些事にこだわり

ノーベル賞が「些事」へと堕してしまう悲惨さについて

蓮實重彥さんの短期集中連載時評「些事にこだわり」第5回を「ちくま」1月号より転載します。昨年の真鍋淑郎氏のノーベル物理学賞受賞に際し、例のごとく繰り返された「「日本人」が受賞!」の大騒ぎ。そこで覆い隠されるもろもろについてこだわります。

 ノーベル賞というものが「些事」に類することがらかどうか、それはもとより確かなことではない。ところがいったんそれが報道されたとなると、日本では、その過程で、一挙にまぎれもない「些事」の域に転落してしまう場合がほとんどである。
 例えば、二〇二一年度のノーベル物理学賞は、Mr. Syukuro Manabeというアメリカ国籍の研究者に、ドイツとイタリアの研究者と同時に授与された。ところが、その事実を伝える日本のマスメディアの報道は、あたかも日本国籍の研究者がたったひとりでそれを受賞したかのように興奮しきっている。これは、醜いというより悲惨な事態だというべきである。なるほど、一部には、例えば朝日新聞系の「ニッポンあれやこれや 〜〝日独ハーフ〟サンドラの視点〜」(2021/10/13)はそれに対する疑義を表明している。だが、目にした限りの新聞やテレビの大半は、そうした視点を徹底して欠いていたといわねばならぬ。
 いうまでもあるまいが、Mr. Syukuro Manabeという新受賞者が、真鍋淑郎という日本名を持ち、愛媛県生まれで、東京大学の出身者であることは間違いのない事実である。だが、Sukiという愛称でプリンストン大学における仲間や後輩たちから慕われているという氏は、すでに一九七五年に日本国籍を放棄して合衆国の市民権を獲得しておられる。放棄と書いたが、他国市民となった段階で日本国籍は剥奪されるのだから、真鍋氏は、正確には日系米国人ということになる。従って、その授賞は、日本国籍の受賞者として正式に分類されることはない。
 ところが、氏の受賞をめぐるわが国での報道には、某首相による「日本人として誇りに思う」発言をはじめ、そのことへの言及がまったくといってよいほどなかった。いってみれば、Mr. Manabeは、日本という研究環境をきっぱりと捨てたことで世界的な超一流の研究者たる路を選ばれたことになる。それはいったいいかなる理由によるものなのかと問うのが、ジャーナリストとしての第一歩ではないか。だが、あたかもそんなことはなかったかのように、日本人のノーベル賞受賞が報道されているのだから、事態が「些事」へと貶められてしまって何の不思議もない。
 もちろん、これはまったく初めての事態ではない。二〇〇八年にノーベル物理学賞を受賞された故南部陽一郎氏も、一九七〇年にアメリカ国籍を取得し、日本国籍を放棄しておられるので、当然のことながら、氏も日系米国人ということになる。それに、二〇一四年に物理学賞を得ておられる中村修二氏も米国籍なのだから、日系英国人のカズオ・イシグロ氏――個人的にさして評価しているわけではないが、彼が相対的に優れた作家の一人であることは認めざるをえない――の文学賞受賞も数えれば、すでに四人もの元日本人が、まぎれもない外国籍でノーベル賞を受賞していることになる。
 もっとも、ノーベル文学賞に限っていえば、パトリック・モディアノごときが受賞しているのだから、すでに事態は年に一度の「些事」の祭典と化しているといえようが、数年前に発覚したノーベル・アカデミーに属するさる女性の夫のさまざまな不行跡が発覚していらい、多少はまともな選考がなされぬでもなかろうと期待しておくことにする。

 そこで、日本国籍を放棄=剥奪された研究者がノーベル賞を受賞した場合の日本のマスメディアの自堕落な反応に話を戻せば、そうした事態を今日の日本人がいったいどう捉えるかが、今回のMr. Manabeの受賞で問われるべき重要な課題のひとつである。なぜ、日本生まれの優れた研究者たちが、決定的に日本を離れることで真の評価を受けることになったのか。くり返すが、Mr. Manabeの受賞は、それを意識させる好機だったはずなのに、そうした事態がまったく問題視されることがなかったのはなぜか。それは、まず、日本という国家が二重国籍を禁じているという事態を、マスメディアが、意図的であるか否かはともかく、ごく当然のことと容認していることを意味している。
 それにもまして重要なのは、かつて、ある時期に問題となった「頭脳流出」という苛酷な現象――それは、1ドル=360円時代の残照ともいえよう――が、いささかも過去の問題ではなく、そのまごうかたなき実例が二〇二一年に起こっているという現実を前にしながら、マスメディアで禄を食む彼ら、彼女らには、そのことに疑念を覚えて批判的に議論しようとする風情など、まったくといってよいほど感じられない。
 例えば、欧米諸国のほとんどが採用している二重国籍が、なぜ日本は認められないのか。それには、徴兵制度の有無、等々、さまざまな理由が介在してはいるが、四人もの「元日本人」のノーベル賞受賞という現実を考慮し、その上でもなお二重国籍を認めないという立場を容認するならともかく、ひたすら受賞者が日本で生まれたという点に拘っての報道ばかりしているマスメディアの姿勢は、とうてい容認しがたい。「頭脳流出」もまた、決して過去の問題ではなかったことがまぎれもない現実となってしまっているからである。そうした視点を欠いたまま、ノーベル賞受賞をまるで「些事」であるかのように伝えてしまうマスメディアの姿勢は、いつものこととはいえ、いかにも悲惨なことだと思う。

 だが、こうした「些事」化現象でさらに重要なのは、Mr. Manabe氏の現職をめぐる報道の弛緩ぶりである。それは、氏は一九三一年のお生まれだから、御年とって九〇歳ということになり、日本でいえば後期高齢者という曖昧な分類にどっぷりと浸っておられても不思議ではないお方である。ところが、わが国のマスメディアのほとんどは、その現職をプリンストン大学の「上席研究員」と書いている。だが、九〇歳という高齢で「上席研究員」という地位にあるという記述は、当然のことながら二つの疑問を提起させる。まず、氏がその決して短くはない生涯を上級研究員として過ごしてこられたと考えてもまったく不思議でない。だが、それは、あまりにも無理のある職歴といわねばなるまい。では、氏に、プリンストン大学でのほかの職歴はなかったのかと考えるのがごく自然の成り行きだろう。
 だが、この点をめぐっては、複数のWikipediaがまったく異なる情報を提供している。だからネット上に流通している辞典類などまったく信用がならないのだが、まずその日本語版を見てみると、アメリカ国立気象局の主任研究員時代に、氏がプリンストン大学客員教授を兼任したと書かれている。ところがそのフランス語版では、二〇〇五年以来、氏はプリンストン大学の名誉教授だと記されている。さらに、英語版を見てみると、一九六八年に「教授待遇の講師」《as a lecturer with the rank of Professor》としてプリンストン大学の一員になったと書かれている。そのことは、あえて報道されていなくても漠然とながら想像できたこととはいえ、それが現職といわれる「上席研究員」とどう結びつくのかも、まったくもって不明というほかはない。「教授待遇の講師」を退職されてから、改めて上席研究員となられたというのだろうか。
 例えば、二〇〇二年度のノーベル物理学賞受賞者の故小柴昌俊氏の場合、最終職歴は「東京大学特別栄誉教授」となっているが、これは氏の業績にふさわしく特別の処置によって得られた地位である。それに似たような特殊な処遇がMr. Manabeに対してもプリンストン大学によってとられていたということだろうか。
 氏は、アメリカ国立気象局時代に、「日本の二五倍もの給料が払われた」と回想しておられるので、九〇歳になっても、上席研究員として、それに類する高額な給料を、プリンストン大学から得ておられたのだろうか。そもそも、九〇歳という途方もない高齢で、ごく自然に大学機構の構成員たりうるものなのだろうか。また、氏は、「大変なお金をアメリカの政府がやって(投資して)くれた」(朝日新聞デジタル2021/10/6/1:04)とも語っておられる。だから、氏をノーベル賞の栄誉へと導いてくれたのは合衆国政府だという言葉で、日本国籍を放棄されたご自分のいまを肯定しておられるのだが、それを、令和日本の某首相は、そして日本国の市民はどう読んだのか。

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