些事にこだわり

またぞろ大江健三郎の「にがい、、、コオフィ」を論じることになるが、間違っても二番煎とはならぬので安心されたい

蓮實重彥さんの連載時評「些事にこだわり」第12回を「ちくま」3月号より転載します。同世代の大作家との意外な類似点をあげて、反響の大きかった第10回の余波について。

 何しろこれは隔月連載なので、前々回といってもすでに数ヶ月前のことになってしまうが、珈琲とそれに加えるべき砂糖の量の過多をめぐるこの老齢者の記述があちらこちらで話題になり、いささか恥ずかしい思いを抱かされた。『この世には、どうやら珈琲にたっぷりと砂糖を入れねば気のすまぬ世代というものが存在しているようだ』というのがその文章の題名だったが、「存在している」ではなく「ようだ」と断言を避けているところが味噌といえば味噌だといえる。
 とはいえ、お他人さま一般というものには信頼などおいていない人間なので、それが現実の事態として機能しているとは到底思いかねるあの「承認欲求」とやらが充たされたというわけでは勿論なく、世の中には暇なお方が不特定多数おられるものだと痛感することになっただけである。とはいえ、この愚かな疫病が蔓延しているという一時期にわざわざ拙宅まで訪ねてこられる方々に珈琲を提供することに、いささかの躊躇いを覚え始めたことだけは確かなので――シュガー・ポットに匙を入れようとするときのこちらの手元に、お客さまの視線が異様に集中する!……――、そんなときは、イタリア製の発泡性の飲料水で我慢していただくことにしている。
 ところが、たまたま手元に送られてきた『現代思想』(青土社)の一二月号が「就職氷河期世代/ロスジェネの現在」という特集を組んでいるのでパラパラと目次に視線を送っていると、そこには『なぜ蓮實重彥は、珈琲にたっぷりと砂糖を入れるのか? あるいは「世代」とは何か?』という仰々しい題名の論文がまぎれこんでおり、個人的には存じ上げない鈴木洋仁という方がその著者だと知ることになる。これは読まずにおいた方が幸福に近づけそうだという直感が働きはしたものの、目次が指定している頁を思わず拡げてしまったことで、不幸な気分はひたすら募るばかりとなってしまう。
 論文の巻末を見ると、著者の鈴木氏は「歴史社会学」とやらを専攻しておられる方のようだが、どこまで本当のことが書かれているかわかったものではない蓮實のエッセイなどを持ち出して「世代」を論じたりして大丈夫なのだろうかという気がかりは消えることがない。しかも、ふと読みはじめてみると、導入部に「はじめに」などと仰々しく書かれているのだが、四〇〇字詰め原稿用紙で五〇枚は越えまい論文の冒頭に「はじめに」などと書き記すのはプレオナスムもはなはだしく、碌なものではなかろうと思って他の論文と見比べてみると、そこにも「はじめに」で始まる論文が五篇か六篇はまぎれこんでいる。これは、大学の教師どもが、論文は「はじめに」と書き始めよと芸もなく講じていたりすることの結果なのだろうか。だとするなら、そんな教師の姿勢をはなから小馬鹿にしえない弟子どもなど、とても誉められたものではあるまい。あるいは、誰に勧められたわけでもないのにそうした風潮が成立してしまったというなら、それこそファシズムにも通じかねない不幸な事態である。

 鈴木氏の論文は、大江健三郎や蓮實による珈琲への途方もない量の砂糖の入れ方を通じて、「大江健三郎や小澤征爾、蓮實重彥たちが抱えていた『進駐軍体験』のような苛烈で、歴史に刻まれる強烈な何かは、『わたしたちの世代』(と敢えて言おう)には、ない」と書きながら、いわゆる「世代」なるものの定義の微妙な困難さを論じておられるのだが、「世代論」という社会学的な概念が、大江や蓮實といった個人の感慨によって語られてよいものかどうかという疑問にひどく苛立たせられた。筒井康隆氏との共著『笑犬楼VS.偽伯爵』(新潮社、二〇二二)でも触れられていることだが、たった二歳年長の筒井さんには「進駐軍体験」といったものは稀薄で、その代わり「いわゆるアプレゲールの最後の年齢」という言葉でご自分を定義しておられる。独特の髪型と年長者に対する有無を言わせぬ反抗心とで時代を先導した「アプレゲール世代」と「進駐軍体験者」はどう違うのか、といった点にもまったく触れられていないところなど、鈴木氏の世代論は充分な目配りが効いているとはいいがたい。そもそも、「はじめに」と書き始められた論文が「おわりに」もなく終わってしまってよいものだろうか。
 そうした危惧の念を抱きながら全誌に目を通してみると、「はじめに」で始まり「おわりに」で終わっている律儀な論文は、社会学を専攻する赤羽由起夫の『氷河期世代の殺人と苦悩』と、同じく社会学専攻の志田哲之の『「それじゃだめなのよ」』の二篇しかないことに気づいた。とするなら、ほかの多くの論文は「始まりっぱなし」でなし崩し的に終わっているのだろうかと思っていると、「おわりに」だけしかない論文も存在しているという否定しがたい現実に直面し、いささか呆気にとられた。
 そもそも、こうした日本語論文の「はじめに」と「おわりに」とが、欧米論文のintroductionやconclusionにあたるものだとするなら、これらの論文におけるその二語は、それにふさわしい予告機能も集約機能も果たしていない。また、肝心のテクストをいささかも対象化してはおらず、いずれも同じ風圧で言葉が選ばれ文字が綴られている。そこで、例えば、鈴木論文に文献として引かれている尾崎真理子の『大江健三郎の「義」』(講談社、二〇二二)を読んでみると、そこには「はじめに」と「おわりに」との典型的な使用法が読みとれる。いずれも、テクストが書き終えられてから書かれたものであることは明白で、そこには、序文的な予告機能と結論的な集約機能とが見事に書き込まれている。書物の内容に充分説得されたとはいいがたいにもかかわらず、この書物そのものが何とも否定しがたい存在感におさまっているのは、そうした理由による。大学で育った知性ではないにもかかわらず――現在は大学に籍を置いておられるが――尾崎さんとその書物の重要さは、「はじめに」と「おわりに」とがいささかも恥ずかしくないばかりか、その二語によるテクストの対象化が充分すぎるほどに機能しているからにほかならない。

「ちくま」が書店に並んでからほんの数日後、さる女性から決して薄くはない大型の封筒をどさりと受けとった。敬愛しつくしてやまぬ元同僚の、といってもわたくしよりは遥かに年少の工藤庸子がその差出人だった。逸る心を抑えて開封してみると、それはいかにも大江健三郎らしい筆致で「コオフィ」と書いているものについてのかなり回りくどいが事態を詳しくは論じているエッセイのコピーだった。『壊れものとしての人間』(講談社、一九七〇)の冒頭部分だぞと見当をつけ、それなら読んだことがあるはずだぞと即座に得心したが、原物を探し当てようにも、納戸の奥まったところに隠匿されている大量の大江関係の二重になった棚に手をつけることになるので、いまはとりあえずその送付された文面を詳しく見てみることにするなら、そこには、戦争末期から終戦時にかけての四国の山間の小学校における子供たちが、書かれたものと実際に目にしているものとの違いに途惑うさまが面白おかしく――とはいえ書き手としてはごく真剣に――語られている。
「まことに幼年時の僕にとって、書物のうちなる事物、人間はみな架空のものだった」と書く大江は、「異邦人」「ビルディング」「汽船」「海」すらが架空だったと語り継ぎ、「……ぼくらが住む谷間をかこむ両側の山の間の、狭く限られた空を飛びこえて、われわれの地方の中心都市を焼きにゆく敵国の爆撃機のみが、現実化した飛行機であった」(九頁)と書いてから、「バター、牡蠣、サラダ菜が架空だった。麺麭(パン)すらも架空だった」と書きついでゆく。さらには、「誰が実物のスサノウノミコトを思いえがくべくつとめるだろう? 檸檬(レモン)もコオフィも神話の時代の無限定な広がりのうちに放置しておくがいい」(一〇頁)と結んでから、いきなり「にがい、、、コオフィ」が話題にされている。
 ここに到って、わたくしは工藤庸子の繊細な意図に深い謝意を覚えた。東大の駒場と放送大学とで教鞭をとり終えてから、いきなり抱きしめたくなる――抱擁の対象はいうまでもなく書物である――ほどに愛した『評伝 スタール夫人と近代ヨーロッパ』(東京大学出版会、二〇一六)を書きあげた彼女は、それに続けて、思いもかけず『大江健三郎と「晩年の仕事(レイト・ワーク)」』(講談社、二〇二二)を刊行し、いまもなおその続編を雑誌『群像』に不定期連載中である。その大江論の「あとがき」の言葉を信じるなら、いまは『笑犬楼VS.偽伯爵』に収録されている筒井康隆との対談「同時代の大江健三郎」に車中で読みふけり、「降りるべき駅を乗り過ごしてしまった」というのだからわたくしにも多少の責任がないわけでもなかろうが、大江健三郎の作品をまともに論じうる逸材が現代の日本には彼女と尾崎真理子の二人しか見あたらないという現状から、それをよきこととして日本社会における女性の地位を論じたいとも思うが、それは別の機会に譲る。
 ここで鈴木氏の論文に戻りつつ、大江の「コオフィ」について改めて触れておく。「闇で手に入れてひそかに少量ずつ大人たちの飲んでいるコオフィとは、濃褐色の罐にはいっている粉末のときにすでに甘ったるく、いくぶん焦げくさいだけだと、そのような貴重品の味をみる小さなコソ泥的勇気をそなえた旧友が証言するだけで、にがい、、、コオフィとは、もっとも判断しがたい言葉の謎にかわった」(一〇頁)ものにほかならぬと大江は書いている。かりに、大江と蓮實の「進駐軍体験」をもとに「世代」を論じようとするなら、鈴木氏は、この「にがい、、、コオフィ」の一件など、みずからの手で探し当ててから書かれた方がよかろうと思う。隔月連載のエッセイを読んだだけで書き始めるには、問題の規模があまりに大きすぎるからだ。わたくしどもの「進駐軍体験」を「苛烈で、歴史に刻まれる強烈な何か」と呼ばれるなら、その複雑な諸相をより深くえぐり出す資料と想像力が必要とされるからである。