遠い地平、低い視点

【第40回】「危機意識」はないのか?!

PR誌「ちくま」10月号より橋本治さんの連載を掲載します。

 八月半ばのお盆過ぎの頃、東京では二時間の間に千個の雷が落ちたんだそうな。「うるせェな」と思いながら、私は机に向かって仕事をしていたのだが、夕方のニュースを見て驚いた。
 多摩川のどこかでは花火大会があった。河川敷に人が敷物を広げて大勢待機しているところに、どしゃぶりの雨が襲った。そこか別のところかは知らないが、多摩川の河川敷には雷が落ちて、濡れた地面を伝わって来た落雷に触れて何人かは感電したというから、そのどしゃぶりの雨に襲われた花火会場にだって雷鳴は聞こえていたんだろうなと思う。
 突然の雨に驚いた人間達は逃げ出して、多摩川に架かる大きな橋の下に避難する。橋を通る道路に降る雨は溢れ、滝のように飛沫を上げてその下に避難した人間達の前に降り注ぐ。ずっと仕事をしていてその先もまだ仕事をし続けなければならなかった私は、「遊んでばっかりいるから罰が当たるんだ」と、呪いの声をひそかに漏らすが、そのニュース映像の中にとんでもないものが交っていた。
 襲いかかる雨を避けようとして、河原から走って避難する浴衣姿の若い女が二人。濡れて、肩を並べて走る女が二人、なんと、笑っている。「やだーッ‼ キャーッハッハッ」と音を付けてもいいくらいの笑い方をしている。つまり、彼女達は「嬉しそうに笑っている」と言ってもいい顔をしているのだ。多摩川に女二人が浴衣を着て花火見物に行くんだから、当然メイクだってちゃんとしていて、髪形もちゃんとさせて花だって挿している。そこにどしゃぶりの雨が音を立てて降り注ぐんだから、「やだーッ! 雷ィッ‼」にはならなくとも、「やだーッ、浴衣がぐしょぐしょ! メイクが落ちちゃう! 髪の毛グチャグチャ!」という悲鳴が上がったっていいはずなのに、とてもそんなことを言っているようには見えない。なにしろ、口を開けて大きく笑っているんだから、まともな人語がその口から発せられるはずもない。それを見て私は愕然としてしまった ― 「こいつらには“危機意識”というものがないのか?!」と。
 その以前から、私は世の中には「なんにでも平気で笑う」という種類のバカな女達がいくらでもいることを知っている。街頭インタビューでマイクを向けられ、「 ―― って知ってますか?」と問われると、とんでもない答を口にして、違うとなると大喜びで声を出して笑っている若い女はいくらでもいる。ネジを巻いて離すと、シンバルを叩いて躍り出す猿のオモチャのように、「ウケルゥ!」のノリで両手を大きく叩き、笑い続ける女はいくらでもいる。中高年の域になるとさすがに猿のようにシンバルは叩かないが、笑うだけは平気で笑う。「違いますよ」と間違いを指摘される前から笑って、いい加減なことを言って「ウケルゥ‼」で更に笑う女も多い。つまんないことを言ったり仕出来したりして、勝手に「うけた!」と思い込んでいる、芸のない若手芸人のようだが、芸人とは違って「あんた」の前には客がいない。
「若い頃の自分も似たようなもんだった」と思いはするが、さすがに「昔の若い子」だったから、「知らないのは恥」と思うだけの常識回路があって、間違っても大笑いはなかった。「あ、そうなの?」と聞き返すだけだ(これは今でも)。
 シンバルを叩く猿のようになった女達を見て、「もう恥という概念はなくなったんだな」と思う。バカでもゲラゲラ笑ってるというのは、女だけではなく若い男も同じだから、「そうか、もう皆さん“生きるために必要な知識”というものは十分にお備えになっておいでで、無手勝流の無知のまんま生きてらっしゃるんだな。“無知を恥じる”なんていう発想はないんだな」とは思っていた。
 無知が恥ではなかったら、本を読んで余分な知識を仕入れるなんてこともないでしょう。それで私は、「将来日本人は三行以上の文章は読まなくなる」と勝手に思っておりますが。
 まァ、無知で恥知らずでも、生きては行けますね。他人に不快な思いを与えるかもしれないけど。それだって、「キャーッハッハッ! 知らなかった!」と笑ってしまえば、どうということもありませんしね。「将来、誰からも相手にされなくなっても知らないよ」って言ったって、その将来に「常識」というものを持ち合わせている人間がどれくらいいるのかは分からないので、「誰からも相手にされない」なんてことはないかもしれないし、そういうことには元々平気な人達なのかもしれない。
 で、それはそれでいいけど、危機意識までなくしちゃっていいの? 危機意識というのは、やって来るかもしれない危機の衝撃を和らげる緩衝装置の役割を持っているから、これをなくすと危機の衝撃が体の芯にまで響いて、とんでもないダメージを受けることにもなるんですけどね。

PR誌「ちくま」10月号