朝食だけはごく几帳面に食べたいという思いは、独身だった半世紀ほど前から老齢の妻帯者となったいまにいたるまでまったく変わることはないはずだが、ひとまず「ごく几帳面に」と書いておいたのは、それがいささかも豪華なものではなく、むしろ質素とさえいえるものだからである。つまり、お気に入りのパンにお気に入りのコーヒーを添えればそれで朝食としてはもう充分だということなのだが、パンはできればバゲットが食べたい。自宅から歩いて五分ほどの生い茂った林の中に申し分のないバゲットを売っている瀟洒な店舗があったのだが、不幸にしてそれが閉店してしまったあとには、パン・ド・カンパーニュ、すなわちライ麦入りの田舎麺麭の得意な店ができたのでしばらくそれで我慢していたが、やはり飽きがくるので、ときに井の頭線を一駅乗って、いまや若者の街と化したかに見える下北沢までわざわざバゲットを買いに行くこともしばしばである。それに親しい女友だちが教えてくれたシチリア産の美味というほかはないマーマレードをたっぷりと塗ればほぼ完璧といえようが、バターに関しては、不幸にして美味しいものが日本では市販されていないので、比較的不味くないもので満足することにしている。
毎朝のコーヒーにもそれなりの香りの好みはあるが、その名称はここではあえて述べずにおく。ただ、外に出るときにはできればエスプレッソが飲みたいので、それをメニューに揃えているカフェのありかをそれぞれの繁華街で二つか三つ確保してありはするが、そんなことを書くと、何だかパンとコーヒーというものがここでの主な話題だと勘違いされそうなので、そうではなく、ここで語ってみたいのは、挽いたコーヒーを濾過するためのやや厚い油質の紙、すなわちドリップ・フィルターと、その不意の不在がまざまざと見せてくれたある淫靡なイメージについて語ってみたいのだと改めて書いておくことにする。
コーヒー豆そのものについてなら、これは拙宅に絶やしたことなどまずないといってよかろうと思う。朝になってコーヒー豆がないとなると一日が始まることなどあるまいという怖れから、これはたえず買い足しているし、最近では、こちらのコーヒーの好みを察知された女性の友人や知人の方々が送って下さったり持参されたりするので、それを絶やすことなどまず考えられぬ。ところがフィルターの方はというと、それが自宅に存在しているか否かを考えたことなどまずないといってよい。一日にほぼ一度使うものだから、一年に三六五枚ほどあれば充分なはずだが、それを集めたパックにフィルターが何枚入っているかと思ったことなどまずなかったし、それがいつかは尽きるはずだから、なくならぬうちに買いだめしておこうとする気もさらさらない。だから、ついせんだっての朝など、それが切れていることに気づき、キッチンの抽斗という抽斗を引っぱり出しながらあちらこちらを探し回り、何とか皺になった数枚を見つけ出してほっと胸を撫で下ろしたものだ。
だが、ここで書いておきたいのは、見失われたドリップ・フィルターを探し当てたのとほぼ同時に、可愛らしい若い女性のお尻の割れ目がふと見えてきたりするという観念連合の思いもかけぬ微妙さについてなのである。では、ドリップ・フィルターの不在と若い女性のお尻とは、いかなるかたちで関連性を持つというのか。
あれは一九六六年か六七年のことだったから半世紀を遥かに超えた大昔のことなのだが、シネクラブの活動なるものを定着させたいと思った一人の若い女性が日本の首都にも存在していたと想像されたい。その女性は海外での生活も長く、何しろさる人気男優とも結婚していたのだから、有名人の一人だといってもよい存在だったのだが、「シネクラブ研究会」と名付けたその活動はきわめて地味なもので、月に一度ほど大手町のさる小さなホールを借り切り、そこで重たい複数のロールをつめたバッグをみずから担いで登場し、終映後に、ちょっとした討論のようなものを司会するというのが彼女の仕事だった。
三年半のフランス滞在を終えたばかりのわたくしは、パリでは見られなかったジャック・ドゥミ監督の短編第一作『ロワール渓谷の木靴職人』(一九五五)を見ることができ、深く感動したことを記憶している。その若い女性が柴田駿とともにフランス映画社を設立するより数年前のことにすぎず、そんなことになろうとは思ってもみぬままその活動に深く共鳴したわたくしは、何であったかの記憶は定かではないが、さるフランス語の文献を日本語に翻訳し、その原稿を六本木にあった彼女のオフィスまで持参したことがある。いまなら、メールに添付して送ればそれですむはずのものだが、そんな便利なものが六〇年も昔のこの国に――いうまでもなく、いかなる国であろうと――存在しているはずもなかった。
持参した翻訳原稿にざっと目を通したその女性は、まあありがとうというなり、お礼に美味しいコーヒーを淹れてさしあげますわと口にしながら、おそらくはヨーロッパ製のものだろうコーヒー・メイカーに小さな変圧器を添えてソケットに挿入し、それに水を注いでから黒光りのする豆粒を勢いよく投入し、いざ電源を入れようとした瞬間、彼女はドリップ・フィルターの不在に気づき、あらいやだ、絶対に近くにあったはずなのに見あたらないといいながらひどく苛立ち、到るところを探してみたが見つからない。
彼女は、不意にあっというなり、あの箱の中にあったはずだといいながら、書類棚に立てかけられていた梯子を登りかけた。その瞬間、着ていたドレスの裏のファスナーが引かれてはおらず、背中が丸見えであることに気づいたわたくしは、その背後に貼り付くようにして全身で女の素肌の背中を隠し、ファスナーをあげようとしたところ、何かに引っかかっていたものか、それは一向に動こうともしない。漸くにして事態の緊急性を察知した彼女は、ふと振り返りながら、ファスナーが動かなければいったん勢いよく下まで降ろしてから改めて引き上げてみてはどうかという。そこで、左手を彼女の胴にあて、指示にしたがってファスナーをいったん下まで降ろしたところ、薄手の下着にほとんど蔽われてはいないその裸のお尻の割れ目が、いとも鮮やかにこちらの瞳を不意討ちしたのである。
あ、見えたと思わず口にすると、唇に人差し指を添えながらも微笑を絶やすことなく梯子を降りた彼女は、どうやらその上のケースの中に見つけだしたらしいドリップ・フィルターを装填しながら、どうしてあなたたち、教えてくれなかったのよとあたりの事務の男女たちに文句をいう。誰もが目をふせて答えようとはしなかったので、それはあなたの可愛らしいお尻を真正面から見る権利を、このわたくしに譲渡してくれたのでしょうというと、彼女は馬鹿ねえといいながらも、満足そうに笑った。
これで、ドリップ・フィルターの不在とさる女性の可愛らしいお尻の割れ目との必然的な関連を理解していただけたかと思う。その意志などまったくなかったはずなのに思わず素肌のお尻を見せてくれた女性は、川喜多和子といって、戦前に創設された東和商事合資会社という映画の輸入を扱う会社の社長である川喜多長政とかしこ夫妻の一人娘であり、戦後に映画を見始めたわたくしの世代の若者たちにとって、いわばアイドルのような存在だった。その女性が、思わず知らずそのお尻を見せてくれたのは、ことによると、わたくしの翻訳への謝意だったのかも知れないといまにして思う。
では、半世紀以上も昔に起こった性的とはいっさい無縁ともいいがたい奇妙なできごとについて、なぜ、いま語ったりするのか。それは、現下の社会状況において、かつてわたくしがその気もないままに演じてしまった行為が、性犯罪と見なされても不思議ではないものだからである。
いうまでもなく、わたくしがたまたま見てしまった女性のお尻の割れ目は、その持ち主の同意によるものではいささかもない。内閣府のホームページやその周辺の記事によれば、「同意のない性的な行為は、性暴力であり、重大な人権侵害です」とあるが、その「性的な行為」なるものを「性交」と理解すればいっさい問題はないといえようが、「性的な被害の具体例は?」として、「たとえば、盗撮や痴漢、セクシュアルハラスメント、子どもへの性的虐待(括弧内:省略)、デートDVやSNSでの性的な嫌がらせなども性暴力に該当します」とも書かれているところを見ると、わたくしの場合、「それはあなたの可愛らしいお尻を真正面から見る権利を、このわたくしに譲渡してくれたのでしょう」などとわざわざ口にしているのだから、いま風にいうなら、それを「セクハラ」と認定されてもおかしくはなかろうとは思う。もちろん、半世紀以上も昔のことだから「時効」とやらも成立していようし、彼女もまたその言葉を笑って許してくれたのだから、以後、彼女の思いもよらぬ死の瞬間まで、わたくしたちは、異性の友人として、ごく親しい関係を維持することができたのである。
ここではむしろ、コーヒー好きを自認している多くの男女が、豆については律儀にその有無を確かめていながら、ドリップ・フィルターに関してはその身近な存在を確かめようともせず、いざという瞬間に慌てて探し始めるのはなぜか、と問うべきかも知れぬ。実際、川喜多和子は、かりにドリップ・フィルターが身近にあったなら、その素肌のお尻をわざわざわたくしに見せずにすんだはずなのである。ことによると、男女間の友愛というものは、セクハラに限りなく近い関係を維持していることで、より親しく深いものとなるものかもしれぬといういささか危うげな教訓を、ここでのいささか強引な結論とすべきかもしれない。その結論を、いまは鎌倉の墓に眠る川喜多和子の霊に向けて、深い友愛の念をこめて送り届けたいと思う。