「愛をばらまけ」、その後

第3回 新しい教会と「ほんまもんの家族」

路上生活者や日雇い労働者が多く集まる大阪・西成。その片隅に、ひなびたラーメン屋を思わせる外観の教会がある。                                          「愛があふれる」の意味を持つこの教会を設立したのは、50を過ぎて学校の先生から牧師へ転身した西田好子さん(70)。コテコテの関西弁でズケズケとものを言い、よく笑い、すぐに泣く。「聖職者」イメージからかけ離れた、けったいで、どうにも憎めない西田牧師のもとには、20人のワケあり信徒たちが集う。いずれも家族に見放され、社会とのつながりを断たれ、アオカン(野宿)経験のある男性たち。                                           ここで繰り広げられる「魂のぶつかり合い」を余すことなく描いたのが、昨年11月末に刊行された『愛をばらまけ』。その著者で読売新聞大阪本社の現役記者が、取材を通して考えたことを3回にわけてお届けします。ぜひ、お読みください。

 数カ月ぶりにメダデ教会に向かった。

 2021年3月21日、日曜日。大阪は朝から土砂降りの雨だった。古い中華料理店を改装したメダデ教会は雨漏りがひどい。バケツを持って右往左往する西田を見るのは、雨の日恒例の光景だった。

 だが、もうその心配もなくなる。「清貧」という言葉ではおさまらない節約を続け、ほぼ全財産をなげうった新しい教会が、今の教会のすぐそばに完成したのだ。この日は完成を祝う「献堂式」だった。

 出迎えてくれた信徒たちは誇らしげだった。壁面には大きな赤い十字架が取りつけられ、「愛あふれる メダデ教会」と書かれた真っ白なプレートが掲げられている。二回りは大きくなった礼拝堂には、70人を超える人が集まった。西田の息子家族、昔通っていた教会の関係者、信徒の介護をするヘルパーたち。そして半分は、『愛をばらまけ』を読んで教会を知った人たちだ。わざわざ関東や九州から来た人までいた。

 真新しい講壇に立った西田は、この記念すべき日の説教で、ここに至るまでの自身の半生を語った。

 輝いていた教師時代。結婚、出産、そして離婚。イエス・キリストとの出会い。野宿者を救いたいという夢。牧師としての挫折。不遇の時代を経て西成へ。最愛の母の死。メダデ教会の設立。信徒たちとの8年余りのドタバタの日々――。

 その驚くばかりの物語は、『愛をばらまけ』に詳しく書いた。それでも、2時間を超えた説教を聞くと、改めて心を揺さぶられた。西田の言葉が、一人でも多くの人に届いてほしいと、心から願う。

 説教を終え講壇をおりた西田は、信徒たちのもとに歩み寄った。

 「あんたら、新しい教会ができたんやから、しっかりせなアカンで!」

 前日も、信徒の一人が失踪し、総出で捜したばかりだ。毎日のようにケンカが起こる。自分の殻に閉じこもり、交わろうとしない信徒もいる。

 「あいつは嫌いや、こいつとは合わへん。もうそんなこと言ってる場合とちゃうで。そら、みんな違う人間や、性格もちゃう。でも、私らはこうして一つの家族をつくって生きとるんや。ケンカすることもあるやろ。でもな、この子はこういうこと言うたら怒るんや、あの子はこういうときに笑うんや……お互い、そういうことを知ろうとせえ。毎日会って、しゃべって、理解して、それでやっとほんまもんの家族になれるんや!」

 賛美歌の斉唱が終わると、西田から前に来るよう促された。私からも一言、挨拶しろという。西田の「ほんまもんの家族」という言葉が耳に残っていて、自然と自分の家族について話していた。

 「私の父はアルコール依存症で、家族は崩壊していました」

 18歳で実家を離れた私は、おかしくなっていく父に危機感を抱きながらも、どこか他人事で、問題に正面から向き合おうとはしなかった。結局、父は医療につながることもなく、60歳で死んだ。

 それから間もなくして、私には息子が生まれた。いまは妻と3人、仲良く暮らしている。幸せだと思う。同時にいつも不安だ。家族がいかに脆いものかを、私は身をもって知っている。

 「ずっと家族というものから逃げてきたような気がします。でも、メダデ教会の取材を通して、ほんまもんの家族というものが何なのか、少しわかったような気がします」

 ただ近くにいるだけで本当の家族だというわけではない。相手を思いやること。理解しようとすること。ごく当たり前で、でも、実践するのは難しい行為の積み重ねで、本当の家族になるのだと思う。私はそのことをメダデ教会から学んだ。

 「ちょっとあんた、このパン持って帰り」

 夕刻になって式が終わると、例によって西田に呼び止められた。帰りしなにはいつも、買ったパンや菓子を手渡してくる。

新たに完成した教会で祈りをささげる西田さんと信徒たち
撮影:長沖真未 ⓒThe Yomiuri Shimbun

 

 西田がこの教会でやっていることは、つまりは、誰かに「パン」を手渡し続けることなのだろう。見返りは求めない。ただあげたいから、あげる。それは時に、一方通行の自己満足やお節介に終わり、時に拒絶されて終わる。でも、パンを渡す、渡そうとすることで、何らかの関係がはじまり、少なからぬ人間が新たな一歩を踏み出す糧となってきた。

 しつこく降り続く雨のなか、パンの袋を手に帰途につく。式の間、自分が西田に「おめでとう」と言えなかったことを考えていた。彼女が不安に押しつぶされそうになっていることを、本人から聞いて、知っていたからだ。

 これから信徒が増える保証はない。今いる信徒はやがて1人、2人と死んでいく。西田もこの4月で71歳になる。後継者はいない。全財産の大半をつぎ込んで新教会を建てたものの、進む道が正しいのか、本当のところ、本人にも確信はない。最近は弱音もよく吐くようになった。

 「西田が死にました、メダデ教会はパッと一瞬輝いて終わりました、そんなアホなこと言われるような教会には、しとうないんです。ここにおる全員が死んでも、メダデ教会は生き続けやなアカンのや」 

 それでも、この日、新しい教会に集った信徒たちの表情は輝いていた。彼らが式で歌った賛美歌「人生の海の嵐に」のフレーズがよみがえる。

人生の海の嵐に もまれ来しこの身も 

不思議なる神の手により 命拾いしぬ 

いと静けき港に着き われは今 安ろう 

救い主イエスの手にある 身はいとも安し

 「天使もずっこけてるわ」。西田もあきれるほど、音程は外れていたが、どんなに美しいメロディーよりも胸に響いた。やはり私は、西田が口癖のように言っている、聖書のあの言葉とともに、伝えるべきだったのだ。

 〈求めよ、さらば与えられん〉

 西田さん、きっと大丈夫ですよ。そして、おめでとうございます。

 

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