冷やかな頭と熱した舌

最終回
どうして棚に向き合う時間が減ってしまうのか

■本屋の本とは関係のない仕事

 どうして棚に向き合う時間が減ってしまうのか。どうして本に触る時間が年々減っていくのだろう。本が好きでこの業界に入ったはずなのに。自分が「これは」と思った本を売ること以外に、本屋の仕事における喜びなどないはずなのに。もしかしたら自分はこのまま終わってゆくのかもしれない。開店からある程度の日数が経過しても、なかなか本に触れることができない日々に、焦燥感と苛立ちが募る。追い打ちをかけるような文學界未発注事件(?)に、頭を本の角で思い切りガツンと殴られたような衝撃があった。なぜこのような事態に陥っているのか整理して考えてみなければならない。
 最大の理由は、雑務が増えたこと。僕がORIORI店の店長になってからスケジュールに増えた項目を以下にあげてみる。
・月に1度は店子の店長として館(大家)が主導する店長会議に出席する
・15日と末日に本店に提出する事務仕事
・10日締めの給与を計算して翌日には本店へと提出
・毎週のイベントスケジュールの調整
・店長あてに届くメールのやり取り
・月に2回のシフト作り
・レジ業務指導
・ポイントカードの入会促進の指導
・館との諸々の打ち合わせ
・館から義務づけられた書類や資料の提出
・防災訓練
・トラブル処理
・クレーム対応
・取次との打ち合わせ
・売上データ分析
・レイアウト変更
・メディア対応
 上記に日々の発注、フェア発注、品出しなどの通常業務が加わる。すべてを真面目にこなしていたら、棚に触れられるわけがない。解決策として、業務のいくつかを店長経験者の竹内さんにお願いするという分業制を敷いた。さらに、事務仕事などのアルバイトにもできることは、これからどんどん振ってゆく所存である。

数々の事務処理をこなすバックヤードの店長机

  発想のヒントはスマホの名刺管理アプリから導き出した。交換した相手の名刺を、スマホカメラで写すとデータ化して一括管理してくれるあれだ。人から聞いた話なので真偽は不明だが、ある管理アプリでは、個人情報保護の観点から入力前に名刺のデータをバラバラにするらしい。入力オペレーターは、バラバラにされた情報の一部にしか触れないという。この仕組みを応用しようと考えた。僕はただ、すべてを理解していればいい。自分でやらなければならないことを最低限にすることで、少しは時間を捻出できるだろう。

 もう一つは多分に逆説的なのだが、売上が原因となっている。売上が上がれば有能な人員を増やし、各ジャンルに担当人員を割ける。人を配することで、そのぶん時間的な余裕ができる。だが日本全国を見渡しても、いまやそんな書店はないに等しい。だから店員が棚に手を入れる時間がある書店は、強い書店であると言える。
 その状況を作ることができれば、棚をよくすることができ、売上が上がることで贅沢に人を使うことができ、また棚に注力できるという好循環がうまれるのだが、実際には全国的に書店の売上は下がり続けているのが現状である。売上を取ることができなくなると、逆パターンの悪循環が待っている。利益を確保するためには、人件費を減らすのが一番手っ取り早い。1990年代後半から、書店はこの「人件費を減らす」ということを繰り返してきた。結果、正規雇用が減り続けていまの状況がある。さわや書店は、社長と伊藤清彦・元本店店長が「書店は人である」という信念を貫いてきたから、いま少なからず存在感を出せているのだと思う。だけどORIORI店に限っては、竹内さんと僕以外のスタッフは全員新人なのである。

■スタッフの実力と実情

 棚を作ることは、案外クリエイティブな作業だ。何を入れて、何を入れないかというのは取次のランキングどおりにやればよい、というものではない。それをやってしまうと、どっかの図書館みたいになってしまう。自店のお客さんの好みに合わせたり、これはという本を自分の知識の中から引っ張ってきたり、その時々の世の中の動きに合わせたりして、棚を変えていかなければならない。そうしないと棚は腐ってしまう。自らの頭のなかの引き出しを、棚へと投影してゆく楽しさと売上とを天秤にかけながら、そこから本が売れてゆく喜び。本来は、この作業に多くの時間を割かなければならないはずだ。
 しかし、いまや書店の棚はパート・アルバイトが担当することがほとんどだ。そのパート・アルバイトが本好きならまだしも、どうして本屋で働こうと思ったのだろうと首を傾げたくなるような人員も、なかにはいる。僕はORIORI店の面接の時、「本が好きか」「どのような本を読むか」「好きな書き手は誰か」という質問への答えにこだわった。最初の質問には、もちろんみなイエスと答える。当然だ。しかし、第2、第3の質問に対して返ってくる答えは、こちらが期待している水準に届くことはほとんどなかった。実際に開店してから、パート・アルバイトの彼らが、本を買うことはまれである。彼らにも生活があるのだからしょうがない。低い時給、少ない給料で働いてもらって、そのうえ自腹で本を買って、棚づくりに生かすなんて求めることはできない。そんな彼らが選びに選んで買ってゆく1冊を見ると、何とも言えず胸がいっぱいになる。現在40歳の僕が、本を購入することにあまり躊躇しない最後の世代なのかもしれない。若い彼らを見ていて、最近そんなことを考える。そんな僕でも、公営住宅に住んだり、ぼろを着ていたりと、本を買う代わりに犠牲にしているものは多くあるのだが。ここまで書いて、ふと思う。はたして、書店に未来はあるのだろうか。

フェザン店とは一線画すORIORI店の手書きじゃないPOP(なぜ「なぜ」がつく本が多いのか」フェアより)

 

フェアでは「なぜ~」を冠す書目を版元別に集計するなどの工夫も。意外にも筑摩書房は少なかった。

■本の魅力と価値を存分に伝える

 でも、それでも後進を育てるしかない。そう自らに言い聞かせる自分がいる。僕たちが、受け継いできたものを伝えなければならない、と。まだ書店という「物語」を終わらせるわけにはいかない、と。年のせいか、そんな使命感を持つようになった。時給が安いから人がいつかないこの業界。世の中では少子化により、若い労働力を必要とする業界による若者の綱引きが始まろうとしている。これから我々が引く綱の反対側を引っ張ろうとしているのは、消防や警察や自衛隊といった国の根幹をなす職業の人たちである。若い力が必要不可欠なこれらの職業をむこうに、僕ら一介の小売りが相手になるものかと委縮してしまいそうになる。そもそもパワーが違うし、彼らは国民の生命を守る仕事だ。でも書店だって、人が人として生きるため、よりよく生きる知識を獲得するため、パワーに頭脳で対抗するために絶対に必要な職業のはずだ。誇りと信念を持って、綱引きの準備をするべきだと僕は思う。
 それでも、有能な若い世代が入ってくることは、もはやないかも知れない。世の中の流れを見ていてそう思う。本を買えない若い彼ら。それでも少子化の未来のことを考えると、書店を働く場として選んでくれるのはありがたい。利益率が低く、書店の現場は逼迫している。より好待遇の労働環境に、彼らも身を置きたいと考えるのは当然だろう。だからいま、書店で働いてくれている彼ら、まだ入り口でうろうろしている彼らに対して、僕らがしてあげられる最大限のことをしてあげたいと思う。
 教えたとしても、いつ辞めるか分からない人員にどこまで時間を割いて教えるか、そう考えてしまうのが普通だろうと思う。だが僕は、全力でつきあうことに決めている。一つ一つの作業に込められた意味を必ず伝え、一人一人がやる作業がもたらす意義を説く。もしこの業界を去った彼らが、のちに少しでも本を買うという方向へと意識が向くように、せめて本の魅力と価値とを存分に伝えようと考えている。いまは負け戦に思えても、潮目が変わる時はきっと来るだろう。そう信じて戦うことを決めた。「しんがり」は僕らの世代が務めよう。これほどの見せ場はない。なんたって、潮目が変わって反転攻勢に出る時は先陣を切れるのだ。

 栃の木はトチノミという実をつける。かつて土地がやせた山村などでは食用として重宝されたらしい。やせた土地でも実をつける栃の木のしぶとさを見習って、僕らは棚に向かう時間を削ってでもすべきことをする。飢饉を救うトチノミ。ラジオ局からの帰り道に見たあの枯葉は、明日の僕であるかもしれない。肥沃とは言えない土地で、それでも体を張り、実を残すために散るとしたらそれもまた運命である。

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