこちに埋め込まれていった。「札幌の三至宝」と謳われた企画のひとつ、失われて行く時間の流れに抗うように集められた物で埋め尽くされた坂会館や、キッチュな印刷物がびっしりと張り巡らされた居酒屋てっちゃんも、個人の抗いがたい衝動の産物である。あるいは、今回の企画チームの皆さんだって、例えばエグゼクティブ・アドバイザーで、エクスペリメンタルな音楽を札幌に紹介し続けて来た沼山良明さんも、狸小路で単館系の映画をかけるシアター・キノを経営してきた中島洋さんも、個人の強い意志から道を切り開いて来た方たちである。
さらに、自発性という点において、公募プログラムについて触れておきたい。開催前の応募制で選ばれた事業が、助成ではなく、芸術祭の主催事業のひとつとなるという仕組みは、行政の事業として画期的すぎると驚いたし、これこそ市民が自発的に参加する芸術祭の核になるであろうと私には思えた。例えば、まちなかで歩行者も巻き込んで素晴らしい即興演奏を聴かせていた、浦河町にある診療所へ通う障がいのある方を中心に結成されたパフォーマンスグループ、「ひがし町パーカパッションアンサンブル」。あるいは、「たべるとくらしの研究所」による、火事になっても安心なように薪釜をリタイアした消防車輛に載せ、参加者が持ち寄った野菜を焼いて分け合って食べられる「モバイルアースオーブン・プロジェクト」。札幌駅近くでは、札幌在住のデザイナーのワビサビさんを中心に実現した「札幌デザイン開拓史」という素晴らしい展示もあった。これは、札幌国際芸術祭2017のバンドメンバーでデザイナーの佐藤直樹さんが、芸術祭開始の随分前から「デザインって何だ?」というワークショップを行い、それに応える形で、参加していたデザイナーの方たちが立ち上げたものだ。さらに公募プロジェクトの中には、札幌のアートシーンの人たちによるものもあった。ギャラリーを主宰する人たちが集まった「Sapporo ARTrip アートは旅の入り口」。グローバルなネットワークのもと組織される芸術祭は、しばしば地元のアートシーンと乖離してしまう。芸術祭がゆくゆくはその地域の文化の成熟のためにあることを考えると、それを埋める可能性を持った企画の意義は大きい。
一方で、当然ながら、主催であるということは、トラブルの責任というリスクを取ることでもある。今回、展示会場を提供していたゲストハウスのひとつから、作品の内容が営業に差し障りがあるものであること、また芸術祭の事前説明や運営に問題があったことを理由に、展示を終了したことを報告するブログが出た。構造から言えば、対応を批判されたのは芸術祭事務局本体ではなく、公募で選ばれた主催団体なのだが、一時期SNSで、事務局が非難の的となっているのを見て、常々、彼らの包容力に感心させられて来たチームの一員として胸が痛んだ。行政組織として、脇が甘いと言うのは簡単だろう。しかし、そのリスクを取ったことで、ポジティブな価値も生まれたことを忘れないでいたいと思う。

即興の社会的条件とは
即興的なもの、自発的な行為は、今、社会からどんどん排除されているように感じる。公園だって、以前のように自由には使えない。イベント会場にも商品にも、書いてある注意書きの多さにぎょっとする。もちろん、主催者は人の命を預かる身として、周到な準備が必要である。しかし、事前に想定されるあらゆるリスクを回避しようとする結果、当初あったはずの動機はどんどん薄れてしまう。今、社会における即興ということのラディカルな意味はここにある。
札幌国際芸術祭は、それが実現した、得難い試みだったと振り返りたい。その実現には、事務局である札幌市役所の、発信する当事者としての自発的な意識があった。前回、今回と連続して札幌国際芸術祭に関わったあるアーティストは、札幌のよいところは「ふつうはアーティストが暴走しないように管理するはずの役所の人たちが、ノリノリで共犯になってくれるところ」だとSNSでつぶやいていた。文化事業において、何が実現できて、されなかったのか。それを語るときに、作品や企画内容だけでなく、可視化されない組織的な判断が大きな影響を与える。この傾向は今後ますます強まるだろう。即興と自発的な行為を可能にする条件について、私たちはもっと経験を積み、深く考えなくてはならない。
大友良英が「芸術祭って何だ?」と問いかけた札幌国際芸術祭は、人と人とが恊働し、何かを生み出すときに生じる摩擦を、様々なレベルで検証しうる実験だったと思う。この先、全国各地で続く芸術祭の成功のためにも、この夏札幌で起こったことの社会における意味について、失敗も成功も含めて丁寧な振り返りをしていきたいと思う。