遠い地平、低い視点

【第37回】ガハハ vs.やァね

PR誌「ちくま」7月号より橋本治さんの連載を掲載します。

 今更あきれようもない昨今の日本だけれど、官僚同士で回す文書の中に「総理のご意向」という言葉が当たり前のように登場するというそのことに、あきれるというかいささか驚いた。「総理の意向」じゃなくて、「総理のご意向」なのかと思って。
 江戸城じゃあるまいし、総理の「ご意向」ね。行政のトップに立つ人間に、実際の行政機関の中で働く人間が「ご意向」なんて言うかね? 「お上のご意向」じゃあるまいし。社内の人間が、同じ社内の上司に「ご意向」なんて言うのかね。「私一人でなんでも出来る。担当大臣が無能で説明能力が欠けていても、私が“通す”と思っている以上、どんな法案でも通す」で、特定秘密保護法や安保関連法案を成立させて、共謀罪法案まで成立させるとこまで来ちゃった人だと、やっぱり「ご意向」になっちゃうんでしょうかね。もう北朝鮮のことなんか笑えないなと思う。
「ミサイル開発なんかしてないから北朝鮮じゃない」なんて言ったって、「ご意向」の方が「国家戦略としてミサイル開発特区を作る」と言えば、簡単に出来ちゃうかもしれないしね。少しはましな頭を持つ人間をみんな粛清しちゃって、ただ笑って手を叩いているだけの勲章付けたジーさん連中を従えてる金正恩を見ると、「彼が倒れた後の北朝鮮はどうにもならないくらいの右往左往状態になるだけだな」と思うけど、日本だって似たようなもんかもしれない――と思ってはいたが、日本にはまだ「バカに従うのは生理的に無理」というような人もいるんだなと思って、ちょっとだけほっとした。
 現役時代なら「上の圧力」で言いたいことも言えないだろうけれど、辞めさせられて職場を離れたら、もうこわいものはないから言いたいことは言うよな――「あるものをないとは言えない」とか、「黒を白とは言えない」とか。職場の倫理を歪められたら、まともな人は怒りますよね。まともな頭の人間と、酒飲んでガハハと笑ってるだけの昔オヤジの違いは、ガハハオヤジは一歩踏み込まれて警告めいたことを言われるとすぐ怒鳴るのに対して、まともな頭は一歩踏み込まれたくらいなら譲歩するという点。へんな踏み込まれ方をしたら、自分の状況を確認するために、とりあえずは譲歩してみる。でも、それが二歩三歩と続いたら、もう許さない。しっかりと状況を頭に刻む。そこが、酔いが醒めたらすべてを忘れてしまうガハハオヤジとの違いだ。
 ただ、「恥」というものが失われた今の日本では、ガハハオヤジはいくらでも責任逃がれが出来る。「恥」という概念がなくなると、「よくそんなこと平気で言えるな」というようなことが、大っぴらに罷り通ってしまう。「バカが結束すると無敵」というのは、とんでもないことですな。
 ただ、昔のガハハオヤジは非を認めなかった。非どころか、なんにも認めなかった。ところが最近のガハハオヤジは、謝りはしないが、自分がろくでもないことを言ったということだけは認める――認めざるをえなくなって、その上で支離滅裂な言い訳をする。「ガン患者が職場の受動喫煙で苦しんでいる」という発言をした女性議員に対して「働かなきゃいい」という野次を飛ばしたオッサン議員は、謝まりはしなかったが、「私は言った」と認めた上でわけの分からない言い訳をした。「ご意向」の方は、さすがに「ご」付きの意向の人であるだけあって、高飛車に突っぱねるだけで言い訳はしない。でも、その周りの人間は、へんな言い訳をする。その程度に、ガハハオヤジの力は弱まっている。
 そこで「どうすんだろうな」と思うのは、「働かなきゃいい」のオヤジは、自民党東京都連の副会長だったってことですね。私は、自民党の「都議選総決起集会」なるものの映像を見て、びっくりした。会場を埋めているのは、オッサンばかりなんだ。壇上の立候補予定者は灰色の背広姿ばかりで、会場はそれより黒い。「分かってんの? 大丈夫なの?」と思いましたけどね。
 あまりそんな風には言わないけども、自民党と小池都知事の関係は、熟年夫婦の家庭内離婚なんだよね。小池百合子が自民党に進退伺いを出して、でも自民党の方じゃなんにも言わないっていうのは、女房の書いた離婚届を亭主が握りつぶしてるってのとおんなじだし。
 熟年で離婚を言い出す女を、日本社会はあまり非難しないんだよね。「あんな我がままでなんにも出来ない男と付き合ってんのなんて、ホントにやだもんね」というような合意が、既婚の中高年女の間には出来上がってるのも同然だし。だから、いくら小池百合子のことを非難してもだめなのよ。「状況を理解しないバカ男がひどいこと言ってる」としか、オバさん達には響かないんだもの。ガハハオヤジは、もうそれだけで「やァね」の忌避包囲網に囲まれてしまう時代だということを、オッサン連中は考えた方がいいのに。

PR誌「ちくま」7月号

関連書籍