鷗外は、自分がどう見られているかを気にし、常に本音を隠蔽(いんぺい)することに気を遣っていました。
たとえば軍医総監になると多くの人と仕事で会っていますが、日記では相手の名に必ず男爵とか子爵と爵位を記載しています。
ところが鷗外本人は、8年半も軍医総監を務めながら貴族院議員になれず、男爵も授爵できませんでした。なので没後も爵位をもらえないだろうと予想していたため、先手を打って「そんなものはこっちから願い下げだ」と啖呵(たんか)を切った可能性もあるのです。
鷗外作品は文語体で書かれているため、現代の私たちにはとっつきにくい印象もあり、広く読まれているとは言えません。しかし美文体の「即興詩人」は当時のベストセラー永井荷風や泉鏡花、幸田露伴など、その作品に多大な影響を受けたと公言する作家は数多く、三島由紀夫は「鷗外を読まずして作家とは言えない」と激賞しています。
鷗外は日本の文学の背骨を形成した人物であることは間違いないでしょう。
鷗外作品には、どの作品にも自伝的要素があります。鷗外がその時どんな状況におかれて何をしていたか、ということがわかると物語が別の色彩を帯び、一層深い含蓄を読み取ることが可能になります。鷗外は、浮き世の雑事に翻弄されます。けれども彼は凡事にもみくちゃにされる天才の懊悩(おうのう)を小説に投影し、昇華していきます。
見方を変えれば鷗外の作品群は、彼の壮大な人生を描き出した、私小説の大河小説であるとも言うこともできるでしょう。自己の感情を隠匿(いんとく)し、二重の仮面を被り続けた鷗外の本音が、創作物の中にあっさり見つかることも多々あります。
小説家、文芸批評家、軍陣衛生学の樹立者、軍医にして最高位の軍医総監、百科事典派的な啓蒙家、社会主義的思想家、国体護持的思想家など、鷗外を形容する肩書きは多数あります。それは全て鷗外であり、全て鷗外ではないのかもしれません。
鷗外とは、複雑怪奇な精神的存在であり、大いなる謎なのです。
この評伝では「この時、鷗外はどのように生きたのか」という観点で執筆しました。
本書を手元に置いて鷗外作品を読み、複雑で豊穣な森鷗外の人生を感じていただけたら、著者としては本望です。
豊穣な天才、「森鷗外」の世界にようこそ。
(帯写真=文京区立森鷗外記念館所蔵)
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