──ファッション界にはストリートカメラマンという職業があります。彼らは街なかで出会ったゴージャスでファッショナブルな人々を撮影します。『誰をも少し好きになる日』の番外篇「一番多く写真を撮らせてもらったひと」に「お姐さん」がいます。私は彼女の写真を見るたびに心の底から感動します。彼女はいつでも素敵な服を着て先生に写真を撮られていました。そういう彼女の人生の態度に私は感動させられました。先生にとって、「衣装」と「人」の関係は何だと思いますか? よかったら、先生のお気に入りのスタイルを聞かせてください。
わたしは、自分の衣装にほとんど無頓着なほうかも知れません。だが母親はおしゃれなひとでしたので、その影響もあって、人が自分を励ましたり、自信を持つための装置として衣装は大切だと思います。自分を少しだけ自由にするためにも。個性的にするためにも。自分を感じるセンスのためにも。
──先生は一人旅が好きだとのこと。私も好きです。先生はインドが好きで何度も行かれたそうですが、私は日本が好きでよく行きます。日本の伝統文化と大衆文化はいまや世界中で流行っています。私も日本の文化が好きで、学生時代に日本語を四年間学びました。日本の人々はいつも親切だし、礼儀正しく、厳格さを保ち、適当な距離感を持っています。そういうところが大好きなんです。先生は日本人としてたくさんの日本の無名の人々の肖像を撮り続けてきたのですが、日本人にどういうイメージを抱いていますか? また、以前先生は中国の北京にいらっしゃったことがありますが、中国についての印象をお聞かせください。
わたしは孤独で寂しい状況でないと、自分なりに感じ考えることの出来ないタイプの人間だと思っています。独りでいることは、わたしにはとても大切なことです。むろん、ザックを背負っての長期にわたる海外での旅はいつも独りです。予定も立てず、名所旧跡を訪ねることもなく、気ままに小さな村や変哲もない町を、何日もただ彷徨っています。むろん写真を撮るときはどこでもひとりぼっちが条件です。文章を書くことと同じです。孤独でないと、哀しさや悲しさに対しての感受性が働かないせいです。用意された安楽さが苦手なのは子どものころからです。損な性分だと思っていますが……仕方がありません。
写真展のために一週間ほど北京に滞在しただけですので、中国に対して語れるほどのことばをもっていません。ただ若い人に対して短い講演をしたときの質疑応答で、どの質問も表現について自分でよく考えられたもので、月並みな問いがなく、目に光りが籠った若者たちの探究心に好印象を受けました。
──先生は大学時代に哲学を学びました。私も哲学が好きです。私の先輩にかつてこう言われました。「もし人生に迷ったら、哲学を勉強しよう! そうしたら人生の問題はだいたい解ける。自分は何が欲しいのか、何を求めているのかわかるよ!」と。私もそう思います。たとえば仕事がうまくいかない時とか、人間関係に悩んだ時に、私は哲学に答えを見つけるようにしています。先生は迷った時にはどうしますか?
また、多くの若者から私のところに「どうやってファッションライターになれますか」という質問が送られてきます。ですが、私はいつも答えにくいと思ってしまいます。なぜなら人によってやり方は異なりますし、他人からもらったアドバイスはただのアドバイスに過ぎないと思います。先生はそういう質問をされることがありましたか? そういう時、先生はどう答えますか?
たぶん多くの人がシリアス写真家の厳しい世俗的生活を知っているからでしょう、めったにそのような質問を若者から質されることはありません。訊かれたときは「自分で自分を探しなさい」とだけ率直に答えています。誰でも好きな道を進むなら、大波に突き当たることになるはずです。自分自身でさえわからない「才能」を信じたいなら、手前に目標を定めず遠く高い所を目指して進むしかないでしょう。世俗的な尺度なんか気にせずに自分の物差しで考えるのが「哲学のはじまり」です。自分を客観化して、寂しさを明かりにして進みなさいと言っています。それがものを創る自信の真の正体ですから。
──そういえば、先生のうちの猫さんは最近どうですか? 私も猫派なんです。この写真はうちの庭によく来る野良猫、とても可愛いです。夏の時、私たちはよく庭の椅子に座って花と空を見て、風を感じます。
『誰をも少し好きになる日』に登場していたゴンは一昨年の6月、21歳で亡くなりました。その直ぐ後に偶然に虐待されていた老猫(年齢不詳、15歳ぐらいか?)と若い5、6歳の猫が家にやって来ました。初めの数ヶ月は虐待を受けていたせいで、やたらに反抗的で扱いにくく、ほとほと困りました。幸い、我が家の野良猫だった二匹は孤独を知っているせいか、今ではまるでギリシャの哲人のように、それぞれ我関せずと勝手に生き惰眠を貪っています。
現在我が家は、猫2匹、うさぎ1匹、モルモット1匹との共同生活です。妻と長男と長女の四人暮らし。動物に触れたり、目を合わすのが好きなのは、子どもの頃に農家に育って、牛や山羊、羊や犬猫などの多くの生きものと接してきたからでしょう。それぞれの動物の瞳には豊かな表情があって、目を合わすのが毎日楽しみです。日々都会で出会う多くの人間より、動物たちがずっと表情豊かで快活です。
どうしたのだ、「にんげん」は……。
ありがとう、エンナさん。宛名のない「手紙」が、エンナさんに届いたことを本当に喜んでいます。そして、そんな機会をつくってくれた唐詩さんに、感謝しております。
魯迅の生まれた国の人たちへ!
鬼海弘雄拝
後記
2020年11月13日
(上海浦睿文化 編集者)唐詩
鬼海さんの写真と出会ったのは、新米編集者となって間もない2017年頃だった。もともと写真に関して全く知識がなかった私は、写真に少しでも近づきたいと思い、大学院では「私写真」を研究テーマにした。二年ほどの間、写真というメディアに、撮影者である「私」がどう映るのかだけにひたすら集中し、たくさんの写真を見てきた。けれども鬼海さんの写真はまさにその正反対で、「他者」の時間を生き生きと記録している。魅力的だと思った。自己主張が強く、派手で刺激的な作風を持つ写真が世に溢れる今日では、鬼海さんの写真に漂う人間性や生活感が一層貴重に感じられた。
『誰をも少し好きになる日』の中国語版(《那些渐渐喜欢上人的日子》)を刊行したのが2019年の春。発売当時、書名に「人」を強調したせいか、多くの読者が「なかなか人間を好きになれないから、この書名に温もりを感じる」と好意的に受け止めてくれた。写真エッセイの読者が少ない現状において、蘇州誠品書店2019年芸術部門ベストセラーにもランクイン。レビューを見れば、鬼海さんの経験に憧れる人、文才に魅了される人、その繊細な日常や感情に共鳴し、癒される人が多数いて、鬼海さんの文章と写真が対となって、激しい競争に身をおき、生活に追われている(特に若い世代)の中国読者に穏やかな時間を与えてくれている。私たちは、足を緩めて街中を見渡し、他人と関わる余裕も、いつの間に失くしてしまったことを、鬼海さんの作品は改めて提示してくれたのだ。
鬼海さんのライフワークとも言える「PERSONA」シリーズは、表情豊かに暮らす市井の人々の時間を凝縮し、写真に定着した。赤い壁の前に立つ人々は、カメラに何かを訴えているような姿勢で洒落た格好をしている。これを見て、思わずファッションライターのエンナさんにインタビューのお願いをした。
このエンナさんの記事がネットに掲載されたのは2020年の初頭、コロナの影響がまだ拡大していない時期だった。鬼海さんの優しい言葉に響く人が大勢いて、予想以上に多くのコメントが寄せられている。鬼海さんに悩み相談をしたいという願いも複数届いていた。
鬼海さんによく「隣国の若い妹」「大陸の若い友人」とメールで呼ばれるが、言葉や写真を通じて、心の力を得る鬼海さんの「大陸の若い友人」はいっぱいいると思う。
鬼海さんからメールでこんな言葉をいただいた。
「これからは隣国同士が仲良くお付き合いして、その力で信頼を地球中に広げていかなければ芸術も人文系学問も折角持っている力を発揮することができないはずです。
1000年も前に、小さな木船に乗って海を渡って学問や文化を持ってきてくれた人たちが多くいたのですから……」
まさにそうです。
「ありがとうございます。隣国の若い妹へ」
こちらこそ、ありがとうございました。