金田淳子

round.10 『夢で逢えたら』

漫画・アニメ・小説・ゲーム……さまざまな文化表象に、萌えジャージにBLTシャツの粋なフェミニストが両手ぶらりで挑みます。うなれ、必殺クロスカウンター!! (バナーイラスト・題字:竹内佐千子)

 さて、この連載では以前にも、ある作品をフェミニズム的だと評価するとき、私がどのような部分に注目しているか明らかにしている。これはあくまで私個人の、当連載における評価軸であるが、「女性差別が存在することが、具体的に描かれていること」である。その意味で、お笑い業界・テレビ業界に根強くはびこっている女性差別を、実際に起こっている現象や発言も引きつつこれでもかと描き出し、ズバズバ痛快に斬っていくこの小説は、優れてフェミニズムである。お笑い番組やライブでの同性愛差別、人種差別、セクハラ等が相次いで批判されている今日、テーマの選定もタイムリーだ。

 かといって、この小説のキャラクターたちについて、ゴリゴリのフェミニストだと思わないでほしい。いやゴリゴリのフェミニストであってくれても私は全然ウェルカムなのだが、真亜子も佑里香も、フェミニストであるという自意識は全くない。それどころか、男性から女性に期待される役割をうまく利用してのし上がることのほうを得意としている。真亜子は美姫に去られてピン芸人になった後、「女侍」というキャラで「女が女を斬る」ことを期待される立ち位置になっていたし、佑里香も日頃「料理の取り分けぐらいで点数を稼げるなら、いくらでも取り分けたい」と思っている。女は馬鹿だ、女は面白くないなどと決めつけられたくないが、自分が許容できる範囲の性役割ならば、むしろ積極的に利用してしまう。そんなどこにでもいそうな、ノンポリで日和見的な女性たちなのだ。しかし彼女らがうかつにも、期待された役割を演じきれないという「失敗」をしてしまい、その結果、共闘することになったり、「あたらしい結婚」の体現者になってしまったりする。このある種の「ねじれ」、キャラクターの意図せざる結果が、この小説の最も面白く、巧妙なところだと思う。

 明示的にレズビアンのキャラクターは出てこないが、真亜子が女性の相方に対して恋愛、性愛と名づけたい(私が)ほどの情熱を持っていることも、本書の重要なポイントとして指摘しておきたい。美姫という最高の相方とステージに立った時、真亜子は「セックスよりぜんぜん気持ちいいやんか!」(16頁)と感動するのだし、佑里香に対しても「目の前にいるこの女を笑わせられるならなんでもいい。心から笑ってほしいと願う相手が目の前にいるのに、そいつを笑わせられなくてなにが芸人だ」(363頁)と奮い立つ。そんな真亜子にとって「いい女」とは、「面白い女」とほとんど同義だ。

「あんた、面白い女だね」
 ひとしきり笑い終えると、真亜子は女が女に送る最上の褒め言葉で佑里香を称えた。(168頁)

 このように、真亜子にとって「面白い」ことが最高の価値である。範馬勇次郎に倣っていえば、「お笑いはSEX以上のコミュニケーションだ」ということだろう(注)。前述のとおり、真亜子はフェミニストを名乗っているわけではなく、むしろフェミニズムからは距離をとっているが、彼女が「女に期待される役割」を演じきれない時にはいつも、お笑いが関わっている。男という社会的強者に認められることではなく、自分の信じるお笑いと、お笑いでスウィングできる女性に最高の価値を置いているからこそ、時に真亜子は男に気に入られないような行動をとり、女性たちと連帯することになる。本書は「フェミニストではない」と言い訳し、実感としてもそのように自認している女性たちが、譲れない価値観を持ったときに、時としてフェミニストのように、いやこう言ってよければフェミニストそのものとしてふるまいはじめる瞬間を描いた好著だ。

 ついつい女性キャラクターのことばかり熱く語ってしまったが、この小説には、ホモソーシャルの枷から脱した男性も約一名ほど登場するので、楽しみに読んでほしい。また個人的に『夢で逢えたら~Boy’s side~』と名付けている、大前粟生の脱ホモソーシャル男芸人小説『おもろい以外いらんねん』が1月27日発売予定なので、併せておすすめしたい。

(注)範馬勇次郎のセリフ「闘いはSEX以上のコミュニケーションだ」より。板垣恵介、1993年、『グラップラー刃牙』6巻、秋田書店、8頁。


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金田淳子のツイッター → @kaneda_junko

 

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