生き抜くための”聞く技術”

第2回 妖怪ソンタクが徘徊する

他人の声をきちんと聞く姿勢は守り続けられるのか?

 ちょっと気が早いけど、今年の流行語大賞は何だろうと考えたときに、まっさきに浮かぶ言葉がある。忖度(そんたく)」だ。みんなも何度かは耳にしたんじゃないかな。

 それじゃあ、この言葉からどんなイメージが湧くだろう?

 もともとの意味は「他人の心中をおしはかること」(広辞苑)。それがいいこととか、悪いこととか、そのどちらのニュアンスも含まれないそのままの意味だった。ところが最近耳にする「忖度」は、含みを持った言葉に変わってきているように思える。

 役人が政治家の意向を忖度する。

 こんなふうに使うと、どんなイメージを抱くだろう?

 そうか、役人が政治家の心中をおしはかる、この役人はなんて心優しい人なんだと感じる人はまずいないだろう。それよりも、なんだか政治家に取り入ろうとして、先回りして政治家が喜びそうなことをしようとしている、という印象を受けるんじゃないだろうか。何ていうか、ずる賢いというか、計算高いというか、そんなイメージをぼくは持ってしまう。健全とか、公平とかいう言葉とは対極にある、不透明で暗い感じがするのだ。

日本政治の中枢に一つの妖怪が徘徊している。その名はソンタクである。

 こうした一文から始まるコラムを、東大の宇野重規教授が今年4月、東京新聞に書いた。宇野さんはヨーロッパの政治から日本の政治まで、民主主義のあり方を深く考えてきた人だ。

 そんな宇野さんはソンタクによって最も損なわれるのは政治そのものだと説く。みなが見ているなかで物事を決めていくのが政治の本質だと書いたあとで、こう続ける。

「人々は言葉を尽くして自らの主張の正当性を主張し、その代わりに他人の主張にもきちんと耳を傾けることがその第一歩となる。
 ソンタクに取りつかれた政治はその逆だ。多くの人には物事がどこで、どのように決定されるかわからない。それでも「そのようなものなのだろう」という諦めの思いとともに、人々は自分の思いをのみ込む。結果として、政治の舞台からは真剣な主張や説得の試みが見られなくなり、聞こえるのはただ騒がしい騒音や、あるいは真剣なものを言おうとする人間に対する冷笑ばかりとなる」

 ぼくもその通りだと思う。

 他人の意見にきちんと耳を傾け、自らの意見も主張する。そうした太陽のもとでの営みが失われ、すべては夜陰にまぎれて決まっていく。そこには「嫌な感じ」としか言いようのない居心地の悪さがつきまとう。

 

 コミュニケーションが盛んな今、なぜ話が聞けないのだろう?

 どうして今の時代に、インターネットやSNSなどの出現でかつてないほど人々のコミュニケーションが盛んになっている時代にこんなことが起きてしまうのだろう。どうして逆に、コミュニケーションを否定するような雰囲気に覆われてしまうのだろう。

 ぼくもこの問いを多くの人にぶつけてみた。そこで多く返ってくるのは諦めにも似た気分、宇野さんの言葉で言う「冷笑」だ。

「そんなこと言うけど、民間の企業にだっていくらでもあるでしょう?」

 そうしたニュアンスの返事がどれだけ帰ってきたことか。

 確かに民間企業にもある。ぼくだってそうした場面を感じたことがある。もちろん妖怪ソンタクは足跡を残さないから、あくまで感じたに過ぎない。どこで誰がどんな意図で決めたのかははっきりしないけど、事の進み具合からそうとしか説明できないような、そんな場面だ。

 そしてそれは学校でも起きていることなのかもしれない。

 たとえば自分がどう考えているかよりも、先生がどんな答えを求めているかを先回りして考えて、口にする。そうすれば先生は喜ぶし、みんなからもすごいと言われる。優等生と呼ばれる人は多かれ少なかれ、そうした勘がいい。というよりも教師の心の内をソンタクできる能力がある学生が、優秀と見なされる面があると思う。本当の優秀さとはまた別だとしても。

 

つい空気を読んでしまう日本人

 日本人は妖怪ソンタクにからめとられやすいのだろうか。

 外国人の記者が「ソンタク」にあたる英語の単語を探したけれども見つからず、結局「SONTAKU」と表現した新聞があるように、少なくとも西洋文化には馴染みのないものなのだろう。

 ぼくも住んだことがあるアメリカなどは多民族国家だから、それぞれの背景にある文化も違えば考え方も違う。だから自分の考えは言葉にして主張し、他の人の言葉にも耳を傾けて調整をはかっていかないと、ものごとを決めることができない。

 でも日本では多くの人が似たような文化と歴史を背負っているから、あえて言葉にしなくても「空気よめよ」ということになってしまいがちだ。つべこべ言わず、みなと同じように田植えにいそしめよ、という具合に。

 そんな中で妖怪ソンタクも育っていったんじゃないかと思う。空気と沈黙は、妖怪ソンタクの好物だからだ。

 自分の意見を自由に言い、他人の話にもちゃんと耳を傾ける。そんな社会と、妖怪ソンタクに支配されて言葉が失われていく社会。みんなはどちらがいいと思うだろうか。

 もしかしたら、妖怪ソンタクなんて退治してしまえと言うかもしれない。でも、やっかいなことに妖怪ソンタクはなかなかしぶとい。ちょっとやそっとのことでは絶滅しない。足跡が残らないぶん、責任をとらなくていいし、うまくいけば他人を出しぬいて出世できるからだ。

 ぼくらが自由の気風を大事にして、語り、他人の声をちゃんと聞くという姿勢を守り続けるのか。それとも妖怪ソンタクがますます闊歩する社会になっていくのか。いま、その分岐点に来ているのかもしれない。

 

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