資本主義の〈その先〉に

第23回 資本主義の思弁的同一性 part3
3 二つの千年王国論

 

なぜ「コロンビア」ではなく「アメリカ」なのか

 

 さて、細かくアメリカの歴史を追尾しながら解説している余裕はないので、次回、苦難の神義論から幸福の神義論への反転がいかにして生ずるのか、その論理の骨格だけを、大胆に補助線を引きながら説明することにしよう。今回は、最後に、「アメリカ」という名前についてかんたんに述べておきたい。なぜか。

 われわれは、資本主義の精神の成立を、ヨーロッパ的なものとアメリカ的なものとの間の連続と断絶を認識することから説明しようとしている。一方で、両者の間には基本的な連続性がある。ヨーロッパのキリスト教、つまりローマに中心をもつカトリックがあり、それへの対抗勢力として、プロテスタントが現れた。ヴェーバーが論じたように、プロテスタンティズムの倫理は、アメリカで純粋培養され、アメリカ的な精神の基礎となった。他方で、しかし、述べてきたように、ヨーロッパのプロテスタンティズムとアメリカのプロテスタンティズムの間には、何か大きな質的な差異がある。神義論の中にその差異を見たときには、それは、最大値となって現れる。

 「アメリカ」という名前に、こうした連続と断絶の両方が込められている。言い換えれば、連続の感覚と断絶の感覚が均衡したときに出てきたのが、「アメリカ」ではなかったか。

 ヨーロッパが「発見」した大陸に、「アメリカ」という名前が与えられたのは、16世紀のごく初期である。この名前を最初に使ったのは、マルチン・ヴァルトゼーミュラーというドイツの地図製作者であった。1507年に、プトレマイオスの地図の改訂新版という誇大広告気味のふれこみで『世界誌入門』という本が出版された。この本に収録された地図を製作したヴァルトゼーミュラーが、地図の左端に細長く書き込まれた新大陸に「アメリカ」という名前を与えたのだ。この名は、フィレンツェ生まれの航海者アメリゴ・ヴェスプッチにちなむものだった。

 アメリカという名前には二つの謎がある。第一に、どうして、新大陸の発見者として今日に至るまで誰もが知っているコロンブスではなく、はるかに無名の航海者の名前から、大陸の名前がとられたのか。第二に、どうして、ただ「アメリカ」といえば、合衆国を指すほどに、アメリカが、新大陸の中のひとつの国であるところの「合衆国」に特権的に結びつけられることになったのか(3)

 一般に言われていることは、コロンブスは、死ぬまで、自分が到着した土地がインドの一部であるという観念に執着し、これがそれまで知られていない大陸だったとは認めなかったが、アメリゴ・ヴェスプッチは、そこが、未知の新大陸であったことを見出した最初の人物だったからだ、というものである。しかし、こうしたことからでは、「アメリカ」という呼称の成立と普及を十分に説明することはできない。まず、アメリゴが新大陸であるという認定を最初にしたという俗説は間違いであり、彼も、それを自分の功績であるなどと一度も主張したことはない。『世界誌入門』の出版社も、誤りにすぐに気付き、同書の第二版では「アメリカ」という名を消し、ただ「未知の大陸」とだけ記しているのである。にもかかわらず、「アメリカ」は受け入れられ、定着してしまった。この呼称は、「新大陸」に非常にふさわしいという感覚が、16世紀のヨーロッパ人にあったとしか思えない。

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 まず、「アメリカ」という名は、というより初めて訪問した土地に何であれ勝手に名前を与えるという行為は、新大陸への侵出が、西洋のキリスト教世界の拡張であった、ということをよく示している。

 普通は、初めて見出した土地に、訪問者が、恣意的に名前を設定したりはしない。その土地の先住民や先着者が、そこをどう呼んでいるかを確認し、その呼称をそのまま踏襲するものだ。だが、新大陸に到着したキリスト教徒は、そうしなかった。たとえば、コロンブスは、2ヶ月余りの航海でようやくたどり着いた島に上陸すると、その島を「サン・サルバドル〔救済者という意味〕」と命名した。島が無人島だったのならば、こうしたやり方もわからないでもない。しかし、コロンブスは、この島には住民がいて、彼らが、島を「グアナハニ」と呼んでいることを知っていた。それなのに、彼は、島に別の名前をわざわざ与えたのだ。どうしてなのか。

 西洋キリスト教世界にとって、――この点を西谷修がとりわけ強調しているのだが――命名することは「洗礼するbaptize」ことだったからだ。名付けと洗礼とは同じことである。では洗礼とは何か。新たに生まれたものは、それまでの罪を浄化し、神の栄光の世界の中に自身の存在を得なくてはならない。そのような存在を与える儀式的な行為が、洗礼である。洗礼名を与えられるということは、そこが神の恩寵の及ぶ領域の中に入ったということを意味する。コロンブス(たち)が、自分たちの見出した土地に名を与えること(洗礼すること)は、そこが、キリスト教徒の(カトリックの)王の領有に適合している、と宣言していることになる。

 この流儀で、新大陸そのものにも名前が与えられなくてはならない。新大陸にヨーロッパ人が固有の名前を与えることは、そこが、キリスト教世界の延長上に位置づけられるべき世界だということを含意している。この意味で、アメリカは、キリスト教世界と連続的につながっている(4-1)(4-2)(4-3)

 だが、どうして、それは、コロンブスに由来する名前(コロンビア)ではなく、ほとんど誰も知らないアメリゴにちなんだ名前になったのか。おそらく、重要だったのは、アメリゴ・ヴェスプッチがどんな人物だったか、ということではない(実際、ほとんどの人は彼が何者かを知らない)。どんな名であれ、コロンブスをまったく連想させないこと、それが肝心だったのではないか。

 コロンブスは、スペインの2人の王の後援のもと、キリスト教世界(カトリック)の拡大という使命を担って、新大陸(彼にとってはインド)に渡った。コロンブスを連想させる名前が、新大陸に与えられたとき、そこが、ヨーロッパのキリスト教世界と連続しているということが強調されることになる(5)。今度は、そのことが――ヨーロッパ人にとって――障害になったのではあるまいか。

 16世紀のごく初期の段階で、つまり新大陸が「発見」されて間もない時期に、本格的な宗教改革すら始まっていない段階で、ヨーロッパのキリスト教世界は、新大陸にやがて建設される共同体が、単純に、ヨーロッパに中心をもつキリスト教世界の周縁として取り込まれるだけの領域ではなくなる、という予感めいたものをもったのではないか。そこが、ヨーロッパのキリスト教世界とは断絶したもう一つの中心になるかもしれない、という意識されない予感があったのではないか。その予感が、コロンブスとのつながりを微塵も感じさせない名前へと、彼らを誘導したのではないか。

 この予感は、1世紀以上のちに、北米にイギリスの植民地が開拓されたときに、満たされることになった。とりわけ、さらに1世紀半ほどが経過する中で、その地で発展・拡大した植民地の13個の「ステート(国家)」が連合して、本国であるイギリスと対抗し、独立したとき、予感ははっきりと自覚された確信になったはずだ。だから、イギリス植民地に由来する「合衆国(ステート連合)」が、「アメリカ」とは自分のことだと豪語しても、異を唱える者は誰もいなかったのだ。

 アメリカとヨーロッパの間にある連続と断絶。この両方を説明できる論理を、われわれは必要としている。

 

(1) 新約聖書の「ヨハネ黙示録」(第20章)、「マタイ福音書」(第24章)、「使徒行伝」(第2章)等をもとに総合的に描いていく。

(2) 倉塚平『ユートピアと性――オナイダ・コミュニティの複合婚実験』中公文庫、2015年、30頁。

(3) アメリカという名前についての以下の考察は、西谷修の議論に触発されたものである。西谷修『アメリカ 異形の制度空間』講談社選書メチエ、2016年、11-30頁。

(4) ところで、新大陸は、「アメリカ」以前に、先住民が使用している名前をもっていたのだろうか。おそらく、そんな名前はなかっただろう。彼らには、自分たちが住んでいるところが、地球上にあるいくつかの大陸の中の一つだという意識はなかったからだ。つまり、彼らにとっては、そこは、無限定に広がる大地そのものなので、とりたてて他から区別するための固有名でそこを呼ぶこともなかっただろう。だから、ヨーロッパ人は、新大陸に、自分たちで作った固有名を与える必要があったのだ、と説明したくなるが、この説明は不十分だ。このようなケースでは、先住民が、「大地」とか「陸」とか「世界」とかを指し示す一般名が、そのまま固有名として転用されるのが普通である。「中国」がまさにその一例だ。今日、われわれは、「中国」を国名(の略称)として使っているが、それは、本来、「世界(の真ん中)」という意味しかもたない。

(5)コロンブスは、「インド」の「発見」の後、「クリストバル」から「クリストフェレンス〔クリストファー〕」と署名するようになった。「クリストフェレンス」とは、「キリストを運ぶ者」という意味である。コロンブスの「改名」によって、彼自身が自分の事績をどのように解釈していたかがよくわかる。それは、ヨーロッパのキリスト教世界のシンプルな拡大だったのである。

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