遠い地平、低い視点

【第35回】電波で荷物は運べない

PR誌「ちくま」5月号より橋本治さんの連載を掲載します。

 少し前、「配達先の不在に怒った宅配便の運転手が、届ける荷物を蹴飛ばしている」というニュース映像が流れた時、「よく分かる、俺だってそうなったら、怒って荷物を蹴飛ばしている」と、運転免許を持っていなくて宅配便のトラック運転手になんかなれるはずのない私は、思った。
 自分で勝手に「届けろ」と注文をしておいて、届いた時には留守にしていて、当然のように再配達が要求されて、それが一度ならず二度三度と繰り返される。同じ人間のところへ同じ荷物を持って何度も行って、そのたんびに不在だったら、「この野郎、ぶっ殺してやろうか……」になっても不思議はない。私だったらぶち切れちゃう。だから私は、自分から宅配便を頼むということをしない。
 時々、留守の間に不在伝票がドアの隙間に突っ込まれている時があって、別にこっちが頼んだわけでもないけれど、持って来たドライバーに対して「悪い」と思う。
 時々、ゲラが宅配便で出版社から送られて来て、「この伝票を使って送り返して下さい」ということで宅配便の伝票が入っていたりもする。きっと大口契約しているから宅配便の伝票も入っているのだろうが、私は「どうして郵便じゃいけないんだろうか?」と思ってしまう。「俺の原稿なんか、ポストに放り込んどけばいいじゃない。盗まれるほどの価値なんてないんだからさ」と思う。
 ポストならそこにある。でも、宅配便を取り扱ってるコンビニだと、どこにあるか分からない。「この会社のものはウチでは取り扱ってません」とか、「ウチは宅配も宅急も扱ってないんです」になると、送るものを持ったまま道をさまよい歩かなければならない。会社によっては、「電話すれば運転手が取りに来てくれる」らしいが、ウチの助手は「もう運転手が気の毒だから、電話しないで、取り扱いセンターまで持って行く」と言っている。いつの間に「荷物を送る」ということがこんなに面倒になってしまったのだろうか? 郵便局だって、「ゆうパック」というわけの分からない(多分)お得なシステムを始めて、でも、それが従来のものとどう違うのか分からない。きっとこれは「時代に適応出来ない年寄りの愚痴」だ。
「このままだと、開いている商店はコンビニだけになって、シャッターの下りている通りに宅配便のトラックが走るだけの日本の未来になる」と言ったのは、多分もう十年くらい前だけど、その通りになってしまった。
 車一台が通れる程度の住宅街の道に、宅配便のトラックが当たり前のように入って来る。昼間よりも夜に多く。私は足の具合がそんなによくないので、宅配便のトラックがやって来たり、道に停まっていたりするのがあまりにも当たり前化してしまうと、イライラする。少し前までは、「こんなとこまで入って来るなよ」とトラックの運転手にイライラしていたが、「不在の再配達に怒った運転手が――」以来は、八つ当たりの方向が違う。「どこのバカがネット通販なんていうチャカチャカしたもんやってんだ!」と思う。
 それをやるやつは、勝手にクリックして、それだけで荷物が届くと思っているんだろう。クリックの先で、実際の人間がどれくらい動いているかなんて、考えていないんだ。「お前の下らない買物のために、人が動いてんだぞ。自分で買いに行かないで届けさせるんだったら、せめてその分じっとして待ってろ」くらいのことは言いたい。
 以前にこのページで、「“情報”というものをハッキングという手段で盗み出すのは、泥棒として最低だ」と書いた。泥棒には、「盗んだものをどうやってスマートに持ち出すか」という美学が必要で、「情報」というデータになると、その最低限のルールが分からなくなる。「物を持ち出す」ということが大変であるということを周知させるために、データは紙に戻せと言ったが、ネット通販の最大の誤解は、「電波が荷物を運んで来る」と思い込まれていることだ。
 電波は物なんか運べないの。あんたが、「ここのどら焼きおいしそうだから」という理由で遠隔地の店に「お取り寄せ」をすると、それを運ぶために、人間が実際に動くの。あんたが外でボーッとしてれば、物を運ぶ人間は何度も何度も動くの。「この服いらないから誰かに売っちゃお」っていうんで「フリマ」なるアプリを使えば、そこでまた実際に人が動くの。どれだけの数の人間が、「便利」という名の無駄な行為のために動かされるんだろうか? 「お前のどら焼き」や「蟹の脚」を運ぶために、どれだけ有為の人間が宅配ドライバーとして働かされなきゃいけないのだろうか? 「人が足りなきゃドローンで運ぶ未来もある」なんて寝ぼけたことを言っているが、「空を見上げるとドローンの大群が―」という恐ろしい未来なんか見たくない。それよりも自制しろよ。

PR誌「ちくま」5月号

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