日本思想史の名著を読む

第5回 親鸞『歎異抄』

吉本隆明と親鸞

 吉本隆明の『最後の親鸞』(一九七六年初刊、現在はちくま学芸文庫で刊行)は、この思想家が日本の古典にとりくんだ仕事のうちの代表作である。親鸞(承安三・一一七三年~弘長二・一二六二年)の著作である『教行信証』や、和讃・書簡も史料として用いられているが、その思想の骨格部分を知る手がかりとして引用されている書物としては、やはり『歎異抄』が大きな位置を占めている。親鸞の弟子である唯円がその晩年に、かつて直接にきいた親鸞の言葉を書きとめた著作であり、晩年の親鸞が至った思想の境地を語るものとして、広く読まれている。
 経典を解釈する学問によって悟りに至ろうとすることを「聖道門」としてしりぞけ、文字のよみかきすらできない「一文不通」の庶民のための念仏の教え、すなわち「浄土門」こそが、人が没後の来世において悟りを開き、仏になるための優れた教えである。そうした親鸞の主張が、知識人による認識の限界を説き、大衆の実感の世界にぎりぎりまで近づくことを唱えた吉本の姿勢と共鳴しあったことは、簡単に見てとれる。だがそれにとどまらず、さまざまな角度から親鸞の思想の中核へと迫ろうとする仕事として、興味ぶかいところがいくつもある。
 たとえば目次では二番目に収録された「和讃――親鸞和讃の特異性」という論考。そのなかで吉本は、一遍など時宗系の和讃と親鸞のそれとを対比して論じている。たとえば一遍による「別願讃」はこうである。「身を観ずればみづのあわ/きえぬるのちはひともなし/いのちをおもへばつきのかげ/いでいるいきにぞとゞまらぬ」。この現世においては、転生によって短い人生をくりかえすだけで、この身も水の泡のように消えてしまう。これを吉本は「感性的にいっても手法的にいっても、今様の世界にきわめて近似している」と指摘する。そして生のはかなさを嘆き、「一足とびに」死を通じて浄土への往生を願う思いがそこに充満していると見て、「そこだけとりだしてみれば、異様な<死のう>集団の発生と見てもよかった」と評するのである。
 これに対して親鸞の和讃は、感性的な「あはれ」「はかなさ」「ほのか」によって現世をとらえることを拒否している。その言葉は徹底して硬く、「おおよそ他者を寄せつけないような簡潔できびしい格調」をもっていると吉本は指摘する。「浄土真宗に帰すれども/真実の心はありがたし/虚仮不実のわが身にて/清浄の心もさらになし」(「愚禿悲歎述懐」)。「あはれ」「はかなさ」の情調によって現実の人生をまとめあげ、ユートピアとしての浄土へと死に急ぐ姿勢を、親鸞は拒否した。重要なのはこの我が身の欲望と卑小さであり、その現実を見つめ、進んで引き受けることこそが、阿弥陀如来のはからいを通じて来世で仏になる道につながるのである。
 この論考の初出は一九七五(昭和五十)年である。当時は新左翼党派どうしが内ゲバによる殺戮を繰り返し、爆弾によるテロも頻発していた。一九三〇年代に公衆の前で割腹を繰り返した「死のう団」をひきあいに出しながら、新左翼党派の激しいユートピア願望と、その手段としての死の美化と同じものが、時宗系の和讃にはあったと指摘したのである。彼らは、現実の社会を超えようとするラディカルさを標榜しながら、ユートピアの性急な実現に憧れ、その手段となるべき死に自他をまきこもうとする。これを吉本は一種の現実逃避ととらえ、正面から現実にむきあう姿勢を保ったまま、同時に現実を超える思考方法を、親鸞に見いだしたのだろう。和讃の文体からそうした差異をよみとるところは、いかにも詩人として出発した思想家らしい洞察である。

『歎異抄』のレトリック

 『歎異抄』は、正応元(一二八八)年ごろに成立したと考えられているが、広く読まれるようになったのは、十五世紀の後半に蓮如が筆写してからである。蓮如による写本より前の写本や原本は見つかっていない。佐藤正英は蓮如本には重大な錯簡があり、テクストの前半と後半が入れ替わっていることを指摘し、『歎異抄論註』(青土社、一九八九年)や『<定本>歎異抄』(同、二〇〇六年)でテクストの再構成を提案した。その見解によれば、念仏の信仰者が陥りがちな誤りをとりあげ、それを批判する「異義条々」全八条と、親鸞ののこした言葉から重要なものを選んだ「歎異抄」全十条の二部構成になっているのである(以下、引用は『<定本>歎異抄』による)。
 吉本が指摘した、親鸞の言葉がもつ簡潔な力強さは、『歎異抄』でも生き生きと働いている。それに加えて、一見すると矛盾するような主張が同居していることも、聖典としての魅力を支えているのだろう。
 たとえば「異義条々」の第四条は、念仏を唱えれば自分の罪業がたちまちに消えるという教説を、「聖道門」と同じような、「自力」を通じた解脱のすすめとして批判したものである。親鸞の考えでは、みずからの身にしみついた煩悩や罪障は、前世での行ないによってすでに決まっている。そういう欲望にまみれた人間であるからこそ、そうした人々を浄土での悟りに導こうとしたのが、阿弥陀如来の本来の誓願にほかならない。その誓願を信じ、それに感謝して南無阿弥陀仏を唱える、すなわち「念仏のまうさるる」(「異義条々」第一条)――この「まうさるる」は、そのつもりがなくても自然に唱えてしまうというニュアンスである――のも、阿弥陀の「御はからひ」によるものなのである。
 したがって、いま生きている現世での一生のあいだに、みずから意図して念仏を唱えれば、そこで成仏できるという考えは、親鸞に言わせれば二重に間違っている。それは、「他力の信心」を忘れ、「自力」によって罪業を消そうとするむなしい試みであり、来世において罪業を消し仏になることを可能にしてくれる、阿弥陀の誓願に逆らうふるまいなのだから。人間はこの現世では、「一生のあひだまうすところの念仏はみなことごとく如来大悲の恩を報じ、徳を謝すとおもふべきなり」。とにかく生きているあいだはずっと、念仏を唱え続け、阿弥陀に感謝していればそれでいい。
 だが同じ第四条では続いて、人々をいっさい見捨てることがない阿弥陀如来の誓願を信頼してさえいれば、「いかなる不思議ありて罪業ををかし、念仏まうさずしてをはるとも、すみやかに往生をとぐべし」とも語っている。自分は場合によっては、罪を犯すこともあるかもしれないし、一生のあいだ念仏を唱えずに死ぬかもしれない。それは「不思議」なきっかけによるものであって、予測することも原因を理解することもできない。それでも、阿弥陀の誓願を信じているなら、それだけで来世で救い取られるきっかけになる。
 親鸞が言っているのは、とにかく阿弥陀の誓願、人々を光明のなかにからめとって捨てない「摂取不捨の願」を信じよということである。しかし、念仏を一生唱えよと言ったあとに、念仏を唱えなくてもいいと発言しているのは、いったいどういうことか。五来重は『鑑賞 歎異抄』(東方出版、一九九一年)のなかで、親鸞を「すばらしいレトリックの達人」と評している。自分の説教を聞いている人をいったん突き放し、戸惑わせた上で、いっそう頼もしがらせるような論法の使い手だというのである。
 この第四条の例でも、鍵は「不思議」というところにある。念仏を唱え続けるのがまっとうな「他力」の信仰の方法だということは、「浄土門」に帰依した信仰者なら、誰でも知っている。しかし考えてみれば、誰もが多かれ少なかれ罪業にまみれ、欲望を切り離せない存在ではないか。その度合いは前世の行いで決まっていることであり、いまの自分にとっては理解不可能な「不思議」である。そうであるなら、同様に「不思議」なきっかけで、念仏を唱えない人生を送ることにもなるかもしれない。しかしそういう人も救いとろうとするのが、阿弥陀仏の「不思議」な――「誓願不思議」と親鸞は表現する――「御はからひ」なのである。読者はこのように考えをめぐらせることを通じて、親鸞の言葉の奥へと誘われてゆく。そうした言葉づかいの妙技が、『歎異抄』という著作の魅力を支えている。

「弟子一人ももたずさふらふ」

 小山聡子『浄土真宗とは何か』(中公新書)が指摘するように、親鸞の思想、特に『歎異抄』は、近代になってから浄土真宗の外でも広く評価されるようになった。そして家永三郎の親鸞研究や、丸山眞男の政治思想史講義に見られるように、キリスト教のプロテスタントの教説との類似が、極度に強調される傾向も生まれた。吉本隆明もまた、新約聖書に見えるイエスの教えとの共通性に言及している。こうした理解が、多かれ少なかれ「近代」流の偏向を含んでおり、鎌倉時代に生きた親鸞その人の思想のうちで、特定の部分を強調していることは否定できないだろう。
 だが『歎異抄』に見える思想には、特定の集団や地域社会で共有される一体感を突き抜け、普遍性へ至ろうとする志向がたしかにある。「異義条々」の第二条で親鸞は、自力によってさまざまな修業をし、悟りに到達しようとする「聖道門」をきびしく批判しながらも、そうした他の宗派から攻撃を受けても、それを憎んで反撃することはあってはならないと説いている。
 だがそれは、異説をしつこく攻撃しないという次元での、通常の寛容のすすめではない。親鸞によれば「ひとありてそしるにて、仏説まことなりけりとしられさふらふ」。自説の真偽をめぐって他人と激しく争うのも、また煩悩の表われである。他人からの批判にさらされ、それにどうしても怒りを感じてしまうみずからを自覚する。そして、そうした卑小な己れの存在を支える、阿弥陀の「御はからひ」が真実であることを、さらに深く信じるようになるのである。
 阿弥陀の誓願は「ひとへに親鸞一人がためなりけり」(「歎異抄」序)という言葉に表われているように、親鸞の視線は、念仏を唱える一人一人の信仰者の内面へとむかってゆく。それぞれの個人がじかに阿弥陀の「御はからひ」に思いをむけ、その「不思議」にふれあうことが信仰の本質なのである。したがって人々が念仏を唱えるのは、本来は阿弥陀の「御もよほし」によるものであって、親鸞の教えのゆえではない。「親鸞は弟子一人ももたずさふらふ」(「歎異抄」第六条)。通常の教団の論理をこえ、一人一人の個人と、そのすべてを救済する阿弥陀とのかかわりにのみ思考を集中すること。そうした独特の論理が、日本思想史においては特異な、開かれた思想の可能性を指し示している。