避けようもない暑い日ざしを顔一面に受けとめながら、タワーレコードの渋谷店で購入した海外の雑誌を手にしてスクランブル交差点にさしかかると、すんでの所で信号が赤となってしまう。階段を降りて地下の通路に向かう方法もあるにはあったが、年齢故の足元のおぼつかなさから灼熱の地上に立ったまま青信号を待つことにしていると、いきなり、かたわらから、女性の声がフランス語で響いてくる。ふと視線を向けると、「そう、シブーヤは素晴らしい」と「ウ」の部分をアクセントで強調しながら、スマホを顎のあたりにあてた外国人の妙齢の女性が、瀟洒なドレスのうえに奇妙な江戸風の法被などまといながら、誰にも解るまいと高を括ってか、ことさら声を高めている。電話の相手が誰であるのかは知るよしもないが、「そう、シブーヤには、買いたい物が何でも揃っている。パリでは買えない映画のCDもあれば、古いジャズのレコードを売っている店まである。おまけに、百貨店には世界中の香水も揃っているのだから、シブーヤは本当に素晴らしい街よ」と声を低める気配も見せない。
こちらは、スクランブル交差点の信号が青になるのを待ちながら、ひたすら暑さと人混みに苛だっているのに、その女のこの土地に対する手放しの興奮ぶりはいったい何なのかと思わず舌打ちする。てめえみたいな無知な田舎者がどっと押し寄せてくるようになってから、「シブーヤ」はこれほどまでに不便な街になってしまったのではないか。腹いせにそう言葉をかけてやろうかと思っていたところ、幸い信号が青に変わったので、パリ在住と思われる法被をまとったこの田舎者としかいえぬ女性を罵倒せずにすんだ。
だが、最近の渋谷が酷いことになっているのは間違いない。とりわけ、井の頭線沿線の住人にとっては、ほとんど通過したくない街と化してしまった。つい最近まで、地下鉄銀座線に乗り換えるのにはものの一分もあれば充分だったし、山手線に乗り換えるにもほぼ一分、東横線に乗り換えるのにも二分あれば充分だった。だというのに、渋谷再開発とやらが醜く大っぴらに進行しつつあるいまでは、決して低くはない階段をいくつも昇降して人波を避けたりしながら、銀座線に乗りつぐには七分、山手線は五分、地下深くに位置することになった東横線にいたっては、わたくしのような後期高齢者には十五分余もかかってしまう。実際、渋谷駅で地下に移ってしまった東横線だけには乗りたくないという男女が、わたくしのまわりでは目に見えて増え始めている。東急電鉄による「渋谷再開発情報サイト」によれば、「駅構内では、JR線と東京メトロ銀座線のホームの移動により、地下化した東横線や東京メトロ副都心線との乗り換えが便利になります」と書かれているが、とんでもない、事態はまったくその逆だといわざるをえない。だから、「再開発」と名のつくものは嫌いなのだ。かつて東横デパートと呼ばれていたものが駅舎の上にできたとき、そこにホールも含まれていたのだが、そこではその三階に位置していた地下鉄――当時はその一本しかなかった――の走行音が客席内に響きわたり、何が演じられようと到底鑑賞に耐えるものではなかった。にもかかわらず、そこでは新劇から落語までが堂々と演じられ入場料までとっていたのだから、渋谷の「開発」なるものはその大半が失敗に終わっていたといわざるをえない。
実際、現在の渋谷では、そこへ行きさえすれば探している書物が必ず見つかるという良質な大規模書店も姿を消してしまったし、本格的なエスプレッソが飲める広々と開かれたカフェ――そこでは、つい最近まで喫煙も可能だった――もなくなってしまった。また、これはもっぱら個人的な執着にすぎないのだが、戦前の子供時代に母が初めて連れて行ってくれたことで忘れがたい永坂のさる蕎麦屋の渋谷支店――これは、レジ係からウエイトレスまで、ことごとく年輩の女性だけで取り仕切っているという特異な雰囲気の店だった――もなくなり、故エドワード・ヤン=楊徳昌監督のとても上品な母君と親しく言葉を交わしたことで忘れがたい劇場も閉鎖されてしまったし、侯孝賢監督のお気に入りだった中華料理の麗郷も、近く閉店するという。
法被姿のフランス人女性がまったく気づいてはおらぬこうした無惨な事態は、ことごとく渋谷一帯の再開発とやらが原因であるというしかあるまい。駅周辺の移動が厄介になり始めたのは、数年前から、元百貨店だった一帯が再開発の工事とやらで、ごくぶっきらぼうに風景を変え始めてからのことである。では、その再開発とはいったい何か。どうやらこれは「都市再開発法」という昭和四十四年に制定された法律に基づく大規模工事だというから、多少とも官製の発想がその根もとにありそうだ。そもそも、なぜ「再開発」であって、たんに「開発」と呼ばれることが避けられているのか。
「再開発」というからには、すでに「開発」されていたものを改めて「開発」し直すという、いわば戦前を精算することを目的とした戦後的ともいえる復興の思考がそこに反映しているような気がしてならない。事実、法律が制定されたのは、まだまだ「戦後」の雰囲気をとどめていた時代のことである。だが、二十一世紀にもなっていまだに「再開発」などといっているかぎり、そこに「戦後」的な発想が無批判に受けつがれているように思えてならない。渋谷の場合は、戦後の復興にそれなりに貢献した東急電鉄がその推進役かと思われるが、日本全国の再開発事業には民間の資金調達に翳りが見え始め、地方自治体に大きなしわ寄せが及んでいるらしい。
「都市再開発法」の第一章の「総則」には、「この法律は、市街地の計画的な再開発に関し必要な事項を定めることにより、都市における土地の合理的かつ健全な高度利用と都市機能の更新とを図り、もって公共の福祉に寄与することを目的とする」と書かれているが、この「公共の福祉」というところが問題である。そもそも、到るところで「再開発」による高層ビルが盛んに建てられて見慣れた風景が変化しつつあるが、その変化が「公共の福祉」に寄与するとはいったいどういうことなのか。ほとんど機械的に「再開発」には高層ビルの建設が不可欠と思われているようだが、その無言の申しあわせが、いかにして「公共の福祉」に「寄与」するものと断じられるのか。
そもそも、「少子高齢化」による人口の減少がかつてなく甚だしいこの時代にいくら「超高層マンション」など建てたって、少なからぬ数の空室ができるのは目に見えている。事実、一部では、高層マンションの「スラム化」ともいうべき現象が深刻な問題となっていると聞く。それこそ、「公共の福祉」には逆行するものではないのか。
中央区の周辺では、あたかも首都の直下型大地震など絶対に来ないと誰もが信じているかのように、また、電力資源があたかも無尽蔵だと確信しているかのように、さらには、別の建物にほぼ同じ数の空室を必然的に惹起しているという事実にも無自覚なまま、さらには、若い世代が結婚という儀式に背を向けることで著しく人口の減少を導きだしていることなどまるで信じるにたらぬフィクションだと言うかのように、大阪の「あべのハルカス」の高さを越えんとする高層ビルが複数建設中のようだが、そもそも建物の高さを競う――高層マンションの最上階に住むだの、高層ビルのオフィスでビジネスをする、等々――という心情は本質的に貧しい幼児性というか、田舎者的ともいえる見映えの満足感をもたらすのみであり、「公共の福祉」とはいっさい無縁の無自覚な振る舞いでしかない。そんな連中は、ドバイにでも赴任させればよろしい。いずれにせよ、二十一世紀の日本に於ける超高層ビルの林立は、国そのものの遠からぬ凋落を予言しているように思えてならない。
かりにわが国の遠からぬ凋落を避けうる唯一の好機があったとすれば、それは、現在の丹下健三設計による東京都庁舎の醜い高層建築に対して、百メートルを超えることのない低層の建築案をコンペに提起した磯崎新の設計が採用されていた場合にかぎられている。無念にしてそれは採用されなかったが、都庁というものが権威主義的な高層建築でなければならぬ理由は何ひとつとしてなかったはずだ。そもそも、建築としての都庁舎は到底丹下の傑作とは呼びがたい凡庸きわまりないものであり、代々木の体育館の何とも形容しがたいカーヴを描く線分の魅力にくらべるべくもない凡作である。他方、磯崎新は、少なくとも日本では超高層ビルなど一つとして設計しておらず、東京、あるいは日本という土地がそれを必要としていないことに充分すぎるほど意識的だった。
にもかかわらず、その後の日本国は、これという確かな理由もないまま、高層ビルの林立に向けて舵を切り、以降、誰一人それを止めようとしない。愚かなことではないか。公共の福祉という点でなら、例えば開かずの踏切の改善、豪雨による不意の出水に対する護岸工事、台風が来るたびごとに倒木で切断される電線の地下化、等々、の方が絶対に有意義のはずである。
例えば、わたくしにとってより身近な井の頭通りと中野通りが直交するあたりの道路の拡幅工事は、二十世紀以来――ということは、超高層ビルの建設よりも遥かに長い時間をかけていながら――いまだに完成しておらず、無用な渋滞を招いている。「再開発」とやらは、こうした「公共の福祉」には背を向けた無駄かつ無謀な振る舞いとしか見えぬ。そうした愚かな傾向は、外国人投資家たちにとっての好機でこそあれ、日本人にとっては、その未来を閉ざす愚かな事態にほかならぬ。
あえて結論めいたことを口にする気もないが、法被姿のフランス人女性にとっての「シブーヤ」が、もはやわたくしたちの「渋谷」でないことだけは確かである。