単行本

ファッキン・ブリリアント!
『リスペクト――R・E・S・P・E・C・T』(ブレイディみかこ著)書評

ブレイディみかこさんの『リスペクト――R・E・S・P・E・C・T』は、2014年ロンドンで実際に起きた占拠運動をモデルとした小説です。本書が突き付けてくるものは何か? 私たちと無縁なのか? 小説家の高橋源一郎さんによる書評です。

 「二〇一三年八月のある暑い日、三人の若い母親たちがロンドンのホームレス専門のホステルの一室に座っていた」という文章からこの小説の第一章は始まってる。シングルマザーで白人のジェイド、ラッパー風ファッションをした黒人のギャビー、そしてフィリピン系移民の母親がいるシンディは、元ネイリストで爪に薔薇を描いている。この三人が集まったのは、住んでいるホステル、というかシェルターから退去するよう通告を受けたからだ。なぜかって? 彼女たちが住んでいる「E15」地区では古い建物を壊して、高級マンションやモダンなアパートに建て替える「ソーシャル・クレンジング」(地域社会の浄化ってこと、怖い表現だよね)が進んでいて、三人のような貧しいシングルマザーを追い出そうとしているんだ。追い出されたら行くところのないジェイドたち。役所は、知人なんかいない地方へ行けっていうし、近くで安いアパートを借りようとしても、職もなく生活保護を受けている彼女たちは、ハナから相手にされない。誰も助けてくれない。貧しい者の味方のはずの労働党だって、彼女たちの存在なんか無視する。どうしたらいいんだろう。いや、ぼくたちがそんな目にあったらどうするだろう。無力に打ちひしがれたまま、とにかく安い住処を探して、泣く泣く役所のいうことを聞くのだろうか。でも、ジェイドたちはそうしない。ここで大切なことばが出てくる。「リスペクト」だ。役所の職員の傲慢な態度に怒ったジェイドは「これがあなたたちの、住民に対するリスペクトですか」っていう。このことばが、彼女の内側からなにかの拍子に溢れた。自分の中から出てきたことばに彼女は勇気づけられたんじゃないかってぼくは思う。だって、その後で彼女は「行動」に移るんだ。それはまず、「ソーシャル・クレンジング(地域社会の浄化)ではなく、ソーシャル・ハウジング(公営住宅制度)を」というプラカードを下げて、路上に立つことだった。成算があったわけじゃない。どうすればいいのか教えてもらったわけでもない。自分たちが「リスペクト」されるべき存在であることを証明するために、何かをやろうと思ったんだ。その、小さな一つの行動が、少しずつ社会を動かしていく。動かすことができないと思っていた制度や慣習や偏見を揺るがしていく。そして、この小説は、その様子を詳しく描いてゆく。三人の若い母親を路上で見つけ、鼓舞し、支え、ときには並走する初老の女性ローズは、かつて世界を変えようと闘った運動家だった。ローズだけじゃない。僅か三人の、何も持たない、若い女性が起こした小さな火花は、飛び散って、それまで社会から冷たくあしらわれても黙って耐えてきた人びとの魂に火をつけ始めるんだ。
 わたしたちは無力じゃない。わたしたちは無視されるべきじゃない。わたしたちがやることは無意味じゃない。わたしたちは生きている。そう宣言して、彼女たちは闘いの場所を広げてゆく。すごいな、って思う。イギリスの人たちは、って。日本じゃあ、こんなことは起こらないよ。そう思う読者だっているかもしれない。けれども、この小説には、日本人も登場している。ひとりは、日本の大手新聞社のロンドン駐在員の史奈子と、その元恋人でアナキストの幸太だ。史奈子はジェイドたちの「運動」に懐疑的だった。特に、空き家だらけの公営住宅を「占拠」する行動は「不法」としか思えない。けれども、実際に彼女たちの「運動」に触れ、史奈子も変わってゆく。ジェイドたちの視点から見える自分たちの国、いや、自分は、なんて臆病でみみっちくて、ダサいんだろうって。だから、ジェイドたちの「運動」は、イギリス社会だけの問題じゃない。どこか遠い外国で起こった、自分たちとは無関係な出来事じゃない。ぼくたちの社会をどうするかを、遠くから突きつけてくる、鋭いナイフなんだ。でも、それは怖いものじゃない。幸太のことばを借りるなら、「ファッキン・ブリリアント」(めっちゃカッコいい)なものなんだ。この小説そのものがそうであるようにね。

 

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